第40話 Right

「はぁっ・・・はぁっ・・・はぁ・・・」


 薬局から一定離れた路地裏。

 俺はひざに手をついて、息を整える。


「はーっ・・・――だ、大丈夫か・・・? 唯華」


 引っ張って走ってきた藍沢の方を向いた。彼女も肩で大きく息をしている。

 無理やり走らせてしまったのは罪悪感があった。


「・・・うん・・・ごめんね」


「・・・そうか、良かった」


 大丈夫という割に、彼女の顔にはある種の陰りが見えた気がした。


「・・・」


「・・・・・・」


 すっかり日が暮れてしまった世界で、暗がりの路地裏で俺と藍沢の沈黙だけが広がる。

 まあ、気まずい空気では、あるな。

 図らずも彼女の下着姿を見てしまったわけだし・・・


「あ、あの、上着・・・ありがと」


 沈黙の隅っこで、藍沢がぽつりと言った。

 彼女は上衣を薬局で脱ぎ捨ててしまっていたので、代わりに俺のブレザーを羽織らせていたのだが、礼を言われるほどのことでもないだろう。適当に頷く。


「その、なんだ・・・災難だったな。この島の薬局があんなことになってるなんて・・・」


 突然薬局が暗転してナイトクラブと化すなんて、世界中どこを探してもこの島でしか起きないだろう。そんな事態を予測することは常人には不可能であるに違いない。


「・・・ごめんなさい」


 消え入るような声で、藍沢は謝罪の言葉をこぼす。

 あーすまん、そういうつもりじゃなかったんだ。


「謝ることじゃねえよ、いきなり過ぎて意味わかんなかったしな。俺も藍沢もひとまず無事だったわけだし、そう気負うことねえって」


 そうだ、実際に何か被害を被ったわけではない。そりゃまあ多少の驚きやショックはあるかもしれないが無事脱出できただけ御の字ではなかろうか。


 しかし、藍沢の顔は暗いままだった。

 ただ、


「・・・ごめんなさい・・・ホントに・・・ごめん」


 そう繰り返すだけだ。


 まるで、自分自身に言い聞かせるように。


「・・・・・・」


「・・・・・・・・・」


 うーん、気まずいねえ。

 俺は沈黙に耐えられなくなって、一旦彼女に背を向けた。路地裏から大通りを覗き見る。


 薬局の獣共が追ってきている気配はなかった。今頃乱交パーティーを楽しんでいることだろう。

 ったく、こんな状況になった責任取りやがれってんだ。

 空気をぶち壊す人間は大抵、自分だけ楽しけりゃいいと思ってやがるからな。振り回される人間の気持ちも考えろっつうの。


「・・・ねえ、トウマ・・・」


 見知らぬ獣共への愚痴をうだうだ吐き出しているところに、背中から藍沢の声がする。

 同時に、彼女は俺の背中をぽんぽんとたたいていた。


「・・・ん? どした?」


「ごめん・・・なさい・・・」


「・・・なんだよ、謝らなくていいって言ってるだろ? 俺そんな怒ってみえるか? 実は俺、こう見えて『仏コンテスト』略して『ホトコン』のファイナリストなんだぜ? こんなアルカイックスマイル振りまいてる俺が早々キレるわけないだろ?」

 

「・・・そうじゃなくて」


 渾身のボケを完璧にスルーされる・・・

 羞恥で俺のライフがゴリゴリ削られていくのを感じた。


「・・・じゃ、じゃあなんだよ」


 俺の一世一代のボケをスルーするに足る理由があるというのか!


「・・・あの薬局のこと」


「ああ、薬局兼ナイトクラブのことな」


「私・・・」


「私?」


「知ってたの」


「知ってた・・・?」

 

 何を? 仏コンテストのこと? 俺のアルカイックスマイルのこと? 

 あ、ちなみにアルカイックスマイルってのはあの大仏特有の――


「あの薬局が"性的接触者を対象にしたタイムセール"を始めること」


「・・・?」

 

「それを、知ってたの、私。知ってる上でトウマを誘ったの・・・」


 ・・・えーと。

 継ぎ接ぎの言葉を、まだ火照りの残る脳でつなぎ合わせる。


「・・・えーと。要は、なんだ。あの状況はお前にとって想定通りだった、ってことか?」


 機械的に、導かれる仮説だけを口にする。意思や感情を混ぜるとろくなことにならない気がしたから。


「・・・そう。だから、ごめんなさい」


 ペコリ、と小さな彼女は頭を下げた。


 なんだ、なんだというのだ。

 あまりにも、あらゆることが不可解すぎる。

 この島の全てが、理解や認知を許さないでいる。


 なに? 藍沢があの状況を想定していた? なぜ? どうやって? その場に俺を誘った理由はなんだ? そしてなぜ、彼女は今こうして俺に手を引かれてあの場から逃げ出したんだ?


 どこからどこまでが想定で、どこからが想定外だ?


 あふれ出る疑問が、俺の思考をパンクさせる。


「あー・・・藍沢、俺頭よくねえから、あんまりよく分かんねえわ――だから、謝らなくていいぞ」


 そういいながら、頭を下げたままの藍沢の肩を叩く。

 ゆっくりと顔をあげた彼女の瞳は少し潤んでいるようにも見えた。


「ごめんなさい・・・私、私・・・トウマを利用して・・・」


 利用。はっきりと彼女はそういった。


 俺の人生、誰かに利用されるほど価値あったっけなあ・・・と思う。


「・・・トウマにも・・・こっち側に来て欲しかったから・・・」


 こっち側。


 俺と藍沢の立ち位置を別けているのは、一体何なのだろうか。


 夜風にさらされて少しだけ冷静になった思考でちょっとだけ考えてみた。


 けれど答えは出なかった。


 

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