case1: 秋庭風香

第12話 秋庭風香の野望

 私には野望がある。

 私が『私』であると証明するために、この野望は果たさねばならない。

 そのためならどんな犠牲でも払おう。

 私が『私』であることを証明するためなら、私は『私』を捨てられる。

 満面の笑みを以て、私は『私自身』を殺そう。心も体も全てを捧げよう。


 大丈夫。全てを失っても、最後に残った『私の残滓』がきっと『私』を救ってくれる。

 ――私は元々、偽物なのだから。


「――ッ、はぁ・・・」


 姿見鑑に映る自分自身の制服姿を見ながら、私は今日もそんなことを思う。風紀委員の朝回りの時間を考えると、もうそろそろ家を出ないといけない。寮で提供される朝ごはんはとっくの昔に済ませているから、後は身支度を整えるだけ。


 だけど。


 茶目っ気もなく、短く切りそろえられた自らの髪を手で梳いた。指の間にサラサラと髪が滑りこんでくる。

 そうしてそのまま、拳をぎゅっと握り込む。鑑には、まるで角でも生えたかのような不愛想な自分が映っていた。


 ――私は私が嫌いだ。

 髪の毛をむしり取るかのような勢いで、私は握り拳を更に握り込む。


















「――――――――――ッ、いたい・・・――――――」


 痛みに耐えきれず、私は握り込んでいた拳を緩めた。


 私は私が嫌いだ。


 でも――――――その癖して、私は私が大好きなのだ。


 だから壊そう。この価値観を壊そう。私自身の思考を壊そう。


 大嫌いな自分を壊そう。泣きながら壊そう。


 大好きな自分を壊そう。笑顔で壊そう。


 きっとその先に、本当の私が待っているはずだから。

 私の中には、『私の理解の範疇を超えた私』が眠っているはずだから。彼女が安心して出てこられるように、今の私を壊そう。


 大丈夫、私なら出来る。


 出来ない私なんて、私じゃない。


 私は出来る。出来る私が、存在しているに決まっている。


 出来損ないの私は、私じゃない。

 だから、だから――


 私はこの学校で、文字通り生まれ変わるんだ。

 そうしたらきっと、パパもママも、私を認めてくれる。

 ――娘として、私をちゃんと見てくれる。


「風香ちゃーん、そろそろ行こー? 朝回り始まっちゃうよー?」


 扉の向こうから風紀委員の誰かの声がして、驚きながらも平静を装い返事をした。


「――ええ、すぐ行く、わ」


 私が『私』に引き戻される瞬間、言葉に出来ない不快感が全身を襲う。


「――ッ、ぁ――――――」


 感情が分からなくなった自分の顔を両手で覆った。

 喜びか、羞恥か、憎悪か、憤怒か、正気か、狂気か、はたまたそのどれでもないのか。もう、ずっと前から私にはそれが分からない。


 それでも私は『私』の皮を被り、内部から私自身を壊し続ける。

 それが『私』を救う唯一の手段だからだ。


「風香ちゃん? 何か聞こえたけど、大丈夫?」


 私は、私を認めない、認められない。

 何も満たせない私に、価値はないから。

 まだ、何も得ちゃいない。何も壊せちゃいない。


 返事よりも先に、ベッドに放り投げられていた鞄を勢いよく拾い上げ、日常への扉を開ける。

 いつもの友人がいつもの笑顔で私を迎えてくれた。


「おはよ、風香ちゃん」

「――おはよう神崎さん。待たせて悪かったわね、じゃあ行きましょうか」

「うんっ! 今日の仕事は・・・まずはA棟の校門前で挨拶運動、その後はC棟で生徒会と合同の意見箱回収だね。んで昼休みは全校委員会の報告会、放課後は風紀委員の定例会議・・・だったかな?」

「・・・よく覚えてるわね」

「勿論、天下の秋庭風香様とご一緒に活動できる、またとない機会ですからっ!」

「大げさね、別に私は何者でもないわ」

「何をおっしゃいますか~ 風香様は次期風紀委員長、いえ、ですよ~今のうちから媚びを売っておきませんとな~」

「・・・ゴマ擦りすぎて、早々に摩耗しないといいわね」


 にゃはは~と神崎さんは私の皮肉を受け流すように軽く笑った。

 そうしてその空気のまま適当に雑談を初めて、流れるかのようにを切り出してきた。


「――あ、そうだ、朝っぱらからなんだけどさ、昨日の理事長の話、風香ちゃんはどう思った?」

「どうも何もないわ、私には関係ない話よ」


 神崎さんは一度私の顔を舐めるように見まわしてから、うーん、と首を傾げた。

 私の意図に気付いたのか。いや、考えすぎかもしれない。

 でも、私は神崎さんのこういうところが少し苦手なのだけは確かだった。


「ま、それもそっか」

「ええ、そうよ」


 さっきまで続いていた雑談はひとまずそこで終わった。


 私たちが歩いている寮の廊下の窓から、陽射しが差し込んでいた。

 まだ眩いだけの光。

 ひとつ、私は深呼吸した。目覚めてからずっと胸の奥に突っかかっている不快な何かを吐き出すように、大きく、深く。

 朝の陽ざしと新鮮な空気を体いっぱいに取り入れて、私は私の毒素を全て吐き出す。


 全てを捨てて、全てを得る。

 この学校で、私は私の全てを、手に入れる。

 そのためなら、なんでもする。

 隣であくびをしているかわいらしい友達だって、笑顔で蹴落とすだろう。


 そんな『私』の一日が、今日も始まる。

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