第22話 Change
「――――――――」
「――――――――――」
「――――――――――――――――――――――あ」
暗闇の中、世界に音が戻ってくる。
そして視界も徐々に晴れてゆく。
ズキンと顎と腹部に痛みを感じ、顔を歪める。
「――――お、目覚めた~?」
明るい女性の声。まだ視界はぼやけて居るが、誰かは分かる。
葛西、葛西一葉だ。陽キャも陽キャ、容姿端麗大人気の1年女子。そして、
――俺の標的。
だがしかし、今はそういった事情はどうでも良い。俺には晴らさねばならぬ疑いがかけられているのだから。
俺が特に返事もしないでいると、葛西は俺の顔を覗き込むようにしながらしゃべりだした。
「見えてますか~、いや、聞こえてますか~。おーい、おーいってばぁ」
目の前で手を振る。俺は反応しようとした、が思ったように体が動かないことに気付いた。どうやら寝ている間に柱に縛り付けられていたらしい。
「――っ?」
「あ、ごめんごめん、動けないよね」
にっこり笑いながら葛西は続ける。
「結構きつめに縛らせてもらってるから、下手に動かない方がいいよ。筋とか痛めちゃうかもだし」
「・・・」
俺の頭にポンと手を乗せ、犬でもあやすかのように諭してくる。
漸く鮮明になってきた葛西の綺麗なご尊顔を拝みつつ、拘束から抜け出そうともがいてみた、がすぐ止めた。
ばかいてえ・・・
葛西の言うように俺の手は背後に回され、固めの紐でしっかりと結ばれているようだ。無理に動こうとすると肩の付け根に痛みが走った。
「いや~ごめんね? 怪我させるつもりはないんだけど男と女だもん。何があっても不思議じゃないからね」
何があっても不思議じゃない、とは言うが、俺は目覚めたら縛られていて不思議で仕方ねえよ。
「・・・ここ、どこだよ」
「どこだと思う~? 拷問部屋かな~? なんちゃってw」
美女は俺の眼を見てニヤニヤしながらそう言った。この状況を楽しんでいるようにも見える。
どうせ教えてはくれないのだろう。
辺りを見回す。俺と葛西が居るこの部屋――後ろが見えないから正確な広さは測れないが、精々8畳程度の小部屋だろうか。電気がついていない薄暗い部屋のせいで、ここがどこなのかは皆目見当がつかない。
ビーチからはそう離れてはいないだろうが、外の方から何か音が聞こえるわけでもない。
「ねえ、そんなキョロキョロしてどうしたの? 今は私の時間だよ?」
妙な言葉にむずがゆさを覚える。
「な、なあこの拘束といt――」
「――ねえ、御影くん・・・」
言いながら、葛西は俺の頬を両手で挟んだ。ひんやりとした手の温度に、少しびっくりする。そんな俺の反応を見て葛西は、
「かわい」
と呟いた。
彼女の表情は学園屈指の美女と形容するにふさわしい、美しく可憐な笑顔だった。
「――でも」
続く言葉がその幻想を打ち砕く。
「私に黙ってあんな女とイチャイチャしちゃって・・・
――殺すよ?」
文字通り射殺すような眼。そのまま俺の顎を持ち上げ、喉元の大動脈付近を指でなぞった。
――ふぇ? やばこいつ
内心の軽めのリアクションとは裏腹に、ゾッとするほどの寒気を感じていた。
今すぐこの場から逃げ出したくなるかのような、恐怖にも似た悪寒。
――あれ? 俺この人と話すの今日が初めてだよね? え? なにこいつ
『ヤバい女』
浮かび上がる悪い予感から逃れようにも、体の自由は無い。
すると頭上からもはや誰の声かもわからないようなドスの効いた声が降ってきた。
「おい、こっち見ろよ。私が見つめてやってんだからよ!」
なんとか目を逸らしていた俺だったが、弱者の本能から脊椎で言葉に従う。
恐ろしい眼つきと暴言、映える麗しい顔面とふんわり漂うシャンプーの良い香り。
視覚聴覚嗅覚の間で、情報が大渋滞している。
「あんな女が好みだったのかよ・・・あんたはずーっと私だけ見てれば良いのに・・・それだけでよかったのに・・・許さない・・・」
少し悲し気な声で、悔しそうな表情を見せる葛西。
「――絶対許せないよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
なんだこの人、超怖いんだけど、地元のヤンキーとかって比じゃない。痴漢なんかガン飛ばしたら一発で撃退しちゃうよ。
「だから御影くんには、お仕置き」
「・・・へ?」
「私をその気にさせておいて、弄んで、悲しめた分、うーんと苦しんでもらうの。苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで、いーっぱい気持ちよくなってね♡」
いや怖い怖い怖い怖い! 何笑顔でいってんのこの人!
「苦しんで」→「苦死んで」でしょそれ!!
「は、はは、葛西、ええと、一体何がどうなってこうなってるんだ? も、もしかして人違いかな。俺、葛西と話すのは今日が初めてだし・・・誰かと間違えてるんじゃないか・・・? はは・・・」
「何言ってるの御影くん。話すのは今日が初めてであってるけど、私たちはずっと関わってきたじゃない。言葉なんて要らない、目と目で通じ合う愛だよね」
俺の逃げたさMAXの言い訳は木っ端微塵に粉砕される。
こいつは俺のことを知っていたのだ。
俺がこいつのことを知っているのと同じように。いや、それ以上に。
「さ、はじめよっか。私たちの愛の共同作業」
言いながら、葛西は着ていたラッシュガードを脱ぎ捨て、緑の水玉模様が彩られた水着をも脱ごうとする。手が背後に回されるせいで、彼女の爆発力あるお胸が眼前に突き出された。
いやしかし、今はそういう状況ではないのだ。死の直前に子孫を残そうとする人間の本能よりも恐怖への理性が勝つ。なんとかして逃げなければ・・・
必死に拘束から逃れようともがくが、満足な結果は得られない。
「暴れてもだめだから。今日だけは絶対逃がさない。ね?」
優しさと怒りの混じった笑顔。
痛む肩を労いつつ、俺は脱力する。
そもそも葛西はこの状況を想定していたのだろうから、こんなところで抜かりなどあるはずがなかったか・・・
半ば、諦めていた。人生諦めが肝心である。
葛西一葉という女性は俺にとって「別世界の住人」と言っても過言ではない存在だった。けれど、常に陽キャどもと楽しそうに遊ぶ彼女を見ていると、心のどこかで俺もその輪に入れたような気がしていた。本来の学生の楽しみ方というやつを体現している人だと、遠くの彼女を見ながらそんな風に思っていた。
だが現実は俺の想像とは違うらしい。人を見た目で判断してはいけない、とはよく言ったものだが、ここまで違わなくてもいいのではないだろうか。
葛西には、天使と悪魔が内包されていると言っても過言ではない。
「さて、と」
纏っていたものを全て脱ぎすてた葛西は、ゆっくりと俺の顔を柔らかい胸で包む。まるでボールでも抱くかのように。
「どう? 御影くん。あったかい?」
葛西は返答など待たず、俺の耳を甘噛みしながら囁く。
「あんな女と稼いだポイント、私が今からぜーんぶ塗り替えてあげる。ちょっと痛いかもしれないけど、待っててね・・・私の・・・王子様」
意図せず腹の底から湧き上がってくる恐怖と興奮。
――『王子様』
俺とは正反対どころかそもそも別次元に存在している言葉だ。葛西は一体どんな幻を見ているというのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます