第57話 Insight
御影くんと向き合った放課後の教室で。
私は泣きじゃくりながら、忌まわしい過去を話し終えた。
どれほどの時間が経ってしまったのだろう。
ふと教室の時計を見遣ると、18時を示していた。私がこの教室に立ち寄ってから既に2時間近くが経過していた。
「ごめんなさい、急にこんな訳わかんない話して、泣き出したりして・・・こんなことになったの、結局自分のせいなのに・・・ごめんね・・・話さなきゃいけないのは、ここからなのに・・・ほんとごめん・・・」
呪いのこと。御影くんをだましてしまった理由。
私にはまだ清算できていない罪科がある。
正直に話してしまえば恩赦を受けられると思っているわけではないけれど、少なくとも今の私にとっては、それが唯一の救い。
・・・でもそんな風に助かろうとしている自分が心の底から憎い。
きっと誰かに許されたいだけの自分に、反吐が出そうになる。
自分で自分が嫌になるほどの自己嫌悪。
過去の私が、今の私の足を引っ張り、心に影を落とす。
「・・・・・・・・・・・」
そんな私を見ても尚、御影くんは私の方をただ見ていた。
笑うでもなく、憐れむでもなく、心配するでもなく。
ただ、いつものあの生気のない眼で、真っ直ぐ私を捉えていた。
「・・・まあ、その、なんだ。無理して話してくれて、ありがとな」
ポケットからハンカチを取り出して、私の方に差し出してくれた。
ありがとう、と受け取って、こぼれる涙を拭う。
さりげない優しさですら、私の過敏になった心は揺れる。その反動でまた涙があふれてしまう。
「・・・っ・・・うぅっ・・・」
すすり泣く私。
自分で自分が情けなかった。
本当はこんな過去の話が本題ではないのに、言葉が出てこない。
私にとって話さなければならないのは、寧ろここからだというのに。
どんな過去があろうと、事情があろうと、私の犯した罪に情状酌量の余地はない。
人を騙すということは、それだけ許しがたいことなのだ。
自分を偽ってきた私には、それが痛いほど分かる。
誰かに裏切られる切なさも、誰かを裏切る愚かさも私は知っている。
「・・・・・・あのさ」
御影くんの声に、涙でボロボロの顔をあげる。
あぁ、私今すごい顔だろうな、と思った。
彼は言葉を選ぶようにしながら、続ける。
「えーと、なんつーかな。別に良いよ、俺。気にしてねえから」
けろっとした顔で、後頭部をかきながら、彼はそう言った。
含みのある言い方でもなく、ただ平坦にそういってのけた。
「俺さ、あんま過ぎたこと気にするタイプでもねえんだよな。確かになんであんなことしたのか理由は気になるけど、まあ、なんかあるんだろ? 事情」
抑揚のないいつもの声で、続ける。
「人間皆、色々抱えて生きてんだから仕方ねえよ。だから、気にすんな」
その言葉に、私の心はすっと、軽くなってしまう。
そんな慰めのような言葉で楽になってはいけないともう一人の私が私を責め立てるが、
「藍沢には藍沢の事情があった。しかもこうして話に来てくれたってことは、悪気があったって訳じゃねえんだろ? それが分かっただけで十分だ」
「別に俺は、経緯の全てを知りたいわけじゃないからな。これ以上無理に話すことはねえさ。十分、もう十分だ――てか、藍沢って泣いてるときの顔、無茶苦茶大人っぽいんだな」
「な、何を急に意味不明なことをっ!」
突然の意味不明な発言に、私は椅子に座ったまま前のめりで彼の肩を叩こうとした。
「お、おい暴力反対――っておわっ――」
「きゃっ!?」
「――ッ!」
私はバランスを崩して椅子から滑る落ちる。前のめりになりすぎたせいで、椅子の足が教室の床で滑って、私の体が投げ出される形になる。
あ、やば―――――――――
転げ落ちる瞬間、御影くんの顔が見えた。
彼の目は、尚も私をただ見据えていた。
驚きも心配も見えない。ただそこにあるだけの瞳。
「――っだぁ・・・あぶねえなあ・・・大丈夫か・・・?」
ボフン、と。
私は彼の胸にすっぽりと収まる形で事なきを得る。
学生服同士が擦れ合う音。彼との距離。
妙に拍動が早まっていくのを感じた。
時間が止まったかに思えた。
「あ、あの・・・そろそろ退いてくれねえかな・・・?」
「え!? あ、・・・う、うん! ご、ごめん・・・」
謝りながら彼の体の上から退く。
「ふぅ・・・藍沢って見かけによらず結構おも――」
「――ハァッ!!!!!」
――ズドンッ。
教室に鈍い音が響いていた。
私の手刀が御影くんの腹部にめり込んでいる。
やってしまった、と思いつつ手を引っ込める。
「あ、ごめん御影くん・・・つい反射で腕が・・・私、空手やってて・・・」
「・・・反射で人の腹部を攻撃する奴が空手なんか習っちゃダメだろ・・・」
御影くんはお腹を押さえて青ざめた顔をしていた。
こういう彼を見るのは、少し新鮮だった。
「だ、だって御影くんが私のこと重いとか・・・言うから・・・」
「うっ・・・確かにそう言いかけたが俺が言いたかったのは藍沢が見た目よりもグラマラ――おぶぁああああっ!!!」
――ズドドンッ。
再び教室内に鈍く重い音が響き渡る。
今度は二連続で。
「・・・がっ・・・お前・・・もはやわざとだろ・・・なんで二回も叩き込んで、ん、だ・・・」
「ご、ごめん御影くん・・・私、気分が良いと一撃が二連撃になっちゃう特殊体質で・・・」
「・・・おい・・・ふざけすぎだろ・・・なんだその体質・・・」
彼の顔を見て、彼と話して、自然と心が軽くなってしまったことを実感する。
「ふふっ」
「・・・何笑ってんだよ・・・俺はまだ痛がってるんだぞ・・・ったく」
「・・・御影くんってコミュニケーション力ある割にデリカシーないから友達出来ないんだな~って思っただけです」
「・・・けっ、うるせいやい。そっちも友達居ない癖に」
「・・・いるもん」
「近所の犬とかは無しな・・・――ってすまん! 悪かった! 悪かったからその鋭い刃を納めてくれ! 流石に次はもう耐えられん!」
私が手刀を象って肘を立てて見せるだけで、彼は怯えた顔を見せた。
いけないいけない、こんなことをしに来たわけじゃないのに・・・
それでも、彼との会話を楽しんでしまっている自分が居た。
こんな私は、嫌いじゃない。
「私には――」
いじけるように、言ってみる。
「私には――友達、いるもん」
恥ずかしくなって俯く私は、スカートの裾を握りしめて、そう言った。
「そら結構結構。どこの誰か知らんがそいつの顔を拝んでみてえもんだな」
腹部をさすりながらいつもの飄々とした態度に戻る御影くん。
鋭いんだか、鈍いんだか、良く分からない。
「んっ!」
私は勇気を振り絞って、彼を指さす。
彼は驚いた顔を見せた。
「・・・え? 何? 処刑の合図?」
「・・・違います」
しかめっつらで嫌がる御影くん。
でも、ここで踏みとどまるわけにはいかない
「・・・御影くんが、友達」
私の言葉に、彼の眉が少しだけ動いた気がした。
放課後の教室に、夏の夜の涼しい風が吹き込んでくる。
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
しばしの沈黙。
彼は、私のことを友達だとは言ってくれないだろう。
それでもいい。
今はそれでもいい。
いつかちゃんと、この関係を始めればいいんだ。
これからの私なら、それが出来ると思うから。
「ご、ごめんやっぱ今の無――」
少し物寂しい気持ちになりながら、手を降ろそうとしたその時だった。
「――面と向かって言われると、こんな感じなんだな・・・友達って」
「・・・え?」
至極冷静な声が返ってくる。
「ん? いや、だから友達なんだろ? 俺とお前」
「あ、いや、その、さっきのは――」
「取り消させねえよ。俺とお前は友達。そうだろ?」
「えと・・・その・・・」
有無を言わせぬ謎の気迫に、私は口ごもるしかなかった。
そんな私を放って、彼は一人真面目な顔で呟く。
「どーせやることは決まってんだ。道中一人や二人の手助けしたって困るもんじゃねえか」
「え、えと、御影くん・・・?」
「トウマで良いって言ったろ? 俺も唯華って呼ぶから、変なとこで気遣わなくていいぞ」
伏せた顔のまま、彼は私に指摘する。何を考えているかは定かではない。
けれどそれ以上に、私は友達を肯定されたことに驚いていた。
「と、トウマ・・・」
「なんだよ、唯華」
「私たち・・・友達・・・」
「・・・宇宙人みたいなセリフを吐くなよ・・・俺とお前は友達だ」
「そ、そっか・・・友達・・・」
私はあの日のことを思い出す。
萌ちゃんとの関係を終わらせてしまった時のことを。
トウマと初めて会ったあの夜のことを。
呪いが解かれ、目を逸らしたくなるような記憶が蘇ったときのことを。
「言葉」が私の在り方を規定するあの感覚を。
「――よし」
彼は急に立ち上がった。そして、
決めた、と。
胸を叩いて、宣言する。
「唯華、お前も一緒に救ってやる――俺、こう見えて友達には尽くすタイプなんだぜ」
彼はそう言って不敵に微笑んだ。
いつも何にも興味の無さそうな彼の顔が、
今は少しだけ――
欲望にまみれているように見えた。
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