第46話 Set

「・・・結構きわどいものまで取り扱ってるんだな、裏カタログって」


 誰も居なくなった放課後の教室。

 秋庭から借りた裏カタログをざっと眺め終わった俺は、冊子をぱたんと閉じて秋庭に返す。


「あら、もういいの? 別に急いで返す必要もないけれど」


「いいよ。どうせ0ポイントの俺には何も買えないんだし、ひとまず必要そうな情報は集まった。ありがとさん」


 ――というか裏カタログで何かを買うような人間とは友達になれそうにない。

 と俺は思った。


「御影くんならこのくらい、だと思うけれど?」

 

「そもそも頑張ろうと思わねえよ」


「・・・皆が喉から手が出るくらい欲しがる品々なのに、つれないわね」


「品々って言わんだろ、それは」


 裏カタログには、俺の想像からは一線を画す無数の商品が掲載されていた――業務用の電化製品や、生徒が買えるとは思えない自動車や船まではまだしも・・・特定の「権利」や「自由」といった抽象的なものが対象に入っていたのは驚きだ。

 本来法の下で守られるべきものまでもが、SEPで購入できるのである(勿論必要額は膨大だが)

 それはもはや、この島における社会の崩壊を意味している。

 人のあらゆる権利までSEPで買えてしまえば、法や倫理といったものが機能しなくなるのは当然のことだろう。

 俺はこの島への認識を少しずつ塗り替える。


 罪も罰も、SEPによって規定され、執行される。


 常識や論理は通用しない。


 SEPが全てであり至上である。


 そう思えば全生徒がSEP獲得のために、日々身を粉にして性行為に明け暮れている現実も案外理解不能な事象ではないのかもしれない。 


 経緯に共感はできなくとも、求める結果は理解できる。


 この島の全てを掌握することもSEPさえあれば可能なのだから。


 いや、そう考えればそもそも――

 

「――客人みたいよ、御影くん」


 俺の思考を遮る秋庭。

 彼女が見遣る方向を追った。


「・・・お、おぉ・・・」


 教室の入り口には、彼女が立っていた。その表情は至極暗く、半ば青ざめているようにも見える。

 丸まった背中に小さなノートを抱えて、彼女は立っていた。


「―――――――――――――――――」


 何かを言おうとしているようにも見えたが、教室には静寂だけが流れる。


「・・・邪魔者は消えるわ、後は二人でごゆるりと。御影くん、また明日」


「・・・お、おう」


 秋庭は気を遣ったのか、席を立ち静かに教室を去っていった。


「―――――――――――――――――っ」


 秋庭が去ってしばらくしても、彼女は言葉を発するわけでもなく教室の中に入ってくるわけでもなく、ただ立ち尽くしていた。俺も特に声をかけられず、ただ沈黙する。


「・・・・・・・・・えーと」


 何と言えばいいのか、思考がまとまらない。


 脳内では何度もシミュレーションしたはずなのに、いざその状況に身を置くと、言葉が喉の奥に引っかかって出てこない。そんなことをしている内に言うべき言葉がどんどん脳内から消えていく。


 俺は、彼女になんて言ってやるつもりだったんだろうか。


 俺を騙した彼女に会って、開口一番ぶつけてやりたい言葉があったんじゃなかったか。


「・・・どした、唯華」


 結局まとまらない思考のまま発された言葉は、随分腑抜けた挨拶だった。


 俺の言葉に、藍沢は目を大きく見開いて、首を横に振った。


「・・・そんな風に呼ばれる資格、ないよ・・・」


 その声は酷く小さく、涙声のように掠れていた。


 あの夜も思ったことだ。


 どうして、騙した人間が、騙された人間に対してそんな悲しそうな顔をするのか。


 騙してやったと大笑いしてやればいいものを。


 どうして、そんな悲哀に満ちた表情で、俺を見つめるのか。


「まあ、そんなとこに立ってないで座れよ、ここ」


 さっきまで秋庭が座っていた椅子を引いて、俺は手招きする。


「・・・怒って、ないんですか・・・?」


 伏せがちな目でこちらを見てくる藍沢。


「別に怒るも何も、まだ事態が呑み込めてないからな。まずはそこからだ」


 怒る対象も理由も、定かではない。


 目に見える事象全てを疑うべきだ。


 あらゆる真実がSEPに歪められている可能性があるということを、俺は身をもって知っているのだから。


「・・・失礼します」


 いつもどおり、真面目そうに一礼してから俺の前に座る藍沢。


 そうして、静かな教室の中で俺と彼女は対面したのだった。

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