第37話 Dark

「・・・なんじゃこりゃ・・・」


 異世界、魔境、地獄。

 きっと誰もが見たことのない現実を目の当たりにする際に使う言葉を、俺は今まさに使うべきなのかもしれない。


「んんっ、あん♡ ヒロトォ」

「――さつきッ、さつき、さつきいいいいいいい」


 先ほどまでのカップルが、気付けば体を重ね合っている。

 ぐるぐると天井を走る紫のスポットライトに反射して、時折魔物が顔を覗かせた。

 肌と肌がぶつかりあう淫靡な音と、獣たちの嬌声。 


 これを地獄と言わずして、何というべきか。


「――っ?」


 刹那、俺の視界がぐらっと歪む。

 意識が一瞬遠くなるのを感じた。


 な、なんだこの感覚・・・体がアツい・・・

 体調不良とも違う、体の感覚が大味になって、思考が一気に衰退する。


 そんな中、バカでかBGMの合間を縫って陽気なアナウンスが耳に入る。


『ただいま絶頂先着10名様に70%オフクーポンを配布中です~絶頂の際は是非中央レジ前にて~・・・あ、でもでもぉ、レジ付近の媚薬濃度はかなーり強めですのでお気をつけてお越しくださいませ~』


 アナウンスが切れると同時に壁や天井から水蒸気が勢いよく噴射された。

 俺たちが入店したときにも噴射されていたソレと同じ。


「・・・・・・・・・・・・・・・・」


 この不快な気分の原因はこれか・・・?

 体の火照りを感じながら、俺はその場にしゃがんだ。立っているのが正直苦しい。出来ることなら横になりたいレベルだ。


「ああぁん♡」

「んんっ、はぁはぁはぁ♡」


 店内の至る所から、獣共の喘ぐ声が聞こえる。


 額を抑える。じわりと汗がにじんでいた。


 ここ、薬局だよな・・・


 なんで、こんなクラブみてえな内装で乱交パーティー開いてんだよ・・・


 この島はやはり異常だ。あらゆる価値観がSEPを基準に歪んでいる。他の客が当たり前のように性行為に踏み切っているのを見る限り、これが「日常」なのだろう。


 俺が知らなかっただけで、これがこの島の現実。

 信じるも信じないも、受け入れるも受け入れないもない。

 ただ、あるがままの世界なのだ。


 撤退。


 その二文字が霞む思考の中で導かれる。


 この店から出よう。どの道ここにいたって俺が性的接触をするわけではないし、性的接触をしないからと言って殺されるわけでもない。

 ただこの店から出さえすれば、俺は『俺の日常』を送ることが出来る。

 第一、これ以上この店の中で怪しい空気を吸っていたら俺もおかしくなってしまいそうだ。

 テレビとかで見るナイトクラブがどうしてあんなに暗がりなのか、その意味が分かってしまった気がする。

 暗闇は人の理性を著しく低下させる。客観的な不可視は、倫理観を侵食していくからだ。見えないから、出来ることもある。


「ねえねえお兄さん、もし相手が居ないなら、私とどう?」


 けれど残念なことに、淫靡な悪魔はいつも俺のすぐ傍にいる。

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