第53話 Demon
「はぁ・・・これじゃ南ちゃんとの待ち合わせに遅れちゃうかな」
積み重なったノートを抱えて歩く私は、誰も居なくなった放課後の廊下でぼやいていた。積み重なったノートは私の視界を狭める。
私が運んでいたのは数学の課題ノート。SEPの平常点に加味されることもあってクラスメイトのほぼ全員が忘れることなく提出している。
「・・・でもなんで、私がこんなことを・・・」
また小さくぼやく。
というのも、数学の課題を持っていくのは本来私ではなく、教科ごとに決められた生徒の仕事だった。その生徒が病欠で休んだことで、真面目筆頭の私に仕事が回ってきたのだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
誰も見ていないから、と大きくため息をついた。
真面目でいることはこの学校において確かに有益だが、それと同時に塵のような負荷が徐々に私に積み重なっていた。
校舎の外から部活動に精を出す生徒たちの声が聞こえてくる。
私が所属している吹奏楽部は訳あって、活動休止期間だった。
そんな中、
「―――――ぅ―――」
「・・・ん?」
静まり返った長い廊下で、何かが聞こえた気がした。
明らかに人の声。だというのに、言葉ではない。
「―――――ッ、あ――――」
言葉というよりは、呻き声にも似たただの声。
「ぁっ――あああぁっ――――――」
何かが破裂するような音が何度も連続して聞こえる。
その音は消え入ってしまいそうな音量でありながら、謎の呻き声と共に確かに廊下に届いていた。
理解できないその音に、私は息を飲む。
音は・・・屋上へと続く階段の方から聞こえる・・・
山のようになっているノートのバランスを崩さないように、そして何より気付かれないように、私は忍び足で本来の目的地である職員室とは別方向へと歩きだした。
恐る恐る階段を半分ほど登ったところで、私は理解不能な光景を目にする。
階段の踊り場で男女が一組、
まぐわっていたのだ。
「――――っ」
咄嗟に私は自分の口を塞いだ。
驚きのあまり声が出てしまいそうだったから。
「あんっ、先輩。だめだって、こんなところで」
「あぁ? うるせえなぁ。口では嫌がってても全然抵抗しねえじゃんか」
「ううっ、それは・・・あ、鬼島せ――、あぁっん」
「うひひっ、やっぱ・・・これだよなぁ! ふっ!」
壁に手をあてて直角に腰を曲げている女子生徒と、その女子生徒の腰を掴んで腰を揺さぶる全裸の男子生徒。
体と体がぶつかり合う音。
はじけるような音と、乱れ狂う女性の嬌声。
体を揺らし合う男女の後姿が、確かに私の視界に入っていた。
異常。
余りにも異常。
学校という場では絶対に聞くことが無いその状況に、私の気は動転する。
「んんんんっ。鬼島、せんぱ・・・いっ!」
喘ぐ女子生徒の声に、私は聞き覚えがあった。
もう、何カ月も話していない彼女の声。
忘れて、見下したはずの彼女。
「・・・・・・萌、ちゃん?」
思わず、言葉が漏れる。
ま、まずい、つい声が・・・
かすかな声だった。しかし、それは「物音」にしては十分すぎるほどの音だった。
「――!? だれだっ?」
男の険しい声が耳に入る。
瞬間、手に持っていたノートが一瞬、達磨落としのように宙に浮かんだのが見えた。
終わった。バレてしまった。
何かしてしまったわけではないけれど、こんな状況を見てタダで済むわけがない。
心臓が喉から飛び出てしまいそうになる、男の怒号にも似た声を、
私は真っ暗な視界で聞いていた。
「あー鬼島。ごめん僕だ。随分楽しそうにしているなあ、と思ってね」
私の視界を覆った彼は、私を背後に隠して、鬼島と呼ばれた男に返答する。
「・・・んだよ、月山かよ・・・びびらすんじゃねえよ。こっちはお愉しみ中だって、のっ!」
また一つ大きなはじけるような音。
「あぁっっ!! そんな、いきなりぃっ!!」
彼女の嬌声が響いた。
「鬼島、楽しむのは別に構わないがもう少し節度を持ってくれないか。あの計画が達成されてからでも遅くないだろう」
「っるせーな、物事にはタイミングってのがあんだよ。――ほら見てみろ、こいつもこの通り。人間堕とすにはTPOを弁えねえとな」
「あぁっ・・・あああっ・・・んっ・・・鬼島・・・せんぱ・・・い。おおおっ」
私は真っ暗な視界の中で、異常な速さの拍動の中で、彼女の声を聴いた。
人とは思えない、獣のようになく彼女の声を。
「・・・まったく。頼むから、あの計画が進むまでは、誰かに見つかるようなことはしないでくれよ」
「――っ、ん? ああ分かった分かった、お前も気になったらいつでも貸し出してやるからっ、いって来いよっ。おらぁっ!」
再び、獣のような声と弾けるな体のぶつかり合う音が再生される。萌ちゃんの声は徐々にただの呻き声になっていった。
私はそのまま、「月山」と呼ばれた男に引っ張られ、静かにその場から立ち去った。
***
異常から遠ざかったいつもの廊下に戻ってきたところで、彼は口を開いた。
「――藍沢さん、だよね?」
「月山」という名前を聞いた瞬間に、私にはこの男が一体誰なのかある程度の予想はついていた。
けれど、その顔を見るまで、私はその真実から目を背けたかった。
あの異常を目の当たりにして、正常で居られる人間が、あの「月山」であってほしくなかったから。
しかしその幻想は打ち砕かれる。彼はいつも皆に振りまいているあの甘い笑顔で、私に微笑む。
「月山桐人、僕のことは知ってるかな?」
月山桐人。この学校の二年生。
生徒会長にして、SEP発足以降、校内トップの成績を保持し続ける――優等生。
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