第2話 厩橋を渡って

 横澤よこざわ康史郞こうしろうの家に向かうため、店外に出たたちばな梨里子りりこの前に「ファッション・カイドウ」という文字が入った白いバンが横付けされた。ハンドルを握っているのは夫の美津則みつのりだ。梨里子が助手席に乗り込むとバンは走り出した。


 浅草橋の問屋街を走るバンは信号で停止した。近年は町の新陳代謝が進んでおり、問屋だった建物をリノベーションしたホテルやカフェが増えている。工事用シートのかかったビルを見ながら梨里子は美津則に話しかけた。

「ねえ、子供たちももう小四だし、そろそろ部屋を分けた方がいいんじゃない」

「確かに、男女だと着替えとかがあるし、ママの仕事についても説明するタイミングかもしれないな。功輝こうきは少年野球団に入りたいって言ってるし、桃美ももみは店の手芸キットに手を出し始めたから、これからどんどん物が増えるだろうし」

 美津則は前を向いたまま答える。

「部屋を仕切りで分けるか、私の仕事部屋を空けて別に部屋を借りるか、悩んでるの。このまま仕事を続けられるかも分からないし」

 梨里子は子ども時代に使っていた部屋をそのままマンガの仕事部屋にしている。功輝と桃美の部屋はかつて祖父母の高橋たかはし海桐かいどうあおいの部屋だったが、亡くなった後に生まれた二人の子ども部屋になったのだ。

「今はお義父とうさんもお義母かあさんも元気だけど、このご時世、何があるか分からないからね。うちの建物もいっそリノベーションして、倉庫の中に仕事部屋を作ってもいいんじゃないかな」

「それが一番現実的かしら。だったらなおのこと稼がないとね」

「よし、僕も新作アニメやマンガをどんどん見て、売れ線予測にいそしむぞ」

 信号が青になったので美津則はバンを発車させた。彼の代になってから、「ファッション・カイドウ」はネットショップに支店を出したり、コスプレショップへの卸など、新たな販売先を開拓してきた。彼にとっては趣味と実益が両立するやりがいのある仕事のようだ。

「僕の見立てでは、これからオレンジのリボンが売れそうだよ。後、手芸用フェルトの注文もそろそろしとかないと」

「当たるといいわね」

 梨里子は前を向く。バンは厩橋うまやばしへ続く通りにさしかかっていた。


 厩橋へ続く通りには、都バスの路線が走っている。かつて都電が走っていた名残だ。バンは都バスの後ろに付いた。

「ところで、横澤よこざわさんは戸祭とまつりのおじいさんの親友だけど、うちの親戚でもあるんだよね。どういう繋がりなんだい」

 美津則の問いに梨里子は答えた。

「父方の海桐かいどうおじいさんの妹さんが横澤さんの奥様だったの。奥様は十五年くらい前にお亡くなりになって、それから一人暮らししていらっしゃるのよ」

「お子さんはいないのかい」

「息子さんがいらっしゃったけど先立たれたそうよ。あまり詳しく聞いたことはないわ」

 自分が生まれる前の出来事でもあり、梨里子はデリケートな話題をあえて避けた。

「そうか、お義母さんが横澤さんに君が行くことを電話してたんだけど、耳が遠くなってるみたいでね、元気でやってるか心配していたんだ」

「分かったわ。帰ったらお母さんにも報告しておくわね」

 答えながら梨里子は厩橋手前の右側を見た。今はビルが建ち並んでいる。

「この辺りにおじいさんの食堂があったそうだけど、もう何も残ってないわ」

「残念だけど聖地巡礼は無理そうだな」

 美津則の言葉に梨里子はうなずいた。

「仕方ないわ、私のマンガだって色々盛ってるし、あくまでフィクションよ」

 バンは厩橋を渡った。この橋の向こうに横澤康史郞の暮らす家があるのだ。

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