【探偵たちとそれぞれの仕事】

【探偵たちとそれぞれの仕事】①

 雨の音がする。目覚めた夜弦は布団をはぎ取ると、のそのそと上半身を起こした。

 窓の向こうに広がる空は、どんよりと暗い。新しい朝の始まりなのに、見ているこっちまで陰鬱いんうつになるような空模様そらもようだ。

「……」

 ズキズキと痛む頭を押さえる。雨の日はいつも以上に頭が痛い。腹も減っているし、昨日の夜は食べたのか食べていないのかも曖昧あいまいだった。

 ひとまずキッチンに行こうとベッドから出ようとしたとき、

「どこ行くの。夜弦」

 と、後ろで横になっている九十九に腕を捕まれた。彼女は長い髪を背中に垂らし、カップ付きの白いタンクトップと、たけが短いズボンを履いている。ズボンのすそから、艶やかな太もも伸びている。家の中なので、光を抑える遮光眼鏡はつけていない。

 二人がいるのは、九十九探偵事務所の六階である。事務所ができた四年前から、二人はこの部屋で一緒に住んでいるのだ。

「……ちょっと腹が減ったから、キッチンに行くだけだ。逃げたりしない」

 首を後ろに向けながら言う。彼女の乳白色の瞳が、夜弦に向いている。九十九は目が悪いため、この距離でも夜弦の顔はぼんやりとして見えていない。

「だーめ。そう言ってさあ、この前、勝手にコンビニまで行ったの誰だっけ。ほら、おいで」

 腕を引っ張られ、夜弦はベッドに倒される。ベッドのあしと自分の左手首に繋がれた手錠てじょうが揺れ、小さな金属音を立てる。

「ねえ、昨日、シエスタと一緒にどこか行ったでしょ。覚えてる?」

「……いや」

 夜弦は答える。昨日の昼頃から……記憶がぶつりと途切れている気がする。

「……そう。覚えてないなら、いい」

 後ろにいる九十九はそれだけ言った。何のことなのかは、夜弦には分からない。

「出かける時はあたしに言う。一人で外には出ない。その条件でさ、昼間はあんたの好きにしていいよって言ってるのに。昨日、約束破ったね」

「……」

「でもいいよ。昨日のことを覚えてないなら、今回は許してあげる。次からはちゃんとするんだよ。夜弦はかしこいんだから。あたしの言ってること、分かってくれるよね」

 優しげな声で言い、後ろから抱きしめてくる。背中越しに、彼女の体温を感じる。

 夜弦の左手首には、くっきりと革ベルトの跡がついている。反対の手にも、同じような跡がついている。

「あたしもね、あんたにそんなひどいことはしたくないんだよ。ね、分かるよね?」

 二人がいる寝室の隅には、犬用の小さなおり無造作むぞうさに置かれている。中にあるのは金属製の皿。檻の一か所には囚人を縛るかのような、くさりがついた足枷がある。

 夜弦は言った。

「……じゃあ、せめて僕の携帯は返してくれ。あの部屋に時計を置いちゃダメだって言ったのはお前だろう? 時間が分からなくて困ってるんだ」

「どうして急にそんなことを言うの? 今までだって、時間ならあたしが教えてあげてたじゃん。何が嫌なの?」

「嫌とかそういう問題じゃない。新しく助手が来るんだろう?」

「助手を入れるとは言ったけど、助手にするかはまだ決めてないよ。夜弦にはあたしがいるんだからいいじゃん。今まで通り、お昼やおやつの時間になったら部屋まで言って教えてあげるし、車は乗れないけど……行きたい所があれば連れて行ってあげる」

 そう言って、また優しく抱きしめてくる。たまに彼女とは、話が通じなくなる。言っていることは分かるのだが、その理論りろんが一方的で滅茶苦茶めちゃくちゃなのだ。

「ネクタイが結べなくっても、あたしがずっとやってあげる。どうなっても、あたしがずっと一緒にいてあげるからね。そのためにここを作ったんだから。ねえ、返事は?」

「……分かった」

「うん。いい子だね」

 優しく言うと、九十九はまた、夜弦の頭を優しく撫でた。

 夜弦は、そういえば、と昨日のことを浮かべた。突然思い出した、身に覚えのない記憶のこと。

「……」

 そのことを彼女に言ったら、何をされるか分からない。自分が『探偵』として行動できなくなってしまう。夜弦はなぜか、そう直感ちょっかんした。


 それから時間が過ぎ、九十九探偵事務所の前に、傘を差した一人の人物が立っている。泉音だ。

 泉音はスマートフォンの画面を見て、時刻が朝の十時過ぎだということを確認する。傘を閉じ、一階の扉を開けた。

「あ、こんちはー」

 ちょうど部屋の中で掃除機をかけていた男が、右耳からコードレスイヤホンを外しながら、入ってきた泉音に挨拶した。

「依頼ですか? えーっと……今、二階の捜索の探偵は違う仕事で出ていまして。三階もまだ開いてないし、四階の探偵はお昼ぐらいには出てくると思うんですけど……」

 男の年のころは二十歳はたち過ぎというところに見える。最近の若者らしく髪を派手な赤色に染め、上半身にあるのは機能性など全くない重そうなジャケット。両耳にそれぞれ一つずつピアスを開け、手の指にもいくつかリングをはめている。とても仕事をするような格好ではない。

 一階の部屋はカーペットが敷き詰められており、まさに事務所という内装だった。部屋の真ん中にあるのは大きなテーブルと四人分の椅子。右手側に廊下が見えることから、その奥にも部屋があるようだ。

「違います。三階の鍵をください」

「ああ、夜弦君の新しい助手さんっすね」

 泉音が言うと、男は掃除機の電源を切って放り投げ、もう片方のイヤホンも外した。

「聞いてます聞いてます。いやーまさかこんな可愛い女の子だったなんて……あ、おはようございます、東雲しののめさん」

 と、男が泉音の後ろにいる男に挨拶する。

 東雲と呼ばれたのは、ぴっしりとスーツを着込んだ男である。冷たく、用心深ようじんぶかそうな目を泉音に向けている。

「……おはようございます。結城ゆうきくん。今日はちゃんと遅刻せずに来ているんですね」

 低い声で言い、スーツについた雨粒あまつぶを手で払う。スーツの襟元に、小さなバッヂが光っている。

「そちらは依頼人の方ですか」

「あ、こっちは夜弦君の新しい助手ちゃんみたいです。三階の鍵を取りに来たんですよ」

「そうですか。弁護士の東雲です」

「遠巻泉音です」

 男……東雲は泉音に向かって簡潔に名乗る。泉音も簡単に自己紹介をする。東雲が泉音にそれ以外のことを聞いてくる様子はない。どうやら、自分の仕事以外は興味がない人間のようだ。

 泉音の横を通って中に入ると、東雲は部屋の奥へと歩いて行った。

「……すいませんね。あの人、いつもあんな感じなんですよ。なんか昔、すごい犯人の弁護を担当することになったらしいんすけど、なんかいろいろあって、弁護士界隈かいわいから半分はんぶん追放ついほう……みたいなことになっちゃってるらしいっす。

 俺、一年前ぐらいに東雲さんの助手になったんすけど……っていっても、俺の仕事は電話番とか雑用なんすけど」

 と、男が付け加えた。

「で、なんでしたっけ。ああ、鍵か。ちょっと待っててくださいね」

 そう言うと、男は部屋の奥へ引っ込んでいった。

「三階の鍵、鍵……えーっと……これか? いや、これじゃない……」

 ぶつぶつ言いながら、引き出しの中をあさっている。

「ああ、これか! お待たせしました。あとこれ、今日の新聞。一緒に持って行ってね」

 男が戻ってきた。可愛らしい猫のキーホルダーがついた鍵を、泉音に渡す。

「分かりました。ありがとうございます」

 頷き、新聞も受け取る。部屋を出ようとした時、男が言った。

「それでさ、サインと握手あくしゅ、どっちがいい?」

「……は?」

 突然脈略とつぜんみゃくりゃくもないことを言われ、泉音は思わず聞き返した。

「いやー。まったく、まいっちゃうよね。あんなに人気配信者だった俺がこんな所にいるなんて。あ、このことは誰かに言っちゃだめだよ。SNSにも書き込んだらだめだからね。俺のファンが大勢ここに詰めかけちゃうから」

 男は一人で盛り上がっている。興味がない泉音にはどうでもいい。

「あれ。テンション低いね。あ、もしかしてほかの奴のファンだった? それとも俺が炎上したから、ファン辞めちゃった感じ? 

 やっぱりあの動画が原因だよなー。『手作り爆弾でいろいろ吹っ飛ばしてみた!』っていうの、絶対バズるって思ったのに。いきなり集団下校の小学生が来るんだもん。自分の家の前だからって油断ゆだんしたな。あのあと救急車もパトカーもいっぱい来るし。俺、パトカーに乗ったのなんか初めてだったよ。あの騒ぎ、スマホ取り上げられてなかったら生放送できたのになあ」

 男は一人でうんうんと頷いている。泉音には心底どうでもいい。

「……あの、もう行ってもいいですか」

「え? ちょっと待ってよ。俺だよ? 俺たち、動画配信者の中じゃ結構有名だったんだけど、もしかして俺のこと知らない? 俺、『プリマヴィスタ・チャンネル』の元メンバー・ユーキだよ。

『どーもみなさんこんにちは! 初見しょけん常連じょうれんもいらっしゃい! プリマヴィスタ・チャンネル。ユーキです!』『エージです』『ソーマです』っていう挨拶で、三人で活動してたんだけど……一回も見たことない? もしかして、動画配信者とかも興味ない感じ?」

「全然興味ありません」

「そ、そうなんだ……」

「もう行っていいですか」

「あ、ちょ、ちょっと待ってよ! 分かった、真面目に自己紹介するからさ! それ聞いたら、行っていいから!」

 驚くほど冷めた顔をする泉音に、男は必死に興味を持たせようとする。わざとらしく咳をして、泉音にこう言った。

「どーもみなさんこんにちは! 初見も常連もいらっしゃい! プリマヴィスタ・チャンネル。ニコニコ笑顔がチャームポイント、ユーキです!」

「そうですか。さよなら」

「あ、あ、間違えた! 違う違う! 結城ゆうき浩一こういちです! 歳は今年で二十二。本名言うの久々だから、間違えた、ごめん! 普段、ここって依頼人しか来ないからさ、もうちょっと付き合って!」

 立ち去ろうとする泉音を、男……結城は必死に引き止める。泉音の表情は、およそ人の話を聞くものとは思えないほど面倒くさそうだ。

「イズネちゃんはさ、何でここに来たの? 俺みたいに大勢に怪我けがさせちゃったとか? それともここの大半の人みたいに、誰かぶっ殺したとか? うちに来るって、そういうことでしょ」

「……私、誰かを殺すとか傷つけるとか、してないですから」

「またまたー。そんな風に隠さなくっていいのに」

 結城は泉音の肩をバシバシ叩く。馴れ馴れしくしてくる不愉快ふゆかいさで泉音の顔からさらに感情が消える。

「俺はとあるサイトで爆弾のレシピを買ってさ。まあいろいろやらかしちゃって……で、ここに来た感じ。これこれ。いわゆるやみサイトっていうやつなんだけど、知ってる?」

 結城は泉音にタブレット端末を見せてきた。

 表示されているのはどこかの会社のホームページのようにも見える。しかしよく見ると真ん中あたりには、いかにも表向きではない仕事募集の文言もんごんが並んでいる。

『急募! コインロッカーの荷物を自宅に持ち帰るだけの簡単なお仕事です。ご都合が合う方はこのサイトの問い合わせまで』

 という文章が書かれている。その下にも、同じような内容が続いている。

『西区空きビル、買取者募集中 詳細はキリハラへ』

『荷物を車で運ぶだけ。履歴書不要 普通車免許さえあれば構いません。詳細はキリハラ便利探偵事務所まで』

『モリアーティの爆弾レシピ 大まかな材料費の説明込み』

 それらの文章を指さしながら、結城が説明する。

「このサイトね、キリハラ便利探偵事務所ってところが運営してるんだけど、ここって色んなものを売ったりしてるんだよね。建物とかも、土地とかもあるって噂だよ」

「はあ……」

 泉音は身のない返事をする。興味がないし、自分には関係ないからだ。

「……あの、そろそろ行ってもいいですか」

「あ、そうだね! 引き留めてごめんね!」

 ようやく解放される。結城がぶんぶん手を振って見送るが、泉音は一度も彼の方を見向きもせず、外階段を上がっていった。

 泉音が去ってすぐに、一階に置いてある電話が鳴った。

「はあい! 九十九探偵事務所一階、弁護と受付担当ですが!」

『やっほー。相変わらず元気だねぇ』

 聞こえてきたのは気だるげな声だ。少し低い声は女性にも男性にもとれる。

「キリハラさん。お疲れ様っす」

『お疲れぇ』

 結城は相手の名前を呼ぶ。電話をしてきたのはキリハラなる人物だ。先程泉音に言ったサイトの運営者で、この事務所には仕事を仲介している人物らしい。一年ほど前に来た結城はそれぐらいしか知らない。

『どう? 毎日順調かなぁ』

「楽しいっすよ! 一年前はお世話になりました」

『それはよかった。オイタもほどほどにねぇ。火消ひけしが必要になったらしてあげるけど』

「やめてくださいよ。キリハラさんに頼んだら高いんだから。しばらくは大人しくしてますよ」

『爆弾作ってた人間がオモチャで満足できるかなぁ。うちは安くないからねぇ』

 結城が言うと、電話の向こうからも笑い声が聞こえてくる。

『ところで、東雲さん、いる?』

「東雲さんですか? えー……っと」

 結城は廊下を覗き込む。奥の部屋からはパソコンを叩く音だけが聞こえてくる。

「いますけど、なんかいそがしそうっすね」

『あ、そう。じゃあ、あとで電話してって言っといてくれる? 昼頃なら出られるからさ』

「分かりました! 任せてください」

『それじゃ、よろしく』

 電話が切られる。結城は受話器を置くと、言われたことをメモに書き留める。

 そしてワイヤレスイヤホンを耳にさし、掃除機の電源を入れる。

 鼻歌を歌いながら掃除を再開した結城の頭に、先程の話のことはきれいさっぱり消え去った。


「……あれ。電気がついてない。シエスタさん、まだ来てないのかな」

 二階に上がり、扉のガラス部分から中を覗いてみる。部屋の中は真っ暗だ。人がいる気配もない。

 シエスタと貴子はつい一時間ほど前に、昨日来た依頼人からの仕事で出て行ったのだが、結城があまりにもれしくしてくるので、泉音は彼の言葉を聞き流していたのだ。

「……ん? なんか張り紙してある。シエスタさんが書いたのかな」

 と、泉音は扉に張り紙がされていることに気がついた。

「英語かな? 読めないや……」

 貼られた紙の真ん中には、英語ではない文字で何かが書かれている。紙の右下あたりに、ナイフのようなものを持ったクマらしき落書きがある。

「……まあいいか」

 泉音は扉のガラス部分から顔を離し、ぱたぱたと階段を上がって三階に向かう。 

 二階の扉に貼られた文章は、ここを出る前、シエスタが書いたものである。彼女の出身はドイツだ。言葉として日本語はそれなりに喋れるものの、日本語で文章を書くのには慣れていない。

 彼女は張り紙に、ドイツ語でこう書いていた。

『“入るな! 私のお薬に指一本でも触れたヤツ、ぶち殺すからな! シエスタ”』


 鍵を差しこみ、扉を開ける。三階の部屋は落ち着いていて気品きひんのある内装だった。所々ところどころが五階の所長室と少し似ていると泉音は思う。穴から鍵を抜き、泉音は部屋の中に足を踏み入れた。

 まず目に入ったのは、入り口から見て左手の応接間らしき場所。その反対側にはカーテンで仕切られ、奥は見えなくなっている。正面に見える大きな窓を背に机と椅子があり、横のハンガーラックにはあの少年が来ていたものと同じ上着がひっかけられている。

 そしてなぜか不思議なことに、この部屋には壁掛け時計や置時計など、時間が分かるものが一つとして置かれていなかった。

「うわ、びっくりした」

 と、後ろから夜弦の声が聞こえてきた。

「電気ぐらいつけろ。心臓が止まるかと思ったぞ……」

 言いながら電気をつけたのは夜弦だ。そのまま泉音の横を通り、机のほうに歩いていく。

「お前のことは聞いてる。とりあえず、お前の仕事はおもに雑用と掃除だ。机の周りは今日はしなくていいから、応接間とソファをけ。道具はカーテンの仕切りの奥。ロッカーの中に入ってる。トイレはそこ」

 椅子にどかっと座ると、部屋の隅にある扉を指さした。

「分かりました。あの……九十九さんは?」

「あいつはまだ寝てる」

「そうなんですか」

 夜弦の言葉に、泉音はあっさり頷いた。泉音の中では、すでにある方程式が完成しているからだ。

「荷物は邪魔だから、空いてるロッカーにでも入れろ」

「はい」

 と、自分の荷物を持ってカーテンの奥へ向かった。

 そこは小さな給湯室きゅうとうしつのようだった。お湯を沸かすケトルと、小さいながらも冷蔵庫と電子レンジまで置いてある。流しの横にはいくつかのコップが並べられている。

 左手奥の壁際には、ロッカーが二つと掃除用の流し台があり、ロッカーの一つは空っぽ、もう一つに掃除道具などが入っていた。泉音は言われた通り、空いているところに自分の荷物をしまった。

 バケツに水を入れ、モップを持って夜弦がいる部屋に戻る。濡れたモップで床をこすりながらよく見てみると、部屋はどこもかしこも綺麗にされている。テーブルのあしにもほこりひとつ引っかかっていない。

「……」

 ちらりと夜弦のほうを見るが、下を向いて広げた新聞をじっと見つめている。集中して何かの記事を読んでいるようにも見えるし、ただぼうっと考え事をしているようにも見える。

「トイレなら漏らす前に行けよ」

「ち、違います! な、何か気になる記事でもあるのかなって……」

 下を向いたまま言う夜弦に、泉音が慌てて言い返す。夜弦は、ふん、と鼻を鳴らし、顔を上げた。

「気になると言えばそうだが。この記事を見ていた。まったく九十九の奴、なんで起こしてくれなかったんだ。今さらこの現場に行っても、もう何も残っていないだろうな……」

 夜弦はここにいない九十九にぶつぶつ文句を言う。見ていた新聞には大きく『殺人鬼アーティストの模倣犯、再び』と書かれている。

「なにが『本人の再来』、『殺人鬼アーティスト再び』だ。ただの殺人者なのにそうやって盛り上げるから、この犯人の危険性は下がる」

 夜弦は、ばさりと新聞を机に放る。確かに注目を集めるためとはいえマスコミが下手に騒ぎ立てると、その殺人者の危険度が下がってしまう。『探偵』である夜弦が怒っているものごもっともである。

「この記事は先日起こった事件の続報だ。被害者の身元が分かったらしい。被害者は近くに住む三十八歳の男。職業は小学校の教師だったようだ。表向きでは問題などない人間だったが、裏ではおぞましい犯罪をしていたらしい。

 被害者の死体に羊の皮を被せていたのは、そういう意味だったんだろうな。まさに『羊の皮を被った狼』だな」

 見てみろ、と言わんばかりに新聞を顎で示す。泉音は掃除を中断し、その新聞を手に取って表面の記事に目を落としてみる。夜弦が言う。

「四家深弦は四年前に死刑が執行された。それと同時期にこいつは現れたという。僕は九十九に聞いただけだから、こいつが騒がれだした時のことはよく知らないが、どうやらこの模倣犯は、今まで四家深弦が作っていた『作品』のコピーを生み出しているようだ。

 僕もこいつのことは追ってはいるんだが、協力者がいるのか、いまだに手がかり一つも手に入れられていない。探られると不都合ふつごうがあるのか、はたまた、警察以上の人間が関わっているのか。なんにせよ、九十九が教えてくれないから僕は後手ごてに回るしかないということだ。

 この僕が、警察が手にしているものと大して変わらない情報しか持っていないなどと、まったくはらわたがえくりかえる」

 夜弦は腕を組み、椅子の背もたれに背中を預ける。

「こいつとはぜひとも直接会って情報を聞き出したいものだ。

 こいつの『作品』は明らかに本人の真似を超えている。真似を超えたものは、もはや模倣ではない。

 四家深弦にどう影響されたのか。何を感じ、どのようなことを何を学んだのか。なぜ真似をするのか。本人が喋らずとも推理はできる。ふふふ、こいつの次の『作品』が楽しみだ。次こそは僕も現場に行って、その『作品』と共に推理してやろう。ふふふ……」

 夜弦は怪しく笑っている。

「へえ……」

 泉音は、持っていた新聞を机に戻した。

「なんだその気の抜けたような返事は。まさか知らんのか? 四家深弦は僕でも知っているぞ」

「わ、私その、当時は施設にいたので、そういうのはちょっと……」

 泉音は後頭部をさすりながら返す。そんな泉音に夜弦は、ふん、と鼻を鳴らす。

「知らんなら教えてやる。

 四家深弦は十二年間で三百人以上を殺した超凶悪犯だった。その初めての殺人は母親だ。首をめて殺した後、その死体をかざてた。

 くりぬいた眼球部分に宝石を詰め込み、首にネックレスをかけ、指にはマニキュアを優しくった。母親の美しさに相応ふさわしいよう飾り立てたんだ。本人は『作品』にしたという考えはなかったが、結果的にそれが始めての『作品』として、四家深弦の名前と印象を世に知らしめた」

「へえ。母親を……」

「そして、四家深弦が初期に起こした殺人は荒々あらあらしいものだった。ただ、一人で歩いている人間や親が目を離した隙の子供を狙っていたが、指紋や足跡のことなど隠そうともしていなかった。だがある時をに、ぱったりとその証拠類も残さなくなっている」

「てことは……協力者が出てきたってことですか?」

「そう考えるのが妥当だとうだろう。その協力者が証拠隠滅などをしていたんだろうな。僕の推理では、協力者は『見つける』方法を熟知じゅくちしている人間だろうな」

「見つける方法?」

「ああ。見つける方法を知っているということは、隠す方法も知っているということだ。

 たとえばの話、教室でかくれんぼをしたとする。お前が隠れる役なら、どこに隠れる?」

「ええと……ロッカーとかですかね」

「じゃあ、お前が隠れた人間を見つける鬼の役になった時、一番にどこから探す?」

「教卓の後ろや、ロッカーの中……ですかね。……あ」

 泉音は、夜弦が出した例えの意味に気がつく。

「そういうことだ。人間は知恵があるからな。ひとたび学習すれば、見つける側にも隠す側にもなるということだな」

「なるほど……」

 と、泉音がそんな声を漏らしたと同時。来客を知らせるノックの音がした。

「開いてる。誰だ」

 がちゃりと扉が開く。

「こんにちは。遊びに来ましたよ」

 入ってきたのは、一人の男性である。

 年のころは六十を過ぎ、七十には届かないほどに見える。一番上のボタンを開けたシャツに、値が張りそうな濃紺のうこんのジャケット。首元にはストールを巻いている。仕事で来た外国人、という風な格好の人物だ。短くまとめたグレーの髪と、鼻の下にあるガイゼル髭が特徴的である。頭にはブラウンのキャスケット帽を乗せている。

「おや、新しい助手を置いたのですかな? 可愛らしいお嬢さんですね。わたくしモリアーティと名乗っている者です。そちらの探偵とはお友達のようなものですよ。握手をしましょう。よろしくどうぞ」

 男はライトグリーンの瞳で、泉音のことを見る。優しく微笑みながら手を出す。

「……何がお友達だ」

 夜弦がぼそりと言う。

「夜弦君のお友達……」

 泉音もぼそりと呟く。

「そうですか。遠巻泉音です」

 そう言うと、にこやかに微笑み、泉音は差し出された男……モリアーティの右手を掴んで握手をした。

「おい、この部屋には馬鹿しかいないのか……?」

 握手を交わす二人をよそに、夜弦は頭を抱えている。

「今日は何の用だ。この前みたいに遊びに来ただけとか。『一緒に買い物に行ってくれ』なんてどうでもいい依頼をしに来たんじゃないだろうな。お前の猫を何日か預かってくれとかいう依頼なら、受けてやらんこともないが」

 夜弦が、じろりとモリアーティを見る。泉音と手を離したモリアーティは言う。

「残念ながら、今日は猫は連れてきていません。あなたの顔を見に来ただけですよ。ほらあなた、先月の五月五日お誕生日だったでしょう? 遅いサプライズボックスをプレゼントですよ」

「その日は子供の日だろうが。子ども扱いするな」

「ほほほ。相変わらずですねえ。なんにせよ元気そうでよかったです。あなたの死に顔と対面たいめんすることになっていたら……おじいちゃん、ひどく悲しいですからね。ほほほ」

「うるさいな。お前のせいでそこのアホもろとも吹っ飛ぶところだったんだぞ。僕が赤色が分からないの知っているだろうが」

 夜弦が言い放つ。モリアーティと手を離した泉音は「まさかアホって私のこと……?」とでもいうような表情を夜弦に向けたまま、自分の顔を指さしている。

「おや。それは失礼いたしましたね。あれは三日間みっかかんなべして作ったものでしてね。あなたへのプレゼントでしたが、いつもの、四桁よんけたのコードを入力して解除する物とうっかり間違えました。何をしたら許してくださいますかね」

「何がうっかりだ。悪いとも思ってないくせに」

「ほほほ。あなたの肉片にくへんを見ることにならなくてよかったです。まあそれはそれで、貴重な実験結果ですがね」

 モリアーティは爆弾を仕掛けた張本人とは思えないほど、笑みを浮かべて恐ろしいことをさらりと言い放った。

「あ、そうそう。かの有名な四家深弦の『作品』を置いている拝島氏の死体美術館には、彼の死に顔をかたどったデスマスクが置いてあるとか。どうですかな、空いているのなら、午後からこの爆弾魔とそれを一緒に見に行くなど」

 と、話題を切り替えたモリアーティは夜弦に言った。夜弦は面倒くさそうに顔をしかめながら答える。

「ふん、すでに死んだ犯人など見ても意味がない。僕が興味あるのは、事件と、」

「犯人、ですよね。知っていますよ。あなたは『探偵』ですからね」

「……その通りだ」

 にこにこと夜弦の言葉を引き継いだモリアーティに、夜弦は何か言いたげな顔を浮かべて頷いた。

「では、気が変わってどーーーーしても行きたくなったのであれば、わたくしに電話してください。その日はおじいちゃん、とびきりお洒落しゃれしますからね。少ない年金ねんきんをかき集めて、あなたに渡すお小遣こづかいも準備して……」

「うるさい。用がないならさっさと帰れ。警察呼ぶぞ」

「ほほほ。怖い怖い。そんなに怒らなくてもいいではないですか。せっかくの可愛いお顔が台無だいなしですよ。

 子供はニッコリスマイルが一番ですからね。ほら、あなたもたまには笑ってみては?」

 モリアーティは自分の両頬に両手の人差し指を当て、笑顔を作る。夜弦は無言のまま、机に置いてある電話の受話器に手を伸ばす。

「おおっと、爆弾魔ジョークですよ。では、今日のところは帰りますね。それじゃ」

「二度と来るなよ」

 モリアーティは夜弦に手を振ると、部屋から出ていった。扉が閉まり、やがて階段を下りる足音が遠ざかっていく。

「……あいつ、何しに来たんだ?」

 夜弦が怪訝けげんな顔で言葉を漏らした。泉音も同じことを思う。本当に顔を見に来て帰っただけだ。

「おい、手が止まってるぞ。やる気がないなら放り出すぞ」

「あ、あ、すいません!」

 夜弦に言われ、泉音は慌てて止まっていた掃除を再開した。

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