【女子高生と探偵事務所】③

 その頃警視庁の捜査一課では、仮眠を終えた笹森警部補が部署に戻ってきていた。

「笹森警部補。お疲れ様です」

「……誰かと思ったぞ」

 話しかけてきた人物に、笹森警部補は驚きながらも返す。笹森警部補はゆるめたネクタイを左の肩越しに後ろへひっかけ、ジャケットを腕に抱えている。

「そうですかね。あまり変わらないと思いますが」

 声をかけてきたのは、先日、四家深弦の模倣犯の現場に同行していた男であった。

 顔にほどこしていたメイクはすっかり落として素顔すがおがあらわになっており、まともな人間らしく白のシャツと簡素なズボンに着替えている。つい数日前、死体を眺めていた人間と同一人物とは思えないほどの見た目の変わりようだ。

随分ずいぶんひまそうだな」

「そうですね。まあ休憩きゅうけいちゅうなもので」

 とだけ、男は返す。誰かの席に座り、書類を片手に一人だけのんびりと椅子に座っている。笹森警部補の後ろではほかの刑事たちがいそがしそうに走り回っている。その光景が見えているはずなのだが、男は一向に席を立とうともこの場から離れようともしない。

「……一応、聞く。手伝う気はないのか?」

 笹森警部補は、頭をがりがり掻きながら言ってみた。

「おや、ご冗談じょうだん? 私は警察ではありません。あなた方との契約は、あくまで四家深弦のことに関してです。そういう、おもしろみのないことまで協力しろとは言われていません。

 手が欲しいなら、警視庁の裏に可愛らしい野良のらねこちゃんがいましたよ。その猫ちゃんの手でも借りたらどうですか?」

 男は報告書に目を落としたまま返す。メイクを落としても、人の神経を逆撫さかなでさせる言い方は変わっていない。周りにいる人間たちからの視線が鋭くなるのを、笹森警部補は背中で感じる。

「……今日はあの妙なメイクはしていないんだな。まともな格好ができるのなら、最初からしてもらいたいものだが」

「あれはただの趣味しゅみです。好きな映画のキャラがああいうメイクをしていたのでね。それを真似しているんです。なので、あのメイクに特に意味はありませんよ」

 そう言って薄く微笑んだ。気の弱そうな女性ならば一瞬でとりこになるような、怪しい魅力を浮かせた笑みだ。

 男の素顔を見るからに、年のころは三十代ほどに見える。多少張ったほほぼねに、うっすらと浮いているそばかす。高い鼻と薄い唇。ひとみの周りにある虹彩こうさいの色は、黄色みの強いグレー。ヨーロッパ系の人種に多い目の色だ。

「笹森警部補。さっきから私の顔を見ているようですが、そんなに不思議ですか? 『探偵』を名乗った私が、こうやってあっさりと素顔をさらしていることが」

「……」

 心の中を読まれ、笹森警部補は思わず黙る。男は言葉を続ける。

「私にとって、素顔を見られることは特に重要ではないからですよ。いざとなれば整形で顔も変えられますしね。

 私以外にも、探偵集団の人間は全員、そういうものなのです」

 男は報告書から顔を上げ、さらに続ける。

「探偵集団スカーレットというのは、全員が『探偵であること』を刻み込まれた人間の集まりです。全員が文字通り『探偵』であり、事件を解決させるために生み出された存在です。

 あらゆることを学習し、推理し、犯人を犯罪不可能な状態になるまで追い詰める。いかなることになっても、自分は“探偵”でなければならない。そういう洗脳せんのうをされているのですよ、そこにいる『探偵』の全員がね。

 ですので、そこの『探偵』たちにとって、素顔を見られようが素性すじょうを暴かれようが、それが個人を止める理由にはなりえないのです。私もね」

 そう言うと男は、持っていた報告書をばさりと近くの机の上に放り投げた。

「ところで笹森警部補。先日の模造犯の『作品』……いえ、被害者について。面白いことが分かったようですね」

「……ああ」

 放り投げた報告書に目をやりながら男が言う。笹森警部補も頷く。

 彼が読んでいた報告書には、先日、駅で発見された被害者の身元と経歴がしるされている。笹森警部補を含むほかの刑事たちが寝ずに捜査した結果だ。笹森警部補は、すでにその報告書を読んでいる。

 先日発見された被害者の名は、矢吹やぶきただやす。三十八歳。近くの小学校で教師をしており、受け持ちは二年生だったようだ。

 彼の同僚などによると、保護者との衝突しょうとつはあったものの、生徒やほかの教員とも良い関係をきずき、生徒にも人気だったらしい。

 だが彼のことを調べるうち、恐ろしいことが判明した。矢吹は表向きでは問題のない人物に見えたが、裏では児童じどうばいしゅんとポルノ動画どうがの収集が趣味しゅみの人間だったのだ。それも、自分の職場で見守るべき対象の児童と同じぐらいの年齢の子供を金で買いあさり、その娘たちと不埒ふらちな関係を持っていた。そして中学生になる自分の娘に、そういう行為こういもしていたようだ。

 報告書に書かれている内容は読むだけでも吐き気を覚えるようなものだが、悲しいことに、その結果に嘘や間違いはない。

 二日前、あんな形で模倣犯の『作品』にならなければ、一生出てこなかった真実だったろう。

「表向きではいい先生。裏では児童じどうばいしゅん常連じょうれん。うっふふふ……。まさに、『羊の皮を被った狼』ですねえ。人は見かけによらない、ということです。ああ、怖い怖い……。うっふふふふ……」

 男は何が楽しいのか、肩を揺らして笑った。

「被害者の携帯電話も回収かいしゅうしたのでしょう? 今調べている最中だとか」

「ああ。今日の夜か、明日の朝には結果が出るだろう」

「最後の通話履歴は『キリハラ便利探偵事務所』というところからになっていましたよ。

 知っていますか? そこのモットーは『ご自宅の警備から情報操作、果ては武器ぶき密輸みつゆに戦争の代理まで。幅広はばひろく対応いたします』というものでしてね。どういう伝手つてなのかは知りませんが、金額次第で様々な物を用意してくれるんです。

 そのほか、元犯罪者や現役げんえきの犯罪者が集まり、自身の技術を売ったりしている闇サイトを運営しています。先日の被害者は、このサイトの利用者だったようですね。

 キリハラさんには私もこの国に入る時お世話になりましたが、この事務所に辿り着くのは……とても骨が折れますよ」

 そう言ってにっこりと微笑みかける。

 男の言い方に、笹森警部補は怪訝けげんな顔をする。その一秒後、男の言葉の意味を理解した。同時、頭を押さえ、ため息を吐き出す。

「あ、ご心配なく。指紋しもんはつけておりませんので」

 男はにこにこと追い打ちをかけてくる。まったく頭が痛い。笹森警部補は、もう一度深いため息を吐き出す。

「あなたたちの仕事ですのでね、黙っておこうと思ったのですが……このままでは捜査が進まないだろうなあと思ったので、ついしゃべってしまいました。お役に立てばさいわいです」

 ここの人間たちと同じく、寝ずに通話履歴やメールを調べている解析かいせきはんがその言葉を聞いたら、彼らの怒りは一瞬で頂点にたっすることだろう。殴られていないことが奇跡に近い。

「そういえば事務所で思い出しましたが。この前の爆弾騒ぎで現場に来ていたあの女性。どなたですか? 探偵事務所とか聞こえていましたけれど」

 と、男は不意ふいに話題を変えて聞いてきた。市立南原高校にいた九十九のことを言っているのだ。

 あの時もこの男は現場にいたが、自分が出ることではないと車の中で待機していたのだ。そして笹森警部補が車に戻った時には、あろうことか後部座席に寝転び、上着を顔に乗せていびきをかいていたのである。

 その時の怒りをしずめながら、笹森警部補は答える。

「あれは黒瀧……この前、写真を撮りに来た奴が所属する探偵事務所の所長らしい。聞いてるのはそれだけだ。事務所がどこにあるのかも知らん」

「ほう。探偵事務所ですか」

「あいつらがどうかしたか。四家深弦の事件以外、興味がないんじゃなかったのか?」

「ふふ、その通りです。ですが……そちらの事務所は少し興味深いですね。ほら、私も『探偵』なもので。

 笹森警部補、あなたは『探偵』の作り方を知っていますか? 『探偵』は全員、洗脳を施された人間で……おっと、この話の続きは外でしましょうか。そろそろ私、誰かに殴られそうですし」

 男は、ようやく椅子から立ち上がった。

 笹森警部補が周りを見ると、ほかの刑事たちが「なんでもいいから早く出ていけ」という風な視線を男に送っている。

 そういうことをさっせられるのなら最初からやれと思いながら、笹森警部補は頭をがりがり掻く。出入り口に向かう男の後に続き、笹森警部補も部屋を出た。


 部屋を出た二人は、廊下を歩いている。

「『探偵』の作り方というものはですね、笹森警部補」

 と、ななめ前にいる男が言った。本当にさっきの話の続きらしい。男は話し始めた。

「まず国籍こくせき人種じんしゅ問わず、特に知能ちのう指数しすうが高い人間をさらい、外の世界との繋がりを一切いっさい遮断しゃだんした暗い部屋で寝起ねおきさせます。そして与える食事や飲み物にも薬を入れ、精神がこわれる寸前すんぜんまでくすりけにします。

 現実と妄想もうそう曖昧あいまいになった頃、暗示あんじ洗脳せんのうをかけるのです。今までのお前の人生は偽物にせものだ。これからの人生が本物だと何度も言い聞かせます。それ以外は何も喋りません。そうすると人間というのは都合のいいもので、今までのお前は偽物だと言われ続ければ、やがて今までの自分を勝手に否定し、自然にきれいさっぱり忘れてしまいます。個人の趣味や嗜好しこう、好物や好きな曲にいたるまでね」

 黙って聞いている笹森警部補に、男は続ける。

「薬と暗示により元の自分さえも思い出せなくなったら、次は『探偵集団の一人』だということをんでいきます。部屋に設置されたスピーカーから朝から晩まで『お前は探偵だ』という機械の声を聞かせ、さらに深く暗示をかけます。これにより、さらに『探偵』というのを刻み込みます。時間はかかりますが、その洗脳により、解決させるべき事件や『分からない』ことに対して、自動的に推理、観察、事件解決に必要な学習をするようになります。

 最後に位置情報を発信するマイクロチップを脳に埋め込み、探偵集団の『探偵』が完成します。大量の薬物を投与されたせいで、作られた『探偵』たちはみな、歳をとりにくくなるのですよ。個人差はありますがね」

 男はさらに、淡々と付け加えていく。

「ちなみにですが、埋め込まれたチップは脳の奥に入れられていましてね。手術で摘出てきしゅつするか、何か大きな衝撃しょうげきで破壊するしかできません。うまく破壊できたとしても、バラバラになった破片が周りに刺さるような場所に埋め込まれているので、最悪、目が見えなくなったり、手が動かなくなったりするでしょう。手術で取り出すのが一番でしょうね。

 まあこの装置が壊れても、『探偵』の洗脳はなかなかけませんが」

 男はさらに付け加える。

「しかし時々、完全に消去された自分を追いかけ始める『探偵』などが出てきたり、犯人に感化かんかされて洗脳が解け、自我じがを持ち始めてしまうものがいるんですよ。

 たとえば、担当するテロリストを追う内に爆弾の作り方を覚え、自我を持った『探偵』や、担当する事件と犯人を追っている最中、捕まって行方不明になった『探偵』など。ほかには……詐欺師さぎしに感化されて、人をだます探偵という矛盾むじゅんした存在になったものなど。まあ、捕まるのは結構多いですからね。私が聞いたことあるのはこれぐらいですかね」

「そういう場合は、どうするんだ」

「そういうおかしな不具合ふぐあいを起こしたものは、すぐさまほかの『探偵』を派遣し、回収後処分します。元『探偵』が、ほかの『探偵』が魅力を感じる事件を起こすと判断した場合はそのまま経過けいか観察かんさつですが。あ、警察であるあなたの前で言うことではなかったですね」

 男は軽く笑いながら言う。経過観察ということは、元『探偵』が大きな事件を起こすまで何もしないということだ。説明されなくとも、笹森警部補はそのことを理解する。

「……処分というのは?」

「言葉通り、生命活動を停止させることです。眉間に銃を突きつけて、バン、ってね」

 男は左手を銃の形にし、上に跳ね上げた。

「刻み込まれた暗示の中には、自らの命を守るということも含まれていますのでね。あなた方より、私たちのほうが上手く銃は使えますよ」

 そう言ってにやりと口角を上げて笑う。

「先程、ほかの『探偵』や私が、素性を暴かれようがどうでもいいと言いましたね。それは、もともとあった『自分』というものをきれいさっぱり忘れてしまっているからですよ。ですから、元の自分の名前や素性を暴かれようと、探偵集団にはどうでもいいのです」

 そう言い放つと、男は話を変えた。

「そういえば笹森警部補。あなた先日、私を疑っていたでしょう? 私に対して引っかかりを覚えた顔をしていましたよね。うふふ、私が四家深弦の模造犯だと?」

「……」

 あの時思っていたことを言い当てられ、笹森警部補の顔がまる。

「刑事のかんというやつですか。そればっかりは我々には学習できないので、その直感ちょっかん、大事にしたほうがいいですよ」

 男は意味深に目を細めて笑う。模倣犯が自分ではないと、否定はしなかった。

「話は以上です。私は一本吸ってからホテルに戻ります」

 箱から出した煙草を一本くわえる。世界中に散らばる探偵集団は、どのようなホテルでも宿泊できると、昔、その『探偵』の一人に聞いたことがある。笹森警部補はそれを思い出した。

「『探偵』が煙草を吸うのは意外ですか? 顔に書いてありますよ」

「……」

 またもや男に心の中を言い当てられ、笹森警部補は黙る。

「確かに、私も煙草というのは興味がありませんでしたが……味を覚えてしまうと、なかなかうまいですね、これ」

 くわえた一本を指でつまんで口から離し、笹森警部補に見せる。ズボンをまさぐってライターを出し、慣れた手つきで火をつける。

「笹森警部補。もしも私と連絡がつかなくなっても、気にしないでくださいね。私がいなくなっても、すぐに次に『探偵』がやってきますから」

 男は煙をきながら言う。

 それから数時間後。一人の少女が家に帰っていないとの通報が入ることを、笹森警部補はまだ知らない。

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