第10話 始まる〇〇コメ

 教室前方の天井に設置されている巨大な液晶モニターが滑らかな動きで黒板を覆う。真っ黒なモニターに電源が入ると共に、映画上映前のような気配が教室を包む。  


『――あ、あー、聞こえるかね?』 


 液晶に大きく映し出されたのは、白井先生と同じく黒スーツに身を纏った男性の姿だった。

 教室が一瞬ざわめくのものその筈。この男は我々が通う高校の理事長――名前は確か羽佐間と言ったか。OSパンフレットにデカデカと写真が載っていた記憶がある。いかにも胡散臭そうなビジネスマンというか、いけすかない『若さ』と『やり手』感を醸し出しているのが癪に障る。


『えー、朝から皆ご苦労様。今日はね、キミたちにこの学校での重大なルールを教えようと思って、時間を用意してもらいました。本当は皆の顔を直接見ながらお話したかったんだけど、ちょっと多忙でね。映像での説明とさせてもらいます』


 こほん、と一息ついて理事長は笑顔で続ける。


『今日から生徒諸君には、に準じた評価点を与えます。評価点はこの孤島での唯一の資本であり、ありとあらゆる売買に評価点を用いることが可能だ。つまり評価点は、君たちの生活を支える基盤となる。精一杯、性行為に励んでくれたまえ』


 ・・・は? 今なんと?

 一瞬、この世界の時間が止まったかのように思えた。

 それくらいに理解不能な言葉が並んでいた。


『あー勿論、といった犯罪は、発覚した時点で該当生徒を退学処分とし、然るべき法の下で裁く手筈だ。くれぐれも"青春"の範疇の中で性春を謳歌するように。はっはっは』


 嘘でも、冗談でもない、のか。

 瞬間――


「はああああああああああああああああああ!?」


 クラスメイトのほぼ全員が立ち上がり悲鳴にも似た叫びをあげる。

 それは我々1-Dクラスだけではなかったようで、他の教室からもそれらしく叫び声が同時に聞こえてきた。


「ちょ、ちょっと白井先生! これどういうことですか!」


 クラスのまとめ役、学級委員の雪平カエデが白井先生に強く問い詰める。もう一人の学級委員山田(男)も続いて加勢した。


「うるさいな、心して聞けと言ったろう。まだ理事長からの話は終わっていない。よく聞け」


 困惑する生徒たちを前に、何事も感知できるわけがない画面向こうの理事長。

 しかし、その映像の中で別の人間の声がする。


『理事長、経緯の説明が不足しております』


 画面の向こうで、補佐らしき人間の声が、俺たち生徒の気持ちを代弁してくれるようだ。


『あー、そうかそうか。これは失敬。いや、まあでもあれだね。これで驚き戸惑う生徒はやはりというかなんというか・・・まあいいや。事の経緯を説明するにあたって諸君に問いたい。キミたちは、自分がどうしてこの本土から離れた絶海の孤島に居るのか考えたことはあるかい? どうせないだろ? だから、将来を嘱望されてこの高校に送り出されてきたキミたちに残酷な真実を教えてあげよう』


 随分人を見下したような言い方で、理事長は言葉を選ぶことなく、坦々と喋る。


『キミたちは触媒だ。この国の未来を切り開くための、優秀な触媒だ。そして――天才にはなり切れなかった秀才たちの集合体だ』


 触媒。人間のことを、ましてや自分の管理する高校の生徒を『触媒』と言い切った。


『私はね、生徒の皆に"優秀な遺伝子"を無下にすることなく、"次世代の天才"を可能な限り生み出してから卒業してほしいんだ。というのも、現代の我々の技術では、ヒトの遺伝子を思いのままに組み合わせ、配合を繰り返していく技術は残念ながら確立されていない。完全無欠の天才を人為的に作ろうとしても、結局は確率の壁に阻まれてしまう。法外な手段を取るには倫理的な問題も山積みだ。その上で、"玉石混交な一般社会での自由恋愛"の果てに天才の誕生など、ありえないだろう。それ故のこの場所であり、そのためのキミたちなのだよ』


 当たり前のように、些事たることのように、俺たちの人生を軽んじている人間の発言に誰もが言葉を失う。はっきり言って狂気ともいえる。


『そうだ、安心してくれ。キミたちは入学検査時点で、優秀な遺伝子を所持していることが科学的に証明されている。だから君たちがこの高校に入って特別何かを頑張る必要はないんだ。――触媒として、子孫を残してくれさえすれば御の字だ』


「な、何言ってるのこの人・・・」


 当たり前の疑問がクラスメイトの口から漏れる。まあ、それもそうだろう。俺も正直ついていけてない。


『理事長、補足を』


『あーはいはい。えーと、もしね、性的接触の末に妊娠した女子生徒は本人と子供の身体の安全と、将来の安泰を約束します。未来を救う可能性を宿した人には最大限の敬意を表し、万全の環境を提供することをここに誓いましょう。安心してください』


 えー、と理事長は手元にあるらしいカンペに目を落とした。


『えーとですね、性的接触に準じた評価点、といいましたが、それとは別にボーナス得点の獲得も可能です。本日より配布する学生手帳に新校則と併記しているので、よく読んで学校生活に活かしてくださいね。――あ、一応言っとくけどこれは絶対的な規則ではないです。キミたちの意思、人権は最大限尊重するので、一切そういったことはせず、ただ平凡に生きて、この学校を卒業しても構いません。ただ、評価点がある方がキミたちの将来は少しばかり有利になるかもしれない、ということを覚えていてください』


 最後の一言に、妙な含みを感じる。歯切れの悪い、いかにも「余地」を残した言葉だ。

 おそらく誰もが抱いた違和感を、またも補佐らしき人間が拾い上げる。


『理事長、が生徒の将来に影響するのは、不公平ではないでしょうか』


 補佐らしき人間も本心では特段疑問に思ってもない、あくまで形式的な質問という感じがした。

 理事長は「いい質問だ」と言わんばかりにウィンクしながらカメラの右側に向けた指を立てた。補佐らしき人間にむけてのモノだったのだろうが、すぐに視線を正面に戻す。


『一つ皆に問おう。諸君は、社会が全て公平で公正であると思うかい? ・・・残念ながらそれは理想で、ただの幻想だ。

 この世の中には常に、"評価するもの"と"評価されるもの"が存在する。評価される側の立場である限り、評価基準には一切の口出しは許されない。それが社会だ。評価する人間が絶対であり、そこに公正さや公平さは関係ない。嫌ならその土俵から出ればいいだけの話だからね。社会における試練とは、学校の試験のように〇か×かで分けられるものはない。常に部分点であり、常にボーナス点/減点が存在する。そう、ハナから"公平な評価"を約束しているわけではないのだから』


 恐ろしく真剣な顔つきで、有無を言わせぬ雰囲気の理事長の言葉に、生徒たちは徐々に席に座りだす。凄んだのか、思考が停止してしまったのかは分からない。

 そこからは、補佐らしき人間と理事長によるQ&A形式の回答が始まった。そのどれもが我々の抱いた疑問そのものであったことは言うまでもない。


『社会での評価云々と言われましたが、ここは学校ではない、と?』


『イエスでもあり、ノーでもあるかな。この学校は、学校であると同時に、社会の縮図でもあるべき、というのが基本理念でね』


『日本の学校で、このようなことが許されるのでしょうか?』


『本土から離れた絶海の孤島であるこの場所が日本だと、いつ言ったかな?―――というのはまあ冗談、ここは日本国内であることに間違いはない。許されるかどうか、という点は実際色々難しいとこもあるんだけど、この学校には優秀な顧問弁護士が付いていて、そこらへんの調整はうまくやっているのさ。勿論、キミたちの親御さんにも今頃話は届いているだろう』


『――私からは以上です。問題なければ配信を終えましょう』


 Q&Aは終わったようだ。しかし俺たちのクラスは未だ事情を呑み込めていない層が大半だった。俺も例に漏れず。


『じゃあ、これからの学校生活、もとい性活を心行くまで楽しんでくれたまえ。またね』


 手を振りながら、理事長の映っていた画面がブラックアウトする。そうして、液晶が天井に格納されると共に、白井先生が口を開いた。


「これから新しい学生手帳を配る。各自校則を再確認し、日々の生活を送るように」


 前の席から学生手帳が回される。自分の名前が刻印されたものだけを取って、後ろの席に回した。入学式の時にもらったものよりかは少し重い。

 中を開くと『評価点』項目が記載されていた。学生手帳が携帯端末としての役割を果たしているのか、そこには「更新時刻(今日の日付)」と「0」という数字が並んでいた。


「評価点についての質問は随時受け付ける。HRはこれで終わりだ。以上」


 白井先生はそれだけいって教室を後にした。クラスの中ではすぐさま喧騒と共に小さな悲鳴が無数に上がったが、俺には入る輪など無かった。

 きっと皆混乱しているのだろう。俺もこの混乱を共有したい。

 混乱や不安といった負の感情は、共有によってその重みを減らせる、というやつである。


 しかし・・・

 

 俺には、心当たりがありすぎる。

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