第3話 体育はラブコメですか?

「ねえミカゲッチ、なんで現実世界の体育には、ラブコメのような男女揉みくちゃになるラッキースケベ展開もなければ、怪我して二人きりの保健室でお手当デート、みたいな展開が起きないんだろう・・・」


 親見はグラウンドで前屈しながら、大きなため息をつく。


「いやなんだその展開、ラブコメというかもはや薄い本だろ」


 夏休み直前の7月半ば。照り付ける陽射し。

 体育の時間の準備運動で、俺は親見とペアになった。

 いつものことだ。


「なんだかなぁって感じでさ。やっぱり現実世界がラブコメに勝ってるとこなんてないと思うんだよね・・・今朝だって『登校中に葛西さんと曲がり角でぶつかって合体しちゃう』っていう展開も予測してたんだけど、起きないし・・・」


「・・・だからどんな展開なんだよそれ・・・」


「え~わかんない? よくあるじゃん。あれだよ

『いっけなーい、遅刻遅刻~』

からの曲がり角で男女がぶつかって、

『合ッ体ッ!!!!! はわわわわ~、こ、これが、合体なのね~』

ってやつ」


「ねえよ。あってたまるか」


 時折、この親友を本当に親友という立場で扱って良いのか不安になるときがある。

 将来「犯罪者(親見)の親友」として俺がTVにお呼ばれしてしまうんじゃないだろうか。


「あ、でもあれだよね、犯罪チックだし、そんなこと起きちゃダメか」


 良かった、まだ正気みたいだ。


「強くぶつかり過ぎたらケガさせて"傷害罪"になっちゃいそうだもんね。危ない危ない」


 そっちじゃねえよ。曲がり角超えて豚箱行きだよお前は。


「ゆっくり合体できるように柔軟はしっかりしとかなきゃ・・・っていででで! 強く押しすぎだよ! ミカゲッチ!」


 前屈する親友の背中をサポートとして押す。なんならこのまま背中をぽっきり折ってあげた方が世のため人のためであろうか。


「馬鹿なこと言ってんじゃねえ。いいか、今日から作戦実行だぞ」


「さ、作戦って・・・葛西さんの件だよね!?」


 前屈しながら半身の状態で目を輝かせる親見。


「ああ、今日の放課後からやるから、準備しとけよ」


「うん、わかった! ミカゲッチが立ててくれた作戦なら安心だ! よーし、今日も一日頑張るぞ~!」


 言って、親見は俺のサポートなど不要なほどにすいすい準備運動をこなしていった。まあ、そんな準備運動を念入りにしたところで、別段得はないとは思うのだが。


 どうせ俺らの体育、男女別だし。なんなら葛西は別クラスだし。


 可愛いあの子を意識して張り切って良いとこ見せる、とか、授業中についつい目が合っちゃう、などといったご都合展開は起き得ないのだ。

 そう、この世界は残念ながらラブコメの世界ではないから。


「よーし、男子ども準備運動が終わったら今日は2000mのタイム計測だ、誰かライン引きとタイムボードを倉庫から持ってきて先生を手伝ってくれないか~」


 男子生徒の準備運動が済んだ頃合いを見計らって、体育教師が更なる指示を出す。

 2000m走・・・地獄だな。こんな猛暑の中で長距離走をやろうとする体育教師なんて手伝ってやるもんか


「持ってきてくれた生徒には今日の2000mを見学させてやるぞ、特別にな」


「――先生、俺に行かせてください」


 即答だった。俺の手のひらを支える手首は柔軟すぎる。


「・・・御影、お前別にそんなタチじゃないだろ・・・って、はやっ!」


 呆れる体育教師の顔を見る間もなく、俺は体育倉庫――グラウンドの端っこにある古びたプレハブ小屋に駆けた。


 俺の2000mは、これだ! と思いながら走った。違うけど。


 プレハブ小屋の中はいつも通り薄暗くて、じめじめしていた。サッカーボールやグローブ、石灰の入ったでっかい袋からホイッスルまで、体育に通ずるありとあらゆるものが揃っているが、ここに長居したら体を悪くしてしまいそうな空気が漂っている。


「ええと、ライン引きとタイムボードだったか・・・どれどれ」


 石灰で真っ白になった地面を慎重に進みながら、目当てのモノを探す。


「――あら御影くん、奇遇ね」


「・・・」


 俺は何も聞こえなかった。いいね。

 ライン引きとタイムボードの声しか聴きたくないんだ。


「聞こえなかったのかしら? 御影トウマくん」


 聞こえない。


「私のペットの癖に・・・ねえ?――トウマ」


「――ッ、俺はお前のペットじゃねえ!」


 我慢ならずつい反応してしまった。振り返った先には、案の定我らが風紀委員、秋庭風香。ショートヘアに鉢巻をして、腕組みする姿はなんか腹立つくらいにまぶしい。体育祭ではしゃぐクラスの陽キャみたいだ。――いやまあそんなことはどうでも良くて。


「何しに来たんだよ」


「倉庫の備品を取りに来ただけよ、別に御影くんに会いに来たわけじゃないわ、自意識過剰じゃない?」


「俺に会いに来ただろ、なんて一言も言ってねえだろうが・・・」


「顔に書いてるわよ、よく見なさい」


「どんな顔だよ・・・」


 気まずい。いや、秋庭とは以前もこういう犬猿の仲のような会話を繰り広げることは稀にあった。それこそ昨日みたいに、日直の仕事をしてないことを咎められたときとか。


 けれど、状況は昨日までとは大きく違う。

 俺と秋庭の関係は変容してしまったのだ。大きく歪む形で。


 暫しの沈黙の後、俺はライン引きとタイムボードの声を拾い上げ、両手で抱えたまま体育倉庫を出ようとした。一刻も早くこの場を立ち去りたくて、早歩きで脱出を図る――が。


「待ちなさいよ」


「待たねえよ――ってウッ!」


 デジャブのような、背後からの束縛。秋庭に後ろから抱きつかれた俺は情けない声を上げてしまう。


「折角二人きりなんだから、少しくらいいいじゃない。ふふっ、まだ柔軟剤の良い香り」


 俺の体操服をくんくんとかぎながら、耳元で囁く秋庭。


「はー、溜まらないわ。・・・ねえ、今日は女子も長距離走なの・・・だから、


 言いながら、自身の体――主に上半身を俺の背中に押し付けてくる秋庭。

 諸君、感想など聞くな。愚問だ。


「やらねえよ! ・・・良いか秋庭、昨日のことは――」


 無理やり振り返って反論しようとしたが、その口を秋庭の綺麗な人差し指で制される。ちびっこに諭すように「しー」っと付け加えて。


「分かってる。二人だけの秘密だもんね。黙っておくわよ、私の可愛いペットのお願いだもの」


 俺の思惑はどうやら筒抜けの様で、秋庭はそのまま俺の体に身を預けるように密着する。

 しかし、こんなことをしていては俺が俺でなくなってしまう。


「だ、だから俺はお前のペットじゃねえ――離せ」


「やんっ――待ってよぉ」


 必死の抵抗により、なんとか秋庭の束縛から抜け出した俺は、体育倉庫を飛び出た。秋庭がふざけていやらしい声を出しているようだったが、そんなものは無視して男子生徒が集まっている場所まで走り続けた。


「あ、ミカゲッチ、思ったより遅かったね」


 無事帰還した俺をいの一番に迎えてくれたのは親見だった。

 高まっていた鼓動が、少しだけ落ち着く。


「ちょっと色々あってな・・・」

「色々って体育倉庫に行っただけだよね・・・?」

「ああ、体育倉庫だ・・・」

「色々ある体育倉庫ってなにさ・・・モンスターハウス?」

「・・・あながち間違いじゃないな」

「間違いじゃないの!? ダンジョンなの?」


 珍しく親見からツッコミを受けざるを得ない状況。不覚である。


「おい御影、何してたんだ。皆待ってるぞ。早くセッティングしてくれ」


 体育教師がちょっと声を大きめにして、俺をせかしてくる。元はと言えば秋庭のせいなのに、そんなことをいえるわけもなく。小走りで先生の元へ向かった。

 

「よーし、それじゃあお前ら、ぶっ倒れない程度に頑張れよー」


 そんなこんなで炎天下の中、やかましいホイッスルの音で2000mがスタートする。

 俺はその様を日陰に座り込んで眺める。


「あちーのに、よくやるぜホント」


 陸上トラックを各々のペースで走り続ける男どもを見て、ボソッと呟いた。2000mも走ったら、体操服が汗でぐちょぐちょになるに違いない。そうして体育の後の教室は男子の制汗剤の匂いが充満し、女子たちはその匂いを嫌って窓を開ける。もはや「日本の伝統行事」のようなシーンがこの後待っているのだろう。


 そんなことを思いながら、俺は昨日からずっと焼け焦げてしまったままの思考に目を向ける。


 親見と約束してしまった作戦のこと。

 理科準備室で見たあの光景――そして、秋庭のこと。


「やっぱ見学じゃなくて、病欠の方が良かったかな・・・」


 思考はまとまらず、問題は脳内で常に先送りされる。

 まぶしい光景を前にして、俺は頭を落とした。

 体操服からは、やけに良い香りがして、それもまた俺の心を憂鬱にした。

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