第2話 ラブはラブでもラブじゃない
「鬼島くんッ♡ 私、もう・・・ッ」
「あ、ああ、俺ももうすぐだ。上がってきた上がってきた、へへっ、へへへっ・・・」
鬼島。鬼島倫太郎。
残念ながら、というべきか、幸運なことに、というべきか、俺はその名を知っていた。
彼はこの高校随一の「チャラ男」として有名で、一部の男子生徒から、女子を食い散らかすその悪名高さから「鬼島絶倫太郎」と呼ばれていた。
そんな男が、理科室準備室でカワイイ女生徒と情事を貪っているではないか。
なんたる蛮行。許しがたし。
・・・けど羨まし!!!!!!!
絶対にばれないように、ドアの数ミリ程度の隙間から中を覗き込む。
「あぁん、鬼島くぅん」
桜色の髪を揺らしながら乱れる女性の方はさっぱり誰だか分からない。それでも、二人の情事が激しいものだということだけは明確に分かる。二人の体が弾け合う音は少なくとも理科準備室付近では響いているようだった。
というか、何で理科準備室でやってんだよ。
職員室への一本道である廊下を一つ曲がった先にある理科室。その更に奥まった扉の向こうに理科準備室。いくら盛っているとは言え、もうちょっと用心するべきだろ。
良く分からない説教を心の中で繰り広げながら、俺は理科準備室の前に座り込んでいた。べ、別に覗き見に必死になっていたわけじゃないんだからね!
――長居するわけにもいかない、頃合いを見てここを離れよう
そう思った時だった。
「――うぶっ!」
背後から、何者かに上半身を引っ張られ、そのまま羽交い絞めにされる。そのまま、耳元で囁かれる。
「――のぞき見なんて、相変わらず低俗な趣味してるわね」
「あ、そのこれは・・・って、秋庭?」
俺を引っ張って羽交い絞めにしているのは秋庭風香――我がクラスの風紀委員。全くもって状況が呑み込めない。
なんだ。なんで秋庭がここに?
「上級生の情事を見て、さぞ興奮していたんでしょう? ふふ、見れば分かるわ」
な、何を見たら分かるんだ(棒)
秋庭はなぜか俺の上半身をまさぐるように撫でまわしてくる。勿論、俺を羽交い絞めにしている状態は変わらない。
「お、おい秋庭、何してんだ、離せっ――っておい」
「離すわけないでしょ、馬鹿ね」
さらに両足で腰を挟み込まれ、がっちりとホールドされる。
チョークスリーパーでも喰らうのか、俺よ。
「え、えーとですね秋庭さん、俺がここに居るのには色々訳があるんですが、この状況は一体全体何がどうなってこうなっているんでしょうか」
「・・・呆れた。ほんとに馬鹿なのね、見て分からない?」
いや、分からねえよ。
まじで何なんだこの状況。冗談やドッキリにしちゃ質が悪い、しかも相手はあの大堅物、真面目中の真面目女子――秋庭風香だぞ。
「あなたは禁忌に足を踏み入れてしまったの、分かる?」
「キンキ? え、なに秋庭ってそういうアイドルグループとかに興味ある――ぐぇっ!!!!」
腹部を圧迫され、マヌケな声が押し出された。秋庭の柔らかいからだが背中に感じられるが、正直それよりも痛みの方が大きい。場合によっては吐き出してしまいそうなくらい強烈な「圧」だった。
「・・・はぁっ・・・♡・・・その声、その反応。それよ。私が求めていたのは、それなの・・・」
「・・・はひ?」
突然、秋庭の声が蕩けるようなものに変わった。
「もっと・・・もっと鳴いて・・・? 御影くんっ」
「お、おい秋庭、一体何――ヴォッ!!!」
また、強烈な「締め」が俺の腹部を襲う。
「あぁあん♡」
あああんじゃねえよ! と言いたかったのだが、腹部を圧迫されていてはまともに言葉を発することもできない。
「ふふっ、御影くん、御影くん・・・ふふ、ふふふふ」
どうやら自分の世界に入り込んでしまった秋庭。俺を締め付ける力も一旦弱まる。
時計の針の音、男女の歪な嬌声、かすかに聞こえるグラウンドではしゃぐ生徒たちの笑い声、そして――背後で息を荒げる風紀委員。
困った。これは随分困った。前も後ろも異世界過ぎる。
親見が最近よく口にする「イセカイテンセイ物」というのは、こういう状況のことを指すのだろうか。
だとすればこういった状況からの打開策を親見に聞いておくべきだった。
「すんすん、ハァーッ。御影くん、私たち今、繋がってるね・・・ふふ、ふふふっ」
いや繋がってないです。『繋がれ』てるだけです。
・・・蛇に丸のみにされる蛙の気分が少しわかった気がするぜ・・・
「ふーっ、暑くなってきちゃった」
衣服が擦れる音が聞こえる。別になんてことはないはずの音のはずなのに、俺は生唾を飲み込む。
パサッと何か軽いものが地面に置かれる音。
「ねえ、御影くん、私ね――」
俺は、俺は、一体何をしにきたのだったか。
日直の仕事をしようとして、
上級生の情事を盗み見ようとして、
同級生になぜか羽交い絞めにされて
「――私、御影くんを飼い殺したいの――」
耳元で囁かれる吐息交じりの淫靡な声。
「・・・」
俺は、どうやら絶対に迷い込んではいけない世界に引きずり込まれてしまったのかもしれない
親見、俺は前言を撤回する。
俺もラブコメの世界に行きてえよ。
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