【爆弾と探偵と女子高生】②
探偵を名乗った少年……恩貫夜弦はステージに上がり、ボストンバッグの前に座り込んでいる。
「まったく、毎回毎回……あいつは
ぶつぶつ言いながらバッグを開ける。そこで、夜弦の言葉が止まった。
「おい、そこのお前」
「……なんですか」
ちょうど体育館から出ようとしていたところを引き留められる。泉音はとりあえず振り向いた。
「ちょうどよかった、こっちに来い」
ステージにいる夜弦が
「なんで私が……」
「逃げてもいいが、このままだと僕もろともお前のお友達も吹っ飛ぶぞ」
「……」
その言葉に、泉音は「友達」の顔を頭に浮かべた。
「……分かりました」
そしてそう答えると、夜弦がいるステージのほうへと向かう。
「これだ。何が見える?」
ステージに上がった泉音に、夜弦はバッグの中を指さした。泉音は中を覗き見る。
バッグの中にはダイナマイトと呼ばれる爆薬がぎっしり
「小さな時計と……赤とオレンジ色の導線……ですけど。あとは……爆弾?」
「そうだ。この筒状になったものが爆薬だな。ダイナマイトに導線を繋いだ、非常に簡単な爆弾だ。間違った方の導線を切った瞬間、ドカンと行く仕組みだ」
「はぁ」
膝に手を当て、夜弦の横でバッグの中を覗き込む泉音は興味がなさそうに返事をする。実際、泉音にこの爆弾の仕組みなどどうでもいい。興味があるのはこれを解除する方法だ。この爆弾を解除しないと自分の友達が吹っ飛ぶらしい。
「こういうのはたいてい赤を切れば止まる。で、赤はどっちだ?」
「はい?」
泉音は思わず聞き返した。
「聞こえなかったのか? 赤はどっちだと聞いたんだ」
「えーっと……上にあるやつですけど」
「それは本当だろうな」
「本当も何も……そこにあるじゃないですか」
右手にペンチを持つ夜弦は、疑うように泉音を見る。泉音は上の導線を指さしている。
「そこに二本の導線があるのは分かる。赤色の導線が本当に赤なのかと聞いているんだ。馬鹿なのか?」
しかし、夜弦はなおも疑いの
「……」
「……」
二人の間に、しばし沈黙が流れる。その間にも導線に繋がれた電子時計は、爆発までの残りの時間を減らしている。
夜弦が仕方ない、という風にため息をついてから、言った。
「……僕は
「あ、ほんとだ。はい、赤はこっちです」
泉音はもう一度、爆薬のすぐ上にある赤の導線を指さした。小さな電子時計の残り時間は『00:23』と表示されている。
「……嘘だったら僕も吹っ飛ぶだけだな。そんな
夜弦はすぐに泉音が指さした方をペンチで挟み、あっさりと切断する。赤の導線を切った瞬間、電子時計は『00:16』で停止した。
「……ふん。嘘じゃなかったな」
ペンチを上着のポケットにしまった夜弦は立ち上がる。
「じゃ、僕の仕事は終わった。お前は適当に帰れよ」
そう言ってさっさとステージから降りる。
「お疲れえ。無事に終わったかなあ」
と、そんな夜弦に話しかける者がいた。いつの間に入ってきたのか、上下を黒のパンツスーツに身を包んだ女性がそこにいた。
身長は軽く百七十センチはあるだろう。鮮やかな黒髪を背中に垂らしている。レンズに色がついた眼鏡をかけているため目元はよく見えないが、顔の下半分だけでも美人であることがうかがえる。
「はい、眼鏡。忘れて行ったでしょ」
「……遅いんだよ。優秀な探偵が吹っ飛ぶところだったんだぞ」
「それはごめん。でも、ちゃんと仕事やったねえ。
「……ふん」
女性から眼鏡ケースを受け取った夜弦は、中を開け、レンズに薄く色がついた眼鏡をかけた。
「それで、この子が取り残されてるっていう生徒かな。ねえ、大丈夫? 一人で降りられる? 手伝ってあげようか」
「いえ、大丈夫です」
きっぱり言うと、泉音は一人でステージから降りた。
「わーお。
そんな泉音の様子を見て、女性が言った。
「君、
女性はそう言うと、
「一応、あたしらが関わったことだし。気になったらそこの住所に来てよ。うちはいつでも人手不足だからね。
「はあ……」
息のような返事をしながら、泉音は女性の名刺を受け取った。
「大丈夫ですか、怪我などありませんか!」
今度は声とともに、
「怪我はありませんか。どこか痛むところは?」
「特にないです」
救急隊員の一人に毛布を掛けられながら、泉音は答える。一人を残し、処理班の人間たちはステージに上がって爆発物の入ったバッグを覗き込んでいる。
「そちらの方は? 学校の関係者ですか」
「あー。あたしたちは
「そのお話、詳しく聞きたいので同行していただいてもよろしいでしょうか」
「すいません。警察はちょっと関わると面倒なので。じゃ、さよならー」
女性は少年の手を引くと、逃げるようにその場から去る。体育館を出て行く二人の姿が小さくなる。
「遠巻泉音さんですね。グラウンドにほかの生徒や先生が待機しています。そこまで一人で行けますか?」
「ああ、はい。大丈夫ですよ」
救急隊員が泉音に話しかける。泉音は騒ぎに巻き込まれたとは思えないほど、いつもと変わらない声色で返す。
「……」
泉音は女性に貰った名刺に目を落とした。そこには『九十九探偵事務所』という文字と、どこかの住所らしき番地が書かれている。
「……友達」
泉音はさっき女性が言っていたことを思い出し、呟いた。泉音の横を、慎重にバッグを運び出す処理班が通り過ぎていく。
この時泉音の脳内でどのような思考がされていたのか、彼らに分かるはずもない。
それから数時間後。泉音は昼の住宅街を歩いていた。
『……泉音さあ、あんた今どこにいるの? 先生たちが探してるよ』
耳に当てたスマートフォンから、クラス委員長の女子生徒の声が聞こえてくる。学校からそのまま来たので、泉音は指定の制服のままだ。
騒動のあと、念のため生徒は全員、病院で軽い検査を受けた。当然ながらその日は授業どころではないので、学校も部活動も当面休止になるらしい。ほかの生徒より先に病院を出たので、詳しい日程は知らない。何かあったら学校側が家まで連絡してくるだろう。
『病院の検査が終わったら、一人だけさっさと帰っちゃったし』
「あー、うん。ちょっとね。友達の所に行かなきゃいけなかったから」
歩きながら答える。通学用に使っているリュックの中身が揺れ、がちゃがちゃと音を立てている。
スマートフォンを持っている右腕の肘には大量の菓子とジュースが入ったビニール袋を下げ、反対の左手には新聞でまとめられた花束がある。ここへ来る途中、花屋で買ってきたものだ。
時刻は昼になったばかり。しかも平日なので、左右に並んでいる家も静かだ。
『友達? ふうん……そうなんだ』
何かを察したのか、電話口の彼女は言った。
『……次のニュースです。今日の朝九時ごろ。
どこかの家から漏れてくるニュースの音声が、さっそく騒ぎのことを報道している。
『ていうか、検査が終わった生徒から警察と面談なんてドラマみたいだったよね! あたし、ちょっとドキドキしちゃった!』
「そう? 警察なんてそこら辺にいるじゃん」
『そ、それはそうだけどさっ!』
彼女は
『あ、それよりさあ、聞いてよ泉音! 昨日のプリチャンの配信でね、私のコメント、エージ君が読んでくれたんだよ⁉ あーもう最高!
彼女のはしゃぐ声がスマートフォンから聞こえてくる。
彼女が言っているのは、動画配信グループ『プリマヴィスタ・チャンネル』のことだ。彼女の
メンバーは二十四歳のエージこと
ユーキが抜けたのは方向性の
『この前はエージ君のお誕生日配信だったんだけどね、ソーマ君がサプライズでプレゼント用意してて、それ貰った時のエージ君といったらもう……! ああ、思い出しても最っ高だったぁ~‼ いつもはクールであんまり感情を出さないのに、そういう時はエージ君、子供みたいにはしゃぐんだよ⁉ そのギャップがたまんないっていうかぁ……! 最年長なのに意外とおっちょこちょいで抜けてるところもあって~。この前なんか配信始まってるの気づかないままお昼寝しててさ~。ソーマ君に起こされてめっちゃ
彼女はすっかり一人の世界に入っている。泉音は、ふうん、そうなんだ、と適当に相槌を返す。
『あ、ごめんね。あたしばっかり喋っちゃってた。とにかく、なんかあるなら言ってよね。あたしたち、友達でしょ?』
「友達ね……ああ、そうだね。そうそう」
『ちょっと、適当に返さないでよー』
彼女は泉音が冗談を言っていると思っているのか、笑いながら言った。
『あのね、泉音。もしよかったらさ……明日にでも、買い物に付き合ってくれない? ほら、学校がしばらく休みになったでしょ? 一人でいるの、なんか怖くて……』
と、声色を
泉音にも分からなくはないが、それよりも優先事項がある。彼女に泉音はこう返す。
「ほかの誰かを
『そ、そう言わずにさ。付き合ってよ。ほら、欲しいものがあったら買ってあげるから。ね、どうかな』
「行かないってば。そういうの、私、興味ないもん。しつこいなら切るよ」
『ご、ごめん。じゃあ、違う子を誘うね』
何かを察したのか、電話口の向こうにいる彼女が
『……ね、ねえ泉音。あたしと話すときさ、いつもそんな感じだけど……あたし、何かした?』
しばらくの沈黙の
『あたしたち、去年からの付き合いだよね。同じクラスで、そこから一緒にいるようになって……。あたし、去年からあんたのことは友達だと思ってるけど……そっちはどうなの?』
「どうって?」
『あたしたち、友達だよね? あたしはそう思ってるけど、泉音はどうなのかなって』
「そっちがそう思うのなら、そうなんじゃないかな」
『泉音、それ、どういう意味……?』
「だから、そっちが私のことを友達だって思ってるなら、そうなんじゃない? そっちが私や、私の大事な友達に何かしてこないなら、別にどうでもいいし」
『な、なによそれ……。じゃあ、今まで友達だと思ってたのは、あたしだけってこと……?』
電話口から聞こえる彼女の声が震えているが、泉音にはどうでもいい。
「そっちが私のことを友達だと思ってたのなら、それでいいじゃん。なに? それ以上の関係になりたいってこと?」
『そ、そういうわけじゃ……』
「あなたと仲良くしてたのは、私の友達に、学校の人たちとは仲良くするのよって言われたからだよ。変に目をつけられて
泉音は歩きながら言う。やがて目の先に目的地が見えてくる。表札に『新谷』と書かれている、二階建ての立派な家だ。
『なに、それ……。あたしには最初から、別に興味もなかったってこと……』
「委員長のことは好きでも嫌いでもないよ。去年、同じクラスになって話しかけてくれたでしょう? そっちが私に何を求めているのかは知らないけど、私にとってはそれだけ。
そっちが何もしないなら、私も何もしない。そっちが私のことを友達だと思っているなら、私とあなたは友達だよ」
『そんな……。一緒に買い物とか、クレープを食べに行ったじゃん。ひどいよ、泉音……』
「ひどい? 私は聞かれたから本当のことを言っただけ。じゃ、そろそろ切るよ。また学校でね。委員長」
そのままの声色で会話を終了させると、泉音はスマートフォンをタップして通話を切った。プリーツスカートのポケットにしまう。一秒後には、彼女との会話など頭から消えた。
新谷家の前で足を止めた泉音は、暗い二階の部屋を見上げる。電気のついていない二階の部屋は、この家の子供……
門を開け、敷地内に入る。玄関横のチャイムを鳴らすと、しばらくして、
「はい」
と、四十代ほどの女性が出た。新谷加代子の母親だ。母親は泉音の顔を見るなり、ぎょっとして目を見開いた。
「こんにちは。おばさん。かよちゃんにお花とお菓子を持ってきたんです。お部屋に置いてもいいですか?」
手に持っている花束と、お菓子とジュースの入った袋を見せる。
「い、泉音ちゃん……」
新谷加代子の母親は、あからさまに顔を引きつらせる。
「お花って、この前も持ってきてくれたじゃない? ほら、お菓子もたくさん。まだ、一週間も経ってないわよ。そ、そんなに頻繁に来なくても、お花はすぐにはダメにならないからね……」
新谷加代子の母親は遠回しに、頻繁に来るのは
「そうですか。でも、かよちゃんは私の大切なお友達なので。とりあえず、中に入れてもらえますか?」
扉に手をかけ、無理やり開けようとする。
「ご、ごめんね! 家の中は
新谷加代子の母親は言いながら、泉音の手から花束と菓子の袋をひったくるようにして取り上げる。
「い、いつもありがとう。でも泉音ちゃんも学生さんなんだから、たまには自分のことを優先してね。加代子もそのほうが嬉しいと思うから!」
早口でまくし立て、急いで扉を閉める。すぐにガチャリと鍵をかけた。
「……いくら友達だからって、おかしいわ。この前は夜中に来たし……。次に来たら、警察に言おうかしら……」
扉越しに、母親の声が聞こえてくる。
「やっぱり、施設の子だから常識がないのかしら。いやだわ、もう……」
母親の声は、パタパタというスリッパらしき足音とともに遠ざかっていった。
「……」
泉音は二階の部屋を見上げる。今日は部屋まで行けなかった。かつて自分と仲良くしてくれた友達の部屋は、暗く、遠いものに感じた。
しばしその場に立ち尽くすと、泉音は背を向け、新谷家の敷地から出た。
『泉音さん、どこにいるの? 学校に電話しても一人だけ先に帰っちゃったって聞いたし……。あんな騒ぎがあったんだから、あまりうろうろしちゃダメよ』
耳に当てたスマートフォンから、心配する女性の声が聞こえてくる。お世話になっている遠巻家の奥さんだ。
「ごめんなさい、おばさん」
来た道を戻っている泉音は、彼女に謝る。遠巻家の夫婦に引き取られる時、無理に「お父さん」「お母さん」と呼ばなくてもいいと言ってくれた。私たちは泉音ちゃんの友達だから、何でも話してねと言われたので、泉音も二人のことをそう思っている。
「もう一軒だけ、友達の所に寄ったらすぐ帰ります」
『泉音さん、お友達のことが心配なのも分かるけど、今日はもう帰ってきなさい。お友達の家に行くのは、明日にしたらどう?』
「分かりました、じゃあ明日にします」
『この前みたいに、夜中に出かけるなんてことはダメよ。明日の朝十時ぐらいがいいんじゃないかしら。その時間なら、向こうも起きていると思うし』
「分かりました。そうします」
『そういえば、お昼で終わったからご飯も食べてないんでしょう? 作って待ってるから、気をつけて帰ってくるのよ。
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます、おばさん」
女性との通話を切る。交差点に出ると頭上の大型液晶テレビから、ニュースを読み上げる女性アナウンサーの声が降り注いできた。
『……昨日未明、駅構内で発見された遺体ですが、身元は依然として不明です。遺体は服を着た状態で直立状態になっており、頭部には動物の皮のようなものを被せられていたということです。遺体の状態から、四年前から起きている四家深弦容疑者の模倣犯の仕業であるとして、警察は周辺の聞き込みと防犯カメラの映像から犯人を捜査中です……』
赤信号で立ち止まっている泉音の横に、スマートフォンを見ているサラリーマンが並ぶ。小さな画面を見つめているため、隣の泉音のことには見向きもしない。同じように、周りにいる人間も、自分のことしか興味がない。
彼らには泉音のことなど、ただの女子高生にしか見えていないだろう。
歩行者信号が青になる。駅に向かう人間たちに混ざって、泉音の姿は、やがて見えなくなった。
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