第47話 Curtain
「藍沢唯華――だったかな」
ワイングラスをくるくると回すバスローブ姿の彼は、突然思いだしたかのようにある人物の名前を口にした。
リクライニングチェアと呼ぶには恐れ多いほどの豪華な椅子に座る彼――羽佐間という男に私は言葉を返す。
「彼女がどうかしましたか? 理事長」
私が仕える男。絶海の孤島に作られた異質な学校の理事長を務める謎多き男。
それが羽佐間という男に抱いた第一印象だった。
「ちょ~っと思い出しちゃってねえ。今頃楽しく学校生活もとい性活を送っているかなぁ~なんてさ」
赤ワインをぐびっと一口飲んで、軽い口調で続ける。
「……雰囲気に合わせて赤ワインにしたけど、渋ッ……ごめん冬香、これぶどうジュースに代えてきてもらえるかい? 代わりにこの赤ワインは誰かにあげてきてくれ。これでも一応年季の入ったすごいものらしいんだ。あ、勿論差出人にはバレないように、だよ? あんまり悪い噂を立てられても困るからね」
傲慢で、自分勝手で、強欲。
こんな訳の分からない島で、訳の分からない学園を運営している彼に対して、私は憎悪を抱いていたはずだった。
家族のために意思を捨て、莫大な資産を持つとされる彼の召使となった私。
一生をかけてこの男に尽くし、一生この男に憎悪を抱き続けることになると確信していた。
だというのに、――
「わかりました。ぶどうジュースは・・・いつものやつですか?」
「ん? そだよ? 高いぶどうジュースほど渋いからね、やっぱ一番おいしいのは甘味料だらけの贋作ぶどうジュースに決まりだね~さ、頼んだ!」
「贋作ぶどうジュース・・・良いんですか、そんなことを言って。どこの誰があなたの失言を狙っているか分かりませんよ? 取引先の商品を揶揄するなんて以ての外です」
「ははっ、心配者だなあ、冬香は」
「・・・心配したのではありません、脅したのです」
「・・・え、そうなの?」
「・・・相変わらず、鈍いのですね」
「・・・鈍いのか、僕・・・理事長なのに」
くるりと半弧を描くアホ毛が特徴的な彼は少し真面目そうな顔をした。
私の知る波佐間徹という男は、こういう人間なのだ。
国の指定する特別教育機関の長でありながら、数々の大企業へのコネクションを有し、億単位の金を日々動かす大企業の御曹司。
そんな男が、こんなネジの緩んだ阿呆でいいのか。
「あ、いま冬香、俺のことアホだと思ったでしょ。そんな顔してたよね」
「別に」
「冷たい反応だ! そして否定してないし!」
「興味ないね」
「十字架背負っちゃう!!!!」
私も随分この男に絆されてしまったように思う。
冷え切った心が融解していくのを嫌でも理解する。
「あ、いけねいけね、それでさ、さっきの話の続きなんだけどさ」
ぶどうジュースを一気に飲み干してから、彼は続ける。
「藍沢唯華の呪い、ちょうど昨日が解呪の日だったよね?」
「え、ええ、と少しお待ちを・・・・・・はい、確かに昨日のようですが・・・その、どうしてそのような些細なことを・・・?」
呪い。きっとその表現は正しい。
けれどその呪いは、特別なものではなかった。
あの島で過ごすほぼ全ての人間に課せられる呪いであり、祝福でもある。
誰がどのタイミングで呪いから解放されるか、それは取るに足らないことのはずだ。
「些細なこと、か」
彼は私の目を一瞬だけ見つめた、かと思うと、すぐさま背を向けて大きな窓の前に立つ。
「――ま、僕もアイツに一杯食わされたままじゃ気が済まないからね」
温厚な彼の目に、2年近く彼の隣で過ごしてきた私でも見透かせない炎が宿ったような、そんな気がした。
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