第33話 Chase

「近寄らないでくれますか変態さん、半径5メートル以内に入ったら通報も視野に入れます」


 廊下をスタスタと突き進む藍沢の後を俺は追っていた。

 白井先生と俺のラブシーン直前のタイミングで職員室に入ってきた藍沢は、持ってきたノートを白井先生の机にぶん投げて、すぐさま職員室を飛び出してしまったのだった。

 白井先生が、

「追うんだ。今君がすべきことは、彼女を追うこと以外ないだろ。ここは私に任せろ」

 とカッコつけていたのがなんか絶妙に意味わからんかったが。


 誤解は解かねばなるまい。


「なあ藍沢さん、あれは誤解なんだって。つーのも、白井先生が勝手に勘違いして――」


「問答無用です。勘違いさせる方にも非があります」


「う・・・正論・・・」


 なんだか痛いところを突かれてしまった。


「分かったらこれ以上ついてこないでください。ストーカーですか」


「ぐ・・・そのつもりはなくてもその言葉は応えるぜ・・・」


 まあ、この状況だけ見ればストーカーのように見えなくもない。


 藍沢は150センチほどの小さな体躯のわりに、随分早いスピードで俺の前を歩いていた。別に走って逃げることも出来る気はするが絶対に早歩きの領域を出ないあたり、よっぽど真面目な生徒なのだろう。


 俺も、大人げなく走ったりすることはしなかった。あくまで彼女の後ろを一定の距離を保ったまま歩く。いや、なんかこれストーカーっぽいな。


「あ、今私の半径5メートル以内に入りました。ホントに通報しますよ」


「なんで前を向いたまま俺との距離が分かるんだよ」


 人間レーダーかお前は。


「私の髪からはソナーが出ているので」


「ここは水中なのか・・・?」


 魚群でも探知しようというのだろうか。


「海の藻屑にしてやるぞ、という比喩です」


「遠回しすぎて分からねえよその比喩!」


 藍沢の表情は一切伺えないし、距離も一向に詰まることはないが徐々に彼女の返答から棘が減っていくのが分かった。

 彼女は未だに歩みを止めないが、向かっているのはどうやらC棟らしかった。職員室をはじめ一般教室があるA棟から繋がる渡り廊下へ出て、C棟の方へと歩みを進める。道中、無数の男女が性愛を貪りあっているのが見えたが、藍沢はそんなものには一切目もくれずただただ歩き続けていた。

 

 そりゃまあそうだよな。ふと思う。

 このSEPの制度が日常と化してきている以上、この学校に在籍する生徒の全てはある種ネジが外れていると考えるべきなのだ。

 性行為に対するタブー感というか、背徳感みたいなものが大きく削がれていることは間違いない。衣食住に並ぶレベルで性行為が日常に組み込まれているようなものなのだろう。俺には未だ縁のない世界だが。


 そんなことを考えているうちに、藍沢と俺は昨日俺たちが出会った場所、特別自習スペースが立ち並ぶ廊下に到着していた。

 まだ日が暮れていない放課後なだけあって、ちらほら生徒が出入りしている様子が見える。

 

「おわ・・・まじかよ・・・」


 特別自習スペース、通称L Loom(Love Loom)から出てくる男女の様子を見て、俺は白井先生の言葉を思い出していた。

 ここにある部屋は全て男女の愛を営むための場所。要はいちゃこら専用の部屋。道理で部屋から出てくる男女がすっきりした顔で熱気むんむんなわけだ。


 ・・・そういや昨日葛西と部屋に入った時も、随分室温が高かったな・・・いや、これ以上は止めておこう。


「あの、ホントにどこまでついてくるんですか?」


 ついに我慢の限界に来たのか、藍沢がこちらを振り向いた。かわいらしい童顔だが、その瞳には力強い意志が宿っている。のほほんとした感じではない、凛とした空気。あまり例えたくもないが、あの風紀委員に似ている雰囲気だ。


「ああ、すまん。一応誤解だけは解いとこうと思ったんだが・・・」


 藍沢はわざとらしく大きなため息をついた。


「はぁ・・・別にもうなんとも思ってないですよ。ちょっとビックリして職員室を飛び出ちゃったけです。性的接触なんて、もうこの学校じゃ見慣れてますし? 流石に生徒と先生が交わるのは見たことないですけど・・・」


「うん、いや、ほんと白井先生と交わる気なんて全くなかったから、うん。安心してほしい」


「なんですかその妙に怪しい言い方。顔がへのへのもへじになってます。匿名化を希望してますよ」


「・・・」


 一体俺は今どんな顔になっているというのだ。顔がへのへのもへじになるくらい怪しいのか。

 白井先生にキスを迫られたからと言ってそう簡単に唇を許す俺ではない、食べられちゃいそう、なんてきっしょいことは一ミリも思ってなかったから、うん。


「まあ別にどっちでもいいですけど、私は今日も仕事があるので邪魔しないでください」


 言って、藍沢は廊下の端っこにただ立っていた。戸締りを確認するでもなく、部屋を一個一個確認するでもなく、ただ立っていた。


「・・・仕事って何してんだ?」


「見てわかりませんか? 見張りですよ」


 見た上で、というか「見張り」だと思ったうえで「そんな無意味な仕事じゃないよね?」という確認の意味で聞いたのだが、通じなかったらしい。

 やはりこいつはなかなかの真面目ちゃんなのだ。


「見張りなんかして、楽しいか?」


「私は委員会の仕事を忠実にこなしているだけです。仕事に苦楽は関係ないです」


 なんか将来良い社畜になれそうな子だな、と思った。


「お楽しみを終えた男女がぞろぞろ部屋から出てくるのに、ただ見張ってるのってどんな感情なんだ・・・」


 できれば体験したくない感情であることだけは確かだ。

 が、藍沢は一切表情を変えずに答える。


「なんともないですよ。ほんとに」


 当たり前のように、嫌みでもなく皮肉でもなく、ただそうであるべきかのように言い切った。


「・・・この学校にしちゃ珍しいタイプだな」


 考えなしに盛ってる性欲お化けか、

 思考を張り巡らせた上で性を貪る悪魔か、

 一切性的接触がしたくても出来ない弱者か、

 この3通りくらいしかこの学校には居ないと思っていたのだが、藍沢はそのどれにも該当しないのかもしれない。


「まあ私、に彼氏いますし」


 ・・・ほう。こりゃまた、珍しい。

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