第39話 Escape
俺は手を伸ばす。
「おい! 唯華」
自分の大声で、視界がぐらぐらと揺れる。
今にも体のバランスを壊してこけてしまいそうだ。喉が渇いて、視界が霞んで、今すぐにでも目を閉じて眠りこけてしまいたくなる。
全てを、諦めてしまいたくなる。
それでも俺は目をかっぴらいて、現実を見なければならない。
この学校に入学したのは、そもそもこんな自分から抜け出すためなのだから。
「おいおいなんだよてめー。今いいとこなんだから邪魔すんじゃねえぞ」
「冴えないツラのくせして出しゃばってんじゃねえぞ」
うるせえ。
お前らに用はねえんだ。
俺の前に立ちふさがる獣どもを押しのけて、俺は友達の前に立つ。
俯いたままの彼女の前に。
「唯華・・・大丈夫か」
わなわなと震える彼女の肩に触れた。
「――ぁっ」
瞬間、藍沢の体が大きく跳ねあがった。
「・・・と、トウマ・・・?」
伏目がちに、彼女は俺を見上げる。
その小さな頬は紅潮していて、吐く息にも熱が混じっているのが分かった。
同時に、俺の五感に暴力的なまでの野性が駆け巡る。
「・・・ありがと・・・でも、ごめんなさい、私・・・もう・・・限界・・・」
言いながら、藍沢は自らの制服のボタンに手をかける。
「ちょ、ちょちょちょちょちょ――おい! 唯華! しっかりしろ!」
俺自身、そんな言葉を吐きながらも彼女を手を止めることも自らの邪な思考を消し去ることも出来ないでいた。
この薬局に漂う怪しげな空気が、そうさせているに違いない。
「あつい・・・あついの・・・トウマ・・・」
言って、藍沢は完全に上衣を脱ぎ捨てた。かわいらしい小さな体躯のわりに出るとこは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。
背後の獣共のボルテージも上がっていく。
「お、いいじゃんいいじゃん、乗ってきたねえ~」
「まずは俺からいただいちゃおっかな~」
舌なめずりしながら藍沢の到着を待つ二匹の野獣。
これ以上は、まずい。
獣共がいつ藍沢に食って襲い掛かるか分からない。
俺自身の理性にも、限界がある。
背に腹は、変えられまい。
「――いくぞ、唯華」
「――へっ?」
藍沢が夢うつつのままスカートを脱ごうとしたところで、俺は藍沢の手を無理矢理引っ張ってその場から離れることにした。彼女の体は軽く、引っ張るというより宙に浮かせて運ぶかのような形になる。
「――おいてめえ独り占めかぁ!?」
「まてやごら――」
獣共の雄たけびを背に、俺は藍沢を引っ張り上げて走り出す。
「え、え――トウマ? え? なになになに――」
「すまんがちょっとの間我慢してくれ」
俺はとりあえず獣共から離れるべく、歩を進める。
店内は完全に暗闇だ。闇雲に走っても出口までは戻れないだろう。
しかし、今はこの場から離れることが先決だ。
少し歩いたところで、俺をこの場に連れてきた謎の女と再会した。
「あらお兄さん、もしかしてその小さい人は彼女さん? ざーんねん、タイプだったのになあ」
微塵も思ってもないであろう言葉をへらへらと笑いながら吐く女だ。
空色のウルフカットで、いかついピアスを耳に着けている・・・こーわ。
しかしよく見るとこの女、この熱気むんむんの気色悪い空間で涼しげな顔をしている。そこらの獣と違って、半狂乱状態というわけでもない。
――ただ、いたずらな笑みを浮かべている。
「なによー、黙りこくって睨んじゃってさ~。お兄さん、案外冷たいんだね」
「・・・悪い、先を急いでるんだ」
「――ふーん」
それだけ言って、俺は彼女の横を通り過ぎた。
いや、厳密には通り過ぎようとした。
「――覚えたから、顔」
背筋が凍るような声が聞こえると同時に、俺の股間に細い手が入り込むのが分かった。
心臓をわしづかみにされる、という言葉がある。
まさに、その言葉がうってつけであろう。
一瞬命の危険を感じるほどに、謎の女の手は俺の股間をがっしりと掴んでいた。
「――――ッ」
そして、俺が声を発する間もなくその手は退けられる。
「ほい、じゃあまたね、お兄さん♡」
獣共の雄たけびがまた近くに聞こえてきて、俺は言葉を返すこともなくただ出口だと思える方向へと走った。
淫靡な微笑みが、俺の脳裏にこびりついてしまった。
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