【探偵たちとそれぞれの仕事】②

 昼頃。九十九探偵事務所の一階……奥の部屋で仕事をしていた東雲は、パソコンのキーボードを叩いていた手を止めた。

 腕時計を見ると、時刻は昼の十二時を過ぎている。この事務所に出勤してから、二時間ほど休憩もなしにパソコンの画面と向かい合っていたらしい。東雲は目頭を押さえて休息をとる。

 この事務所へは週の三日ほど出てくるだけだが、まさか依頼人を弁護し、罪を軽くさせる自分が、今度はここへ来た依頼人の経歴と過去を調べ上げ、それを脅迫きょうはくのネタにするようになるとは。東雲はそんなことを思い、指を目頭からのけた。

 ふと、結城が片付け忘れていた昨日の新聞が目に入る。そこにはでかでかと『殺人鬼アーティスト再び』という文字が書かれている。どこの新聞社も、四家深弦の模倣犯の記事を大きく取り上げている。連日のニュースも同じだ。

 だが何日かすれば一般的な事件に埋もれ、忘れられてきた頃、模倣犯はもう一度世間を騒がせるのだろう。

「……」

 四年前から出現し、過去の殺人鬼と同じように死体で作品を作っている模倣犯。確かに、本人の再来と言われても当然なほど精巧せいこうなやり口だ。

 だが、所詮しょせんは模倣。「似ている」だけであって、「本人」ではない。

 東雲は頭に過去のことを思い浮かべる。とある殺人鬼と、初めて面会をした時のことを。


 四年前の十一月上旬。あれは、離婚した妻が自殺した一月後ひとつきごのことだった。

 離婚した妻の再婚相手が、浮気をした彼女から慰謝料を取りたいと相談に来たのは、まったくの偶然だったのだろう。裁判のために元妻の不貞ふていの証拠を集め、法廷で彼女を追いこんだ。それが自分の仕事だからだ。

 そのことが原因かは分からないが、彼女は酒を浴びるほど飲んだ後、自宅のベランダから飛び降りたらしい。

 彼女の葬式と通夜つやが終わって落ち着いた頃、逮捕された四家深弦の国選弁護人に選ばれた。

「……あなたの国選弁護人になりました。東雲久則です」

「こんにちは。四家しのや深弦みつるです。けいさつかんのつぎは、べんごしさんか」

 四家深弦はそう言って微笑ほほえんだ。

 ガラスを一枚挟んだ彼は、まるで子供のような人物だった。とても三百人以上を殺した凶悪殺人鬼というのが、悪い冗談にしか聞こえないほどに。

 耳にかかるほどの白い髪と、長く白いまつげ。日本人離れした顔の造形と、感情がいまいち乗っていないのっぺりとした平坦な声。とても二十七歳の成人男性とは思えなかった。

「……弁護士をつけるということは、あなたは一審いっしん不服ふふくもうてをするということです。あなたが望むのなら、死刑は回避できるように尽力じんりょくしましょう。それが私の仕事ですので。

 確認ですが、本当に、控訴こうそする流れでいいですね」

「はい。よくわかんないけど、おねがいします。

 けいさつのひとから『あなたにはべんごしをつけるけんりがあります』っていわれたから、じゃあそうしますっていっただけだし。ぼく、そういうむずかしいはなしは……よくわかんないから」

 四家深弦は平坦な声でそう言う。彼の返事を、東雲はメモ帳に書き留めていく。一審がひっくり返るわけないと思いながら。

 国選弁護人とは主に貧困などの理由で弁護士費用を負担できない被疑者や被告人に対し、国が任命する弁護士だ。国が報酬を支払ってくれるとはいえその額は低く、そのわりに仕事内容は私選しせん弁護人べんごにんと大して変わらない。 

 それに控訴審こうそしんは基本的に証拠の調べなおしなどはせず、よっぽどの新証拠や証言が出ない限り判決は変わらない。やることと仕事量は私選弁護人と同じぐらいなのに、大した報酬は出ない。だからこそ、控訴審はどの弁護士もやりたがらない仕事の一つなのだ。

 まさか、自分が国選弁護人として選ばれる日が来るとは。それも、こんな凶悪犯罪者の弁護だなんて。東雲はそう思いながらも改めて聞き直す。

「控訴の準備に取り掛かる前に一つ、あなたに聞いておきたいことがあります。この質問の答えによっては、罪が軽くなるかもしれません」

「うん。どうぞ」

 しかし、仕事は仕事だ。メモ帳から顔を上げた東雲が、四家深弦に問いかける。

「あなたが『作品』にした被害者や、被害者の家族のことは、どう思っていますか」

 のべ三百二十九人をあやめた犯人は、表情を一つも変えないまま、こう答えた。

「べつに。そういうの、よくわかんない。しぬとか、いきるとか。

 ぼくは、つくりたいものがあったから」

 言ったのはそれだけだった。のっぺりとした彼の声色にも、反省はんせいの色は微塵みじんも浮いていなかった。いや、彼は本当に、被害者や被害者家族のことを何とも思っていないのだろう。

「あと十分です」

 同席している刑務官が言い放つ。

「もう結構です」

 閉じたメモ帳を鞄に仕舞うと、東雲は席を立って部屋を出た。


 二度目の面会は、それから五日ほど経った頃だった。

「今日はあなたの過去の経歴や、家庭環境などをお聞きします。裁判の時にあなたを有利にする重要なものなので、できるだけこまかくお答えください。

 面会の時間は限られています。答えたくない、もしくは答えられない質問であった場合はすぐに言ってください」

「はい」

 ガラスを挟んで四家が頷く。面会時間は十五分だ。その間にできるだけ裁判で彼が有利になる情報を引き出さねばならない。

「私の調べによると、あなたは中学、高校でいじめを受けていたとか」

「うん。中学ちゅうがくでは足をひっかけられたり、くつをかくされたりしたね。こうこうではぞうきんをなげられたり、トイレでみずをかけられたり……。オカマっていわれたり……。ぼく、中学のとき、しいくがかりだったんだけど、ウサギがしんだとき、みんな、ぼくのせいにしたよ。ぼく、そんなことしてないのに」

 青い目をこちらに向けながら、四家が言う。中学生というのは自我が芽生え始める時期だ。日本人離れした白い髪と青い目を持つ人物がコミュニティの中にいれば、異端的いたんてきな扱いをするだろう。いじめのターゲットにされるのは自然なことだったのかもしれない。

「その後、高校に上がるも夏頃なつごろ自主じしゅ退学たいがくしていますね。辞めたのは、そのいじめが原因ですか?」

「どうだろう……わすれちゃった。でも、こう校じゃいつも、ぼくをかばってくれる子がいたよ」

「それは誰ですか?」

四月一日慶わたぬきけいくん。いつもね、ぼくといっしょにいてくれたんだよ」

 四家は嬉しそうに言った。その人物とはつい先日、四家深弦が起こした事件資料を見せてもらう際に会話をした。飄々ひょうひょうとしていてつかみどころがなく、いまいち警官らしくない男だった。

 四家が言ったことを、東雲はメモ帳に書き留めていく。高校時代のいじめによって精神的な苦痛をい、それによって殺人さつじん衝動しょうどうが生まれた……という方向で酌量しゃくりょう軽減けいげんねらったが、なにせ殺害した人数が多すぎる。この理由では無理だろう。

 当時の同級生だったという人間に話を聞くにしても、連続殺人犯の弁護士が現役刑事に何度も接触するのはいい印象にはならない。こちらも現実的ではない。

 東雲は話を変える。

「質問を変えましょう。家庭環境や家族についてうかがいます。

 あなたは六歳から十五歳まで母親と二人暮らしだったと聞いています。十五歳の時に母親が亡くなるまで一緒に暮らしていたとか。間違いないですか?」

「うん。おかあさんといっしょだったよ。おかあさんが、しぬまでね。

 おかあさんはさいごまで、ぼくの手をつかんでいってたんだ。みつる、みつるって。おかあさんの手はね、ほそくて、ほねがゴツゴツしてて、ちょっとこわかったなあ」

「母親の遺体は損壊そんかいが激しく、腐敗ふはいが進んでいたとか」

「あー、うーん……どうだったかなあ。あの日、おかあさんのかれしがいえにきて、おかあさんをいっぱいなぐったから。

 ぼくもなぐられて、あたまからちがいっぱいでて、クラクラして、あかいちが、きれいだなっておもったよ。そのあとはけしきがくらくなったから、わかんない」

 警視庁で目にした資料によると、彼の母親は十五歳で妊娠し、一人で出産しゅっさんした。相手の男は同じ中学のクラスメイトだったと聞いている。

 母親の死亡時の年齢は三十一歳。警視庁の資料室で見た彼女の遺体の写真は、頭や顔などをひどく殴られた跡があり、無残むざんなものだったが、生前せいぜんは美しい人物だったのだろうことがうかがえた。

 彼女の直接の死因は脳内の出血と判断されている。しかし遺体には、人為的じんいてきに手を加えられた形跡があったのだ。

「ぼくがおきたときには、いつのまにか、おかあさんはしんでたし」

 四家は浮かべている表情を微動だにさせない。かすかに笑っているようでいて、子供がぼうっとどこか遠くを見つめているような顔。感情が死んでいるというような比喩ひゆ表現ひょうげんではなく、本当に母親のことも、それ以外のことも、何も感じていないのだろう。

「……母親の遺体には、手を加えられていた形跡がありました。

 詳しく言うと、ネックレスやブレスレットをつけ、遺体の目には宝石が埋め込まれていたそうです。そのことに覚えはありますか?」

 四家は答える。

「おかあさんはね、きれいなものと……たかいバッグがすきだったんだ。

 おかあさんがしごとのじゅんびをしてるとね、おけしょうしてるおかあさんのまわりが、きれいにひかってたんだよ。だから、しんだあともきれいにしてあげたいなっておもったんだ」

「……そうですか」 

 その言葉で、東雲は理解する。すなわち彼が最初に『作品』にしたのは、自分の母親だったというわけだ。

「……あ、おもいだした。ぼくがこう校やめたの、おかあさんがね、『あんな馬鹿な奴らと一緒にいなくていい』っていったんだった」

 と、彼は日記帳の思い出を語るように言ってきた。その話は聞き込みをした内容と一致する。

 若いうちに出産した彼の母親は髪を派手な色に染め、下着が見えそうなほど短いスカートを履いて香水こうすいを振りまき、周りからかなり浮いていたようだ。若くして子供を持った反動といえば、仕方がないと言えるのかもしれない。

 彼は母親を『作品』にするまで、いじめにっていたものの、普通の人間と変わらない生活を送っていたらしい。「いつ」、「どこで」、彼は三百人以上殺し、解体し、繋ぎ合わせ、『作品』を生み出す恐ろしい殺人鬼になったのだろう。それとも最初からそういう人物だったのだろうか。いずれにせよそれが分からなければ、彼の死刑をひっくり返す決め手にはなりえない。

 仕事とはいえ彼の死刑判決を退しりぞけても、彼は数年の禁固刑を受けるだけで、当たり前に世の中に出てくるのだが。

「あと五分です」

 刑務官が残り時間を知らせる。東雲は最後にこう尋ねた。

「母親のほかに、心をゆるせる人物はいましたか? たとえば、祖父母そふぼ親戚しんせきなど」

「おじいちゃんとおばあちゃんには、おかあさんがあわせてくれなかったし。おとうさんも……ぼくはしらないし。でもぼくは、おかあさんがいればよかったよ。学校はいやだったけど、やめるまで、ともだちは……けいじくんがいてくれたから」

 時間の無駄だったかと東雲は思う。この内容も資料と大して変わらない。東雲は鞄を膝に置き、あからさまに帰り支度じたくをする。

「でもね、」

 と、四家が言った。東雲は鞄を閉めていた手を止める。

「おかあさんがいってたんだ。

 みつるはさんばんにうまれたから『みつる』なんだって。ぼくがうまれるまえに、ぼくには、おにいちゃんが二人いたんだって。だからぼく、さびしくなかったよ。ぼくはその二人にあったことがないから、こんどはぼく、おとうとがほしいっておかあさんにいったんだ。

 そうしたらおかあさん、ぼくにね、きっといいおにいちゃんになるねっていってくれたんだよ」

 彼は薄く微笑む。東雲は時間が来る前に、部屋を出た。


 十二月じゅうにがつなかばに開かれた彼の控訴審こうそしんは、一審通り死刑だった。

「四家被告の弁護人、何か言うことはありますか?」

「何もありません」

 裁判長の問いかけに東雲は答え、開いたファイルなどを片付ける。

 死刑判決を覆すことはできなかったが、これで自分の仕事は終わった。彼は二週間後に死刑が執行される。そうすれば文字通り、この先、彼と関わることもない。

 雇ってくれている法律事務所に戻った彼を、受付係の女性が血相けっそうを変えて出迎えた。

「東雲先生! 先生の個人情報や誹謗中傷が、日本司法支援センターのホームページに書き込みされています……! この事務所のホームページにも!」

「は?」

 一瞬意味が分からなかった。自分が四家深弦の国選弁護人になったというのは限られた人間しか知らない。すなわち裁判の時に彼の弁護士として顔を見せたことで、同席していたその場の誰かが誹謗中傷などを書き込んだのだ。彼の死刑を撤回しようとしている弁護士は、被害者にはさぞ憎く映ったことだろう。

 受付係の女性がパソコンに画面を見せてくる。問い合わせに来たメールの内容には、『馬鹿』や『死ね』といった端的な罵詈ばり雑言ぞうごんが並ぶ文章から、どのように手に入れたのか、高校生になったばかりの娘の写真や名前までしるされている。

 東雲が、送られてきた著作権侵害と個人情報保護法違反のメールにため息をつく。

「東雲君。ちょっといいかね」

 それと同時、雇い主の弁護士に肩を叩かれ、別室に案内された。

「……まずはお疲れ様。何と言ったらいいか分からないが……とにかく、君は自分の仕事をこなした」

「……ありがとうございます」

「けれどね、正直に言おう。うちとしても、巻き込まれたくない」

「……」

「弁護士とはそういう仕事だ。どんな犯罪者でも弁護される権利はある。仕方ないと思うさ。

 でもね、私もここにいるほかの人たちを守らねばならない」

 その中に、自分は含まれていないのかと東雲は思う。だが言葉にはしない。雇ってもらっている立場でそんなことが言えるわけもない。

「自分から、めてくれないか?」

 ここで突っぱねてもどうにもならない。東雲も、そのことは理解している。無理を言って、自分がここに居続けるほうが周りに迷惑だ。

「……そうですね。そうします。お世話になりました」

 東雲は席を立ち、そのまま、その事務所を去った。

 それから他の弁護士事務所を回るも、四家深弦から飛び火した恨みをまとわりつかせた彼を、雇ってくれる所は一つもなかった。

 ある日、キリハラと名乗る人物が突然家に来て、「いい職場を紹介してあげる」と言ってくるまでは。


 扉がノックされる。

「はい」

 返事をすると、扉を開けた結城が顔だけを覗かせた。

「東雲さん。キリハラさんから電話が来てましたよ。昼頃に電話頂戴って」

「用件は聞きましたか?」

「言ってませんでした!」

「そうですか……」

 東雲は眉間を押さえてため息を吐き出す。もう一年以上の付き合いだが、彼は恐ろしく頭が悪い。こんな若者が社会に存在しているのかと唖然あぜんとしてしまう。集中力もないので、いまだに掃除と整頓せいとんしか任せられない。朝の掃除も、スマートフォンをいじりながらなので昼頃までかかる。

「……ところで結城君。内線電話の使い方は教えたでしょう? わざわざ部屋まで来なくていいんですよ」

「あ、すいません! 内線電話ってやつ、使いにくいしめんどくさいので、つい! 俺、普段使ってるのは全部スマホなもので!」

 言葉を返すと、結城はわるびれる様子もなく笑った。まったく頭が痛くなる。

「……分かりました。私からかけ直すので、もう行って結構ですよ」

「はーい! あ、ベルちゃんとメルちゃんが今から出勤するって電話があったんで、俺、迎えに行ってきます! 買い出しもついでに行くんで、お菓子とか欲しいもんあります?」

「私は何もいりません。言っておきますが、買い出しは必要なものだけでいいですからね。この前みたいに、三万円分のお菓子はいりませんよ」

「分かってますって!」

 軽く返事をすると、結城は顔を引っ込めた。

 東雲は眉間から手をどけると、スマートフォンを取り出して画面を操作する。呼び出し音が鳴る端末を耳に当てていると、相手が出た。

『はーい。こちらキリハラ便利探偵事務所ですぅ。モットーは『ご自宅の警備から情報操作、武器ぶき密輸みつゆに戦争の代理まで』幅広はばひろく対応いたしますよぉう』

 キリハラの声の奥で、風の音や、大勢の話し声らしきものが聞こえてくる。外の音だろうか。

 この人物は新たな働き場所としてこの事務所を紹介してくれた。直接顔を見たことはないが、裏の人間であることはなんとなく分かる。所長の神凪さんと、地下にいる探偵の黒瀧さんはキリハラさんと何度か会ったことがあるらしい。三人がどういう関係なのかは知らない。

「お疲れ様です。今お時間よろしいでしょうか」

『あー、そうだね。五分ならいいよぉ。電話してくれたってことは、助手君から聞いたかな?』

「いつも助手がすみません」

『いやいや、いつも思うけど、そっちの助手君、元気があっていいねぇ』

「それで、どのようなご用件でしょうか」

『うん。ちょっとさぁ、うちのサイト経由で追跡と解体の仕事が入ったんだけど、どうする? やらないなら、こっちで受けるけど』

「申し訳ございませんが、二階はすでに仕事を受けておりまして。依頼を停止させてもらっております。四階も今は忙しいようで、連絡がつきません」

『そっかー。残念。じゃ、二つともうちでもらうよ』

「そうしてください」

 キリハラはこうして何かと仕事も回してくれる。得体えたいの知れない人間だが、仕事は真面目にするようだ。

『ところで話変わるけど、この前また、四家深弦の模倣犯の事件があったよねぇ。

 東雲さんって本人に会ったことあるんでしょ? 新聞に書かれてたみたいに、本人の再来だー、とかって思ってるの?』

 キリハラは話を変えてきた。東雲は正直に答える。

「私としては、別に何とも」

『へえ。どうも思ってないの。なんで?』

「なんでと言われましても、興味がないので」

『……ってことは、あの模倣犯の正体も興味なし?』

「はい。まあ」

『あれー。それはちょっと意外だな。模倣犯の正体は親族とか友人とか、誰よりも興味があると思ってたのに』

「私は弁護士です。事件に深入りするのは警察の仕事ですよ」

 東雲は低い声で淡々と返す。東雲は、仕事以外で対象に関わるべきではないという考えの持ち主だからだ。

「そもそも、彼の家族は母親だけと聞いています。友人はいたようですが、高校を中退してからは疎遠そえんになったと本人も言っていましたし。親族や友人が彼の代わりに犯行を続けるのは、難しいかと」

『うーん、確かに。じゃあ、あの模倣犯の正体って、誰なんだと思う?』

「少なくとも、親族や友人以上に彼のことを理解した人物でしょう。

 たとえば彼のくせなどの細かいところはもちろん、思想しそうまでもを観察かんさつし、『四家深弦』という人間を一番深くまで理解した人間……まあ、そんな人間は存在しないと思いますが」

『なるほどぉ。面白い推理だね。さすがは探偵事務所の人間だ』

「やめてください。ここはそんな場所ではありません」

 キリハラの言葉に、東雲はきっぱりと返す。

「私に聞くより、あなたの方がくわしいのでは?」

『んふふ。さあ。どうだろうねぇ。うちは情報屋もねてるからねぇ。知ってても、タダでは言えないなぁ』

 知らないとは言わなかった。それに、明らかに何かを掴んでいるような声色こわいろだった。

 キリハラ便利探偵事務所はあらゆる取引や情報を扱う場所だと聞いている。もしかしたら、くだんの模倣犯に何かの協力をしているのかもしれない。聞いても素直に教えてはくれないだろうが。

『まあいいや。また仕事が入ったらそっちに回すよ。そろそろ切るね』

「はい。お時間をいただきまして、ありがとうございました」

『うんうん。困ったことがあったらいつでもうちに…………あ、やばい! じゃあね!』

 ぶつりと通話が切られる。東雲は、ツーツーという発信音が鳴るスマートフォンを操作してホーム画面に戻す。

 通話が切られる前。彼女の声の奥で学校のチャイムらしき音が聞こえたのは、気のせいか。


 さらに同時刻。警視庁にいる笹森警部補は坊主頭をがりがり掻きながら、深いため息を吐き出していた。

 もう何日、家に帰っていないのかも分からなくなった。先日の模倣犯の被害者といい、その人物が持っていた携帯電話の解析。そして当たり前だが、一般的なほかの事件も次々舞い込んでくる。一息つくひまもない。

「……」

 笹森警部補は手元にある報告書を取り、昨晩のことを頭に起こした。

 昨夜七時頃。小学生の娘が帰ってこないとの通報が入った。

 いなくなったのは近くに住む小学二年生の内海理央うつみりお。八歳。学校が終わっても帰ってこないことを不審ふしんに思った親は、彼女の友人宅や祖父母宅、親戚中にかたぱしから電話をしたが、警察に通報したということはそういうことだ。一時間ほど前、やってきた彼女の母親は両目を真っ赤にらしてハンカチを握りしめ、父親も憔悴しょうすいしきった様子だった。

 当然だろう。今、この国には子供も関係なく無残むざんな遺体に変えた殺人鬼を真似する人間がいる。もしかしたらと考え、両親は気が気じゃないだろう。

 周辺の聞き込みによると、外国人風の金髪の女性が理央ちゃんに接触しているのを見たという人間がいた。この国の中心部で金髪の女性……それに、外国人なんてくさるほどいる。被害者に接触した一人を探すのは、キリハラ便利探偵事務所のサイトを探すのと同じく、かなり骨が折れそうだ。

「笹森警部補。どこへ?」

 椅子から立ち上がった笹森警部補に、彼の部下が話しかけてきた。目頭を揉みながら答える。

「……一時間だけ仮眠をとる。起きたら聞き込みに行くぞ。お前も休んでおけ」

「分かりました。その時は、あの探偵も呼びますか?」

「あいつはいい。言ったってどうせ来ない」

 笹森警部補は答える。

 あの男とは昨日、探偵集団のことを話して以降、顔を合わせてすらいない。いつまでたっても顔を出さないことに本人の携帯に電話をかけてみたが、『おかけになった電話番号はお繋ぎできません』というアナウンスが流れるのみだった。

 ホテルにも電話をかけてみたものの、すでにチェックアウトしていると言われた。それとなく行き先を尋ねたが、何も知らないという。いったいどこにいるのか。

「……うちに来る探偵ってのは、どいつもこいつも勝手な奴ばかりだ。探偵集団というのなら、もっとましな探偵をよこしてもらいたいもんだ……」

 笹森警部補はため息まじりに、そんな愚痴を漏らした。

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