第66話 ロッカーの始まり

 始まりは、作戦会議だった。


「え、えーと秋庭さん。他クラスの私がお邪魔しちゃっても良いんですかね・・・?」


 補習が終わった午後の教室で、俺たち3人は一つの机を囲って座っていた。

 藍沢の遠慮がちな問いに秋庭は堂々と答える。


「問題ないわ。午後の教室は誰も使っていないし、大半の生徒が部活動に勤しんでいるはずだから、藍沢さんが私たちのクラスにやってくること自体には何の問題もないわ」


「・・・含みのある言い方だな」


 まるで他の部分には問題がある、といいだけである。


「経緯はどうあれ、この学校の内情を知ってしまっている藍沢さんと関わることのリスクはある、ということよ」


 秋庭の言葉に反応して、藍沢は少し俯いた。そんな様子に気づいたのか秋庭は咄嗟に補足する。


「ごめんなさい藍沢さん。他意はないわ。念のため他の生徒たちには見つからないようにしておきたい、というだけよ」


 少し空気が重くなっているのを感じつつ、俺はとっとと話を進めることにした。


 俺たち3人が集まった目的は、ただ1つ。


「で、作戦ってなんなんだ?」


 昨夜3人のグループラインに突然送られてきた、「作戦が決まったわ」という秋庭からの連絡。その本旨を聞くためにここにいるのだ。


「御影くんとの性行為でSEPを稼ぐ、作戦はこれよ」


「・・・却下だろ」


 直球だった。

 それも大暴投。


「この前のビーチでの件でも分かった通り、御影くんとの性的接触によって得られるポイントは通常のソレとは違う。御影くん自身が得るポイントは0の代わりに、行為対象は破格のポイントを得られる、というのは私の現在の所持ポイントを見れば明らかよ」


「・・・」


 まあ、それは確かにそうなのだが。

 俺の特殊な性質(?)が「相手によりSEPを稼がせること」に向いているのは間違いないだろう。


「であれば、最も効率良くSEPを稼ぐために、御影くんを中心とした性的接触網を作ることが賢明」


「・・・性的接触網て」


「どうかしら、藍沢さん」


 藍沢はあたふたしながら、目をキョロキョロさせていた。可愛い。


「・・・え、えーと、あ、えと、その」


「別にすぐに答えを出す必要は無いわ。ただ、SEPの有識者として拾える意見は拾っておきたいの。現段階で何か懸念はあるかしら?」


 藍沢は様子を伺いつつ、なおも遠慮がちに答える。藍沢自身、まだ秋庭という人間を見極めている最中なのかもしれない。


「・・・懸念というか単純な疑問なんですが、秋庭さんとトウマの目的はSEP制度そのものの撤廃、ですよね?」


「ええ、そうよ」


 俺は秋庭に付き合わされているだけだが。


「その、大変言いづらいんですけど、そのためにSEP制度に身を委ねるーーつまり、せ、性的接触をしてしまうこと自体は問題ないんでしょうか・・・2人ともそういうことがしたく無いからこそ、SEP制度を無くそうとしてるんじゃないんですか?」


 秋庭は威風堂々。微塵の澱みもなく即答する。


「私にとってSEP制度の撤廃自体は、手段でしか無い。だから別に御影くんとそういうことをすることにも何ら抵抗はないわ。精々御影くんの孫の代まで呪うくらいね」


「無茶苦茶抵抗あるじゃねえか!」


 3代まで呪われてしまってはたまったものではない。


「冗談よ、玄孫までよ」


「よく分からん孫の代まで呪うな!」


 少なくともひ孫より上だろうが!


「ともかく、私は別に御影君との性的接触に関して思うところはないわ。第一私たちはビーチの一件で散々してるんだから今更という話でもあるしね」


 う、そういえば・・・


「そ、そうなんですか・・・」


 藍沢の視線がこちらに向いた気がしたが、そっぽを向くことにした。

 チクチクと刺さるような視線であった。


「というか、藍沢さんもつい先日御影君と一悶着あったんじゃなかったかしら。てっきり淫乱ウェルカムだと思っていたのだけど」


「ち、ちがいます!あ、あれは私であって私じゃないと言いますか、呪いの副作用と言いますか・・・」


 呪い、か。藍沢の話を思い出す。


「確か記憶に作用する類のものだったけか」


「うん、対象者の記憶と価値観を塗り替えることで、一種の催眠状態に堕とす呪い・・・多分、私以外にもまだ呪いにかかっている人が居ると思うの。私は、その人たちを助けたい。だから、SEP制度そのものを壊すっていう2人の作戦に協力するよ。SEPを活用するしか無いかなって思うし」


 終始落ち着かない様子の藍沢だったが、心は既に決まっていたのかもしれない。それくらいに真っ直ぐ秋庭を見据えて、協力を宣言する。


 秋庭もそんな彼女を見て満足気に頷く。


「なら歓迎するわ。ーーと言いたいとこだけど、一つ確認。藍沢さんの記憶は完全に戻ったわけでは無いのよね? 今のアナタはどっちなのかしら?」


 藍沢は月山という男に催眠状態にかけられ、結果として望まぬ日々を過ごしていた。というのが俺たちに与えられた情報の全て。

どのタイミングで、どの程度の記憶が藍沢自身に戻ったのかはよく知らないでいた。

 というか俺がそこまで聞かなかった、というのが正しいが。


 藍沢はうーん、と悩んでから、申し訳なさそうに口を開く。


「・・・分からない。呪いをかけられる前の記憶もあるし、呪いに蝕まれて、その、せ、性的接触をしていた時の記憶もある。でも、今の自分の感情は・・・どっちなのか、わかんないです」


 秋葉は少しだけ顔に翳りを見せる。


「なるほど。月山とかいう奴の息がかかっていないという保証も無いわね」


 月山。このSEPを発足させた張本人。

 黒幕、と言っても差し支えないだろう。


「私たちがやろうとしているのは月山がやった馬鹿げたことの更なる上塗り。余程のバカでもない限り、リスクとして想定していない訳がないわ。そういう意味でも藍沢さん、私たちはアナタを信用して良いのかしら?」


 困ったな、と思った。

 俺の予想では、藍沢は黙りこくってしまうと思ったからだ。


 彼女は俺の知る限り控えめで、遠慮がちで、消極的だ。

 それで無くても、信用して良いのか、という問いに答えるのは難しい。根拠を用意すること自体が困難だからだ。

 ましてや催眠をかけられた人間が何と言おうと疑われるのは必然。

 そういった不安要素を理解して、言葉に詰まるのが俺の知る藍沢唯華という人間だ。


 しかし、藍沢の声はすぐに聞こえてきた。

 遠慮がちでもない、芯のあるはっきりとした声。


 大丈夫、と。


「前に進むって決めたから。全部取り戻すんじゃなくて、また1から始めるって決めたから。大丈夫。信じてほしい」


 根拠などない、絶対的な意志と態度で示すその証明。


「・・・それなら問題ないわね」


 秋庭自身、これは決意の強度を確認するための問答でしかなかったのだろう。藍沢の宣言を聞いた後は満足そうだった。


 俺も藍沢の普段と違った様子を見れて得をした気分であった。


「ところで御影くん。アナタの友達、最近ずっとお休みしてるけど大丈夫なの?」


「ん、ああ、親見か。まあ大丈夫だろ」


 俺の唯一の男友達である親見はSEPの発足翌日から自宅に篭っているらしい。連絡はたまに取るがひたすらラブコメを読んでいるらしく、あまり変わった様子はなかった。


「適当・・・アナタって変に薄情よね」

「トウマってそういうとこありますよね・・・」


 おい、何で俺が薄情者にされてるんだ。

 毎日新作ラブコメの批評を延々と聞かされる俺の身にもなれよ。


「と、とにかく作戦の大枠は分かったが、実際の進め方をーー」


 漸く本題の本題に入ろうとしたところで、廊下を歩くクラスメイトたちの足音と話し声が聞こえてきたのだ。


 ハプニングだ。3人でロッカーに隠れるという発想が生まれてしまうのも無理はないだろう。

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