令和四年、おじいさんの贈り物

大田康湖

第1話 『ファッション・カイドウ』

 東京、台東たいとう区の浅草橋あさくさばし駅近くには、服飾品やアクセサリーの問屋が軒を連ねる一角がある。ここで親子三代にわたって卸問屋を営んでいる四階建ての店舗が『ファッション・カイドウ』だ。店名は初代、高橋たかはし海桐かいどうの名前から名付けられ、息子の周央すおうが後を継いでビルを建てた。現在は周央の娘、梨里子りりこの夫であるたちばな美津則みつのりが三代目として店を切り盛りしている。


 令和四年七月二日、土曜日。梅雨もあっけなく終わり、外は灼熱の太陽が照りつけている。店舗の四階にある家族の住居では、昼食の片付けを済ませたたちばな梨里子りりこが外出の準備をしていた。軽くウェーブしたショートカットの髪に、アイボリーと水色の縦縞シャツに紺色のパンツスタイルだ。居間のテレビでは、ドラマの番宣が流れている。

『昭和三十年、墨田川すみだがわの流れる下町にある、魚料理が自慢の「うまや橋食堂」。毎日がお祭り騒ぎのお店は、ガンコ親父と元気なおばあちゃん、そしてマンガ家の夢を持つ息子の三人で切り盛り中。ある夜、店に若い娘が飛び込んできたことから始まる物語。深夜ドラマ「うまや橋お祭り食堂」は七月九日二十四時放送開始です』

「そうだわ、これも持って行かないと」

 梨里子はテーブルの上から書店の紙袋を持ってきた。中には橘梨里子著『厩橋お祭り食堂』の原作コミックスとドラマ特集記事の載ったTV情報誌が入っている。紙袋を小脇に抱えた梨里子は、クッションの入ったパソコン用のバッグに、タブレットPCとノート、ペン型のICレコーダーと古びたアルバムを入れると立ち上がった。

功輝こうき桃美ももみ、ママは出かけるから、留守番よろしくね。何かあったらお店に電話して。夕食までには帰ってくるわ。おやつは冷凍庫にアイスが入ってるからね」

「分かったよ」

「早く帰ってきてね」

 功輝と桃美は十歳、男女の双子だ。コロナ禍でなかなか外にも行けないので、休みの日は二人でテレビゲームをしている。母親がマンガ家だということはまだよく分かっていない。

 そもそも梨里子は結婚前からレディースコミック紙に連載していたが、高校の漫画同好会で知り合った美津則みつのりと結婚し、生まれた双子の子育てに専念するため現場を離れていた。しかし一昨年、かつての担当編集者が立ち上げたウェブコミック紙に新作マンガを出すよう誘われたのだ。企画が通り連載を始めた『厩橋お祭り食堂』は大人気で単行本も発売し、今年ついに関東テレビでドラマ化が決まった。現在は子供たちが学校に行っている時間や夜に執筆し、追い込み時には夫の美津則がアシスタントに入る。もちろん両親が子供の世話や家事を代わってくれるから出来ることで、梨里子はいつも感謝していた。


「行ってらっしゃい」

 功輝と桃美の声に見送られ、帽子と不織布マスクを付けた梨里子はエレベーターで一階に降りた。

 店の二階と三階は倉庫となっており、一階の店舗に夫の美津則と父の周央、母の椿つばきが詰めている。買い付けに来る小売店の相手と共に、観光客向けの土産物、見切り品の販売などを行っているのだ。店内にはハンカチやスカーフ、フェルトやワッペン、ボタンなどの手芸品、ブローチ用の造花やリボン、バレッタやシュシュなどの小物が所狭しと並んでいる。

「お、出かけるのかい」

 店名の入ったエプロン姿の美津則がカウンターから出てきた。なごやかな男性だが、ややお腹が目立ってきたのを気にしていることを梨里子は知っている。

「梨里子を送ってくるので、お義父とうさん、お義母かあさん、留守番よろしくお願いします」

 美津則の頼みに二人は快く答えた。

横澤よこざわさんによろしくな」

「お土産、忘れないで」

 椿が差し出した和菓子屋の紙袋を梨里子は受け取った。

「ありがとう、行って来るわね」

 梨里子は店の外に出た。美津則が駐車場から車を回してくるのだ。店のショーウインドーには『ドラマ化決定』の惹句じゃっくが入った『厩橋お祭り食堂』のコミックス宣伝ポスターが貼られており、「当店は応援しています」と手書きの宣伝文が書かれている。梨里子はポスターを見やるとつぶやいた。

「おじいちゃん、横澤さんに会ったら昔話をたくさん聞いてきますね」



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