第52話 Flow

 夏が過ぎて、秋が来た。


 私たちの学校では次第に、「SEPを高い水準で獲得できる生徒」――要は真面目で優秀な生徒が神聖視されるようになってきていた。


 "彼らに倣えばSEP=お金を手に入れることが出来る"


 SEPは資本でもあり、校内でうまく立ち回るための権利にもなりうるということが分かった生徒たちがそういった傾向に流れていくのは自明であった。


 私はというと、萌ちゃんと一緒に過ごすことは少なくなって、廊下ですれ違っても挨拶さえ交わさないくらいの関係になっていった。

 萌ちゃんの周りには明るくて遊び惚けている人たちが集まって、

 私の周りには成績優秀者には一歩及ばない真面目な人たちが集まった。

 萌ちゃんのことが嫌いになったわけではないし、きっと機会さえあればまた二人で笑い合って過ごすこともある。心の中でそんな風に思いながら、私は萌ちゃんとの関係を次第に忘れてきていた。


「ねえねえ藍沢さん、今日の授業で分からなかったとこ教えてもらっても良い?」

「え、うん、勿論だよ」


 休み時間や放課後、私は真面目グループの友達から勉強を教えてほしいと頼まれることが増えだした。それもそのはず、私は持ち前の勤勉さによって夏の学期末テストで学年7位という好成績を収め、多額のSEPを手にしたのだ。自然とクラスの中での注目度は上がっていく。

 という感覚が、私を満たした。


「藍沢さん賢いし話しやすいからついつい頼っちゃうの・・・SEPも相当高いって聞いたよ?」

「あはは・・・そんな大したことないよ。科目は何かな?」

「あ、それなんだけど、数学で――」


 視界の端に映る友達と談笑している萌ちゃんは、この夏休みを経て立派な黒ギャルになっていた。金髪に小麦色の肌。


「すごーい藍沢さん! 私でも解けた! なるほど、そういうことだったんだ! ありがとう! 助かったよ! SEPでお礼するね!」

 

「大丈夫大丈夫! これくらいならお安い御用だよ。同じクラスなんだし、また分からないとこあったら気軽に聞いてくれたらいいよ?」


「優しいし頭も良いし、私も藍沢さんみたいに才能ある人になりたかったなあ」


「ええっ? あ、ありがとう、でも南さんも十分すごいよ。いっつも保健委員の仕事忘れずにやってるじゃん? ああいうのが出来るのも立派な才能だよ」


 クラスメイトと互いに褒め合う温い関係が心地よかった。

 才能と言う言葉の真意も掴まず、軽々しく使ったそれらの言葉は私たちの未熟な心を容易に満たす。


 刹那――


「――ちょっとうるさいんだけど、静かにしてもらっていい?」


 私とクラスメイトの会話を遮るように、チャラついた別の生徒が割り込んできた。私たちが小さく盛り上がっていたのがあからさまに気に入らなかったのだろう。


「あ、ごめ――」


 咄嗟に謝罪の言葉を口にする私とクラスメイト。

 小さく頭を下げてから顔をあげる。


「――――――――っ」


 視線の先に、壁によりかかっている萌ちゃんの姿が見えた。


 彼女は確かに私を見ていて、その瞳が私にもよく見えた。

 何度も交わしたはずの視線は、あの時のように優しくて穏やかなものではなかった。


「真面目ちゃんはいいよね、この学校の制度に助けられて。でも、やだねえ。勝手に自分が偉くなったと勘違いしちゃうんだから」


 萌ちゃんの隣に居た長髪を揺らす不真面目な生徒が酷い悪態を突く。

 

「ちょ、そんな言い方はないんじゃない?」

「み、南さん。放っておこう?」

「藍沢さんはあんな風に言われていいの? 酷いよあんな言い方」

「わ、私は大丈夫だから・・・」


 穏便に済まそうとする私に、不真面目な生徒は聞こえるように舌打ちをした。


「ふん、そういう真面目なとこもつくづくムカつくね。ねえ、麻木?」


「・・・・・・」

「・・・あ、麻木?」


 同意を求められた萌ちゃんは、あの時のように何も言わなかった。

 代わりに、私を威嚇するような、蔑むような視線だけが、私を突き刺す。


「え、えーと麻木――っておい、ま、待ってよー!」


 不真面目な生徒が気まずそうに言葉を続けようとしたが、萌ちゃんは黙って教室から出て行ってしまった。彼女を追って不真面目な生徒も教室を飛び出す。


「・・・なによあの人たち、自分たちが勉強しないのが悪いんじゃない。とくにあの麻木って人、普段からクラスの風紀を乱しているようにしかみえないし」


 クラスメイトの南ちゃんは学級委員で、規律を破る人に対して厳しかった。


「ほんと嫌になっちゃう。ねえ藍沢さん?」

「え、私?」

「真面目な藍沢さんなら、ああいうの嫌でしょ?」


 逡巡する。

 心に小さな波が押し寄せてきている気がした。


 けれど私はもう、その波をもみ消せてしまえるほどに変わってしまっていた。いや、


 一息置いて、言葉を吐く。 


「――うん、そうだね。うんざりだよ」


 言葉は時に、感情よりも先に自分の在り方を規定してしまうことを私はまだ知らなかった。


「――ああいう、不真面目な人、嫌い」


 その日以来、私は一部の不真面目な生徒たちを見下すようになった。

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