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そこらへんの社会人

長すぎるプロローグ

第1話 ラブコメはありますか?

「ラブコメの世界に行きたいんだ」


 は? 何を言っているんだこいつ

 と思ったそこのあなた。安心してくれ、俺もそう思う。


「何言ってんだお前」


「いや、ラブコメディーの世界に行きたいなと思って」


「ラブコメが省略されてるから理解できなかった訳じゃねえよ、あほか」


「でも、本気なんだ」


 至極真面目な顔で、一切の淀みもなく、まっすぐな瞳のまま、彼はそんなことを言った。


 ――ラブコメの世界


 なんともまあ夢見がちというか、現実逃避というか。

 そんな世界があるなら、俺も見てみたいものだ。


「まーた変なこと言ってるわあいつら」

「ラブコメがーとか、二次元がーとか、ほんときしょいよね」


 クラスの女子たちが揶揄する声が耳に入る

 というかおい、何で複数形なんだよ。俺は何も言ってないだろ


「ねえミカゲッチ、僕たちはやっぱりラブコメの世界には行けないのかな?」


 さも「長年ラブコメの世界に行くことを夢見ていたけど、志半ばでその道を断たれた」風に言うな。俺は一度もラブコメの世界に行きたいなんて思ったことはない。

 ラブコメの世界は「虚偽」と「傲慢」と「ご都合展開」しか待ってないだろうが。


「僕は、僕たちは・・・ずーっとこの牢獄のような現実世界で一生を・・・ううっ・・・」


 そう嘆きながら、机に突っ伏してしまう級友を慰める。


「まあ、その、なんだ。残念だったな親見ちかみ、ラブコメの世界はそう簡単にはいけないかもしれないが、案外この世界も悪くはないかもしれないぞ?」


 友人の落ち込む姿は、見るに堪えないものだ。たとえそれがいかに理解できない悩みであろうと。


「・・・ほんと?」


「ああ、ホントだとも。例えば、そうだな・・・あれ見てみろよ」

「?」


 そう言って、俺は教室の窓から見える外の景色を指さした


「あそこに可憐な美少女が見えるじゃろ?」

「えーと、あれは・・・葛西さん?」


 親見は目を細めながら、俺の指先を追った。

 俺たちの教室は1階にあるので、グラウンドで遊ぶ生徒たちの姿が存外しっかりと目に入る。

 その中でも飛び切り目立って見えるのが、葛西――西という女子生徒だ。クラスは違うが、俺たち1年生の中で彼女のことを知らない人間はいないだろう。それくらいに知名度がある。


「そう、見目麗しい葛西さんだ」

「何を言いたいのか良く分からないんだけど、葛西さんがどうしたの? 僕がラブコメの世界に行きたいことと何か関係があるの?」

「勿論だ、親見がラブコメの世界に行きたいのなら、まずはこの世界でラブコメと何たるかを学んでから行くべきじゃないか? そうしないと例えラブコメの世界に行けたところで親見が送る生活はこの世界のそれと変わらないかもしれないじゃないか。要は、予行演習ってやつだ」


「予行演習・・・なるほど」


 親見の顔が少しだけ活気を取り戻す。

 いや、本当にこいつは一体なんて訳の分からない悩みを持っていたんだと思う気持ちはあるが、悩みは人それぞれなのだから、仕方はないか。


 背後から聞こえる女子生徒たちの更なる罵倒の声に心を切り裂かれながらも、俺は続ける。

 親見のためであれば、俺は悪人にでも変態にでもなろう。変態にでも(大事なことなので二回言っておく)


「で、でもさミカゲッチ、予行演習っていったって、葛西さんみたいな人気者と何をどうしたらお近づきになれるのさ。そもそもそんなことが出来たらラブコメの世界と一緒じゃないか。ひょんなことから美少女と仲良くなって、特に何もイベントは起きていないはずなのに自然と好感度は上がって、告白イベントは成功が保障されていて・・・そんな道筋が学年一の美少女である葛西さん相手に立てられるの?」


 なんだこいつ、ラブコメ分析しすぎだろ。そこまで分析してたらもはやラブコメ嫌いになっちゃわないか? 


「まあ、この世界はラブコメの世界じゃないから一筋縄ではいかないだろうな」


 グラウンドで陽キャらしく友達と楽しく遊んでいる葛西を見据える。明るいブロンズヘアーを一つにまとめたポニーテールを揺らしながら、学校指定の体操服ではしゃぐ姿は目の保養になってしまう。


 彼女の人気は学年の垣根を越え、毎日のように校舎裏に呼び出されては告白されているらしい。無念にもこれまですべての男子生徒が告白成就せず、敗れ散っているようだが。


 でも、だからこそ、希望を持つにはふさわしい相手である。

 誰とも結ばれていないという実績が、親見にはきっと好材料に映るだろう。

 純潔で純情で純愛で、ほら、ラブコメっぽいだろ?


「でもだからこそ葛西にアタックしよう、親見。ラブコメの世界よりも優れている何かをこの現実世界で見つけるチャンスだ。この世界に見切りをつけるのは、それからでも遅くないだろ?」


「ミカゲッチ・・・でも・・・」


「そう不安な顔すんな。大丈夫だ、俺が支えてやる。ラブコメ世界の男友達よろしく、女の子の好感度でも教えてやるよ」

「ら、ラブコメっぽいねそれ! うん! 僕頑張るよ! 葛西さんとラブコメチックな関係になれるように、頑張ってみる!」


 そう言って、親見は今日初めて笑顔を見せた。今日一日深刻な顔をしている親友を見て心配していたのだが、まさか「ラブコメの世界に行きたい」というただ一つの悩みだったとは・・・逆に尊敬するぜ、お前。


「じゃあまた明日! 今日は月刊"LovEComiC"読んでラブコメとは何たるかを再確認してくるね! ありがとうミカゲッチ!」


 教室から勢いよく飛び出してそういう親見に俺は手を振った。まあ、元気になったのなら良かったかと思いつつ、訳の分からない啖呵を切ってしまった手前絶妙な気分で会った。


 いや、だって俺別にラブコメは愚か恋愛のれの字もしらないわけで。葛西さんと一言も話したことないよ? 「俺が支えてやる」って何? 馬鹿なの? 俺


 自分の愚かさに大きなため息をついていた時だった。


「御影君、ちょっといいかしら」


「・・・へ? 俺?」


「あなた今日日直でしょ? 課題のプリント職員室に届けるの忘れてない?」


 我がクラスの風紀委員、秋庭風香が俺を見下すような目で見ていた。ショートヘアにメガネと、いかにも品行方正な雰囲気が漂っている。


「あー、そういやそうだった、すまん。今からやるわ」


「別に親見くんとどんな低俗な話をしていても興味はないけれど、自分のすべきことはちゃんとしてもらえるかしら?」


「へ、へぇ、すいやせん」


 こいつにも聞こえてたのか・・・


 俺は蛇に睨まれた蛙が如く、ぎこちない動きで教室を出た。秋庭は風紀委員だからというのもあるのかもしれないが、俺にやけに厳しい。別に俺自身不良生徒というわけでもないのに、ことあるごとに俺のミスや不出来を指摘しやがる。辛い。


 どっさりとまとまった課題のプリントを両手で抱えながら、俺は職員室へと向かう。放課後の教室はテスト期間ということもあって少し静かだった。

 葛西さんみたいな陽キャたちは、テスト期間の放課後でもお構いなしに遊んでいるようだが、大半の生徒は早く家に帰ったり、教室でテスト勉強したりと至って普通の学校生活を送っているようである。


「普通の学校生活ってなんなんだろな・・・」


 部活、恋愛、友情、高校3年間という時間は人生の中で一体どんな意味を持つのだろう。高校生のうちに体験するそれらの体験は、一生モノになりえるのだろうか。

 帰宅部、彼女無し、友達少なめの俺には全く想像がつかない。次郎系ラーメンのコールじゃねえぞ全く。


 そんなことを考えながら、職員室へと繋がる長い廊下を歩いていた時だった。


「あっ、鬼島君、だめだってばっ」

「大丈夫大丈夫、この時間は誰もここには来ないから」

「鬼島くっ――、あぁっ」

「へへっ、やっぱこれだよなあ」


 声が聞こえる。


 随分かすかな声のはずなのに、妙に内容が聞き取れてしまったせいで俺は足音を殺さざるを得なくなった。


「ほ、ほんと? ぜ、絶対誰も来ない?」

「ホントだって、この時間は皆ここを通ることなんかないから。大丈夫、だから、ねっ?」

「う、うん、わ、分かったぁ」


 ・・・なんだか怪しい、怪しいというか艶めかしい。


 別に何かを見たわけでもないが、聞こえてくる言葉がどうにも学生の日常生活とはどこか一線を画しているようにも聞こえる。


 困ったな。


 別に俺はそういうことをのぞき見にしに来たわけでもないし、なんなら早く日直の仕事をこなさないと秋庭にとがめられそうなんだよな。


 でも


 ――ラブコメの世界に行きたい


 親見の言葉が脳裏をよぎる。


 もしこの世界がラブコメの世界ではないのなら――


 非日常な世界に興味をそそられてしまうことはきっと罪ではない――


 いたし方のない、欲の前に素直である、それこそ、人間のあるべき姿であろう――


 「虚偽」と「傲慢」と「ご都合展開」、その正反対に位置する世界を俺は少し楽しんでみたいのだ。


 積み重なったプリントの山を静かに廊下脇に置いて、俺はかすかな声の在処を探すことにした。


 かすかな声の主たちは次第にその声量を艶やかなものに変質させつつあった。


 嬌声ともいえる、その声に俺の心音は早まっていく。

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