【女子高生と探偵事務所】②

「……なんかすごい音がしましたけど、大丈夫なんですか?」

 夜弦がいる下の階では応接間のソファに座っている男が、天井を見上げていた。夜弦が椅子から転げ落ちた時の音のことを言っているのだ。

「また、三階の子が居眠りしてて椅子から落ちただけだと思いますので、大丈夫です」

 向かいに座るシエスタがにこにこしながら返す。

「……そうですか」

 男はそれだけ言う。二人にとっては、上で何が起きているのかは知るよしもない。

「じゃ、話を戻しましょう。確認ですけど、依頼の内容は逃げた人を探すっていうのでいいんですよね」

「ああ。それでお願いします」

 シエスタの言葉に、男が頷く。年は四十ほどか。スキンヘッドが特徴的だ。

 この男は、九十九探偵事務所の二階で捜索と追跡を担当している『探偵』シエスタ・ルードリヒ・シュタイナーに、仕事の依頼をしに来たのである。

 この部屋には、彼らを含めて三人の人間がいる。部屋の外では、付き添いで来た二人の男が、彼らの話が終わるのを立って待っている。

「すいませんね。先月に続いて、また仕事の話だなんて」

「いえいえ。気にしないでください。私も、そっちの皆さんにはいつもお世話になっているので」

 男の言葉に、シエスタは手をぱたぱた振ってフォローする。

「……恥ずかしい話ですよまったく。親父がゴルフでいない間、事務所の金庫をぶっ壊して開けて、中の金を盗んで逃げるなんて。

 親父の行きつけの店の女とコソコソ組んでたようですがね、たかが二千万に目がくらんで、残ってた自分の人生棒に振っちまうなんて。

 男と女、そろって、ああも馬鹿だとは思ってなかったですよ」

 依頼に来た男が、頭髪のない頭を掻きながらぼやく。声にはやわらかい印象を受けるが、言い方と言葉は冷たい。ボタンを開けたシャツから、胸元に刻まれた刺青いれずみが覗いている。

「大変なんですねえ……。あれ? 先月も、そんなお仕事受けましたよね。えっと……」

「先月の五月二十八日。対立している暴力団の構成員を銃で撃った後、逃走した男を探してほしい、という依頼を受けましたね」

 シエスタの言葉の途中で、部屋にいるもう一人の女性が割り込んだ。声と口調からして、真面目できっちりしている性格の持ち主だということがうかがえる。

 着ているのは一番上までボタンを閉めたシャツに、身長に合った上下グレーのスーツ。派手過ぎず、かといって薄すぎない程度のメイクに、邪魔にならないよう耳の下で切り揃えられた髪。

 この女性の名を、みや貴子たかこという。二階の『探偵』、シエスタの助手をつとめる女性である。

「そうですね。あの時は、死体の処理までそちらの事務所でお任せしましたね。ほんとにすいませんね、毎回毎回。こういう仕事なもんで、死体がえない」

 男は肩をすくめながら言った。

「探し方はいつも通り任せますが、今回はなるべく生きたままでお願いします。金の場所も吐かせにゃならんのでね。これ、前金まえきんです」

 シエスタが聞くと、男は懐から分厚い茶封筒を取り出した。貴子がそれを受け取り、すぐに中を覗く。中身は紙で留められた一万円札の束が一つと、その半分の厚さの束がある。封筒の中には、百五十万円が入っていた。

「とりあえず、前金として百五十万用意しました。残りは仕事が終わったら渡します」

 男が言う。

 封筒を覗いている貴子が、シエスタと目を合わせて頷く。この額で依頼を受ける、という意味だ。

 貴子は封筒を机に置き、男に聞く。

「発見したのは何時なんじごろですか?」

「だいたい……今日の朝七時頃ですかね。

 空港と事務所の周辺はすぐに張ったんで、遠くには行けていないと思います。家や店、女の所に来たっていう報告は、今のところないです。組んでた女を裏切って、一人で逃げているんじゃないかと。

 派手な金の使い方をしてる奴がいるっていう報告も、今のところありません」

 男は腕時計を見ながら答えた。貴子は、その時刻をメモ帳に書き込んでいる。

「今が昼過ぎだから、結構前だね。そっちでも見つかってないってことは、どこかに隠れてるのかなあ」

 シエスタがのんきに貴子に言う。どうでしょうね、と貴子は真面目な雰囲気を解かずに返した。

「どこか思い当たる場所はありますか? よく使ってた場所とか」

「そうですねえ……」

 シエスタの質問に、男は腕を組んで悩む。

「そいつが使ってた場所じゃないんですけど、一つ、思い当たる場所はあります。

 この街から二時間ぐらいの山奥に、拝島はいじま医院いいんってところがありましてね。とっくの昔に潰れた病院なんですが、昔、なんかの凶悪犯が隠れ家にしてたっていうので、うちらの界隈かいわいでも誰も近寄ちかよりませんね。

 あそこの道は整備もされてないらしいですし、草も伸び放題で人は入れないって聞いたことがあります。逃げ込むにはうってつけでしょう」

「分かりました。においを追えたら、まずそちらに向かってみますね」

「お願いします。

 これ、逃げた奴が普段ふだんから着てたジャケットです。いつも、においがついている物だけでいいと言っていたので、これぐらいしか持ってきてません」

「あ、十分じゅうぶんです。すっごく助かります。さっすが、お得意さんだから話が早い!」

「そう言っていただけるのは嬉しいですがね。できればこの話は、昼じゃなくて朝にしたかったですよ」

「す、すいません……」

 上着を受け取ったシエスタは一転してしょんぼりする。遠回しに遅刻のことを言われているのだ。この部屋を開けて依頼人を入れても、助手の貴子では仕事の話を進められない。シエスタも、そのことは分かっている。

 分かっているうえ規格外きかくがいの遅刻をするので、よっぽどたちが悪い。

「すみません。この探偵にはよーく言い聞かせておきますので」

 貴子はにこやかに言うと、シエスタをぎろりとにらんだ。

「え、ええと……今から追うと夜になって危険なので、追跡は明日からになります。それでもいいですか?」

「はい。何か必要なものがあれば言ってください。用意します」

「車と、何人か連れてきてもらえますか? タカコちゃんの車は弟さん以外乗せたくないらしいし、私も免許持ってないので。私たちの送り迎えと、捕まえた人の回収を」

「分かりました。じゃ、明日の朝に迎えに来ます。起きててくださいね。昼から動くなんて嫌ですからね」

「うう、早起きは苦手ですけど、頑張ります。今日はここに泊まります……」

 そう言うシエスタの声は明らかに自信がない。早起きは苦手なようだ。

「そうだ。いつまでに、っていうのはありますか?」

「早ければ早いほうがいいですね。そのほうがうちも助かります。期待してますよ、探偵さん」

「探偵って……。私、そんなんじゃないんですって……」

 皮肉っぽく口角を上げて笑う男に、シエスタはぶつぶつ言った。

 話を終えた男が席を立つ。見送るために、二人も立ち上がる。

「また所長さんによろしく言っといてください。あの人と、ここの事務所は敵に回したくないんでね」

「ここはただの探偵事務所ですよ」

「は。どうだか。キリハラさんの事務所といい、ここといい、探偵事務所って書いてるところに、ろくなところはないですよ」

 男はシエスタと貴子を見ると、意味深に口角をあげて笑う。

「うちらはね、あんたらは敵に回したくないんですよ。『探偵事務所』なんて、よく言ったもんだ」

「申し訳ありませんが、仕事以外のお話なら聞く気はありませんよ。そちらの御門みかど興行こうぎょう事務所じむしょだって同じようなものじゃないですか」

「そりゃ確かに」

 と、男は肩をすくめて言った。

「ああ、そうだ。頼まれてたガンコロのパケが入りましたが、買いますか」

「え⁉ もちろんです! 買います!」

 シエスタは新しい玩具を貰った子供のように、目をキラキラさせる。

「とりあえず、あなたに回せるのは三十グラムです。男を引き渡す時に、残りの依頼金と一緒に持ってきますよ」

「はーい! よーし、頑張るぞー!」

 シエスタははしゃぐ。

 男が部屋を出ていき、待っていた人間たちを引き連れて階段を下りて行く。彼らの背中が見えなくなった時。

「……あれ? ヨル君。お出かけ?」

 と、シエスタが三階から降りてきた夜弦に気がついた。下を向いているのか、夜弦の表情は前髪に隠れて見えない。

 声をかけると、夜弦は二階の踊り場で足を止めた。シエスタは夜弦の前で少ししゃがみ、目線を合わせながら語りかける。

「私も来月発売の新刊しんかん、予約しに行きたいし……一緒に行く? あ、でも、ツクモちゃんに言わずに出て行ったら怒られちゃうよね。前もそれですっごく怒られたし……。心配なのは分かるけど、なんであんなに怒るのかな、ツクモちゃん」

 シエスタは確認を取るように、ちらりと貴子の顔を見た。貴子は仕方ない、という風にため息をつくと、言った。

「……私から言っておきます。どちらにせよ、九十九さんは目が悪いので夜は出かけられないでしょうし。

 シエスタ、あまり遅くならないようにしてくださいよ。それと、変な本も買ってこないように。面倒ごとは東雲しののめさんに迷惑をかけるので、くれぐれも警察に見つからないように」

「分かってるって。……ていうか変な本って言ってるけど、あれは健全な男性同士の恋愛をいた作品なの! タカコちゃんも一回読んだら良さが分かるって!」

 貴子の言葉に、シエスタは必死に反論する。貴子は、ごみを見るかのような目でそんな彼女を見下ろしている。

「ま、分かったよう。買うのは一冊だけにする。欲しい本は自分で描けばいいし。よーし! それじゃ、お出かけだ! 危ないから手を繋いで行こうね、ヨル君」

 シエスタが立ち上がり、右手を差し出す。下を向いたままの夜弦は素直に、彼女と手を繋ぐ。

「……あれ。今日は素直だね。いつもは『子ども扱いするな』って怒るのに。まあいいや。どこ行きたい? 何が欲しいのかな」

 シエスタが聞くと、夜弦は顔を上げた。

「おねえちゃん。ぼくね、つくりたいものがあるんだ」

 そう言った夜弦は、まるで別人のようになっていた。

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