夏の旅路 (休止)
鈴ノ木 鈴ノ子
出会いの旅路
純白の入道雲と澄み渡るような青空が山々という額縁に挟まれている情景に、私は思わずキャンパスに描かれた絵画のようだと息を呑んだ。
額縁の山々は衣服のように纏った木曽五木などの繁る色濃い森の緑は照らされることで濃淡を繊細に魅せて、天と地を対照的なコントラストで彩っていた。
木々、緑の衣を纏いて、青天と遊びけり。
独り言を呟いた私はその情景に見惚れててしまい、付近の道の駅に車を止めて降りると、そちらにスマホを向けてシャッターボタンを押していた。
駅の温度計が38度を掲示しており、まさしく炎天下というに相応しかった。照りつける太陽と陽炎を燻らせるアスファルトの熱気に、車内で快適な温度で過ごしていた身体の肌を炙って汗を誘い出してゆく。
帽子に長袖だけど薄手のワンピースという夏のファッションで涼しくしているものの、首筋から汗が伝って胸元へと流れていく、それをハンドタオルで拭きながら、暑さの中で惚けるように自然が彩ったキャンパスに見惚れていた。
熱風が私へ吹き降りてスカートを足へと張り付かせたことで、現実へと引き戻された私は首周りの汗を拭きながら、暑さと諸々の用事を済ませようとトイレへと向かうために車内の荷物を取ろうとした時のことだった。ちょうど視線の先にバイク用の停車場が見えて、同じように暑さに耐えながら空を見続けている男性が目に入った。
白銀ようなライダースーツに薄緑のヘルメット、二人乗りのできそうなホワイトとブラックのツートンカラーのバイクに清々しさをふと感じた。
「私と同じような人がいるのね」
同じ感性の人と言うべきなのか、同じ景色を見続けている彼の姿を見て自分だけではなかったとこに安心しながら、ハンドバックを手に取ってこの状態ではあまり意味をなさないスカイブルーの日傘を開いて光を遮ると、ドアのキースイッチへと軽く触れて鍵をかけた。
指先には車体の熱が伝わってきて思わず火傷をするのではないかと思えるほどの熱さだった。
蝉たちは暑さのためか鳴き声が細くなりながらも懸命に鳴いている。例外とすれば夏特有のミンミンゼミの独特のフレーズが抑え気味ではあるけれど山々のあちこちから響いてきて夏をさらに体現していた。
道の駅の駐車場には他に数台の車とあの彼のバイクが一台、他はトラックが数台停車しているだけであった。トラックたちと距離は離れているがその力強いエンジン音が辺りを時より吹く熱風に乗って聞こえてきていた。
足早に駐車場を横切ってトイレへ向かい、諸々を済ませて手洗い場で冷たい水に手が触れると、その冷たさにしばらく手を浸してあまり許されざる行為だけれど涼をとる。改装されたばかりなのか、とても綺麗なトイレは手洗い場の片隅に一輪挿しの花瓶が置かれていて、小さなひまわりの花が生けてあった。
その黄色が室内の白さによって映え一段と美しく咲いて見える、この不浄の場が浄められているような気がしてくるほどだ。
辺りに人もなく入っている方も居ないので制汗シートで軽く首元や胸元などを拭い、捨てるのが申し訳なくなるほどに出来の良い愛嬌のある小ダヌキ型のゴミ箱へ謝りながら捨てて外へと出た。トイレ前の通路はシェルターで日差しは遮られているが外のため暑さは変わることはなく、茹るような暑さがぬるやかな風となって流れている。
ふと、道の駅にある食堂にぶら下がる『氷』の文字が目に留まる。まるで光に吸い寄せられる蛾のように、その青地に白く染め抜かれた「氷」文字が揺れる入り口へ誘い込まれて私は店の暖簾を潜っていた。
「いらっしゃいませ」
勘定場と書かれたカウンターで片肘をついてテレビを見ていた50代くらいのおばさんがこちらへ和かな笑顔を向けて出迎えくれた。平日の1番暑い時間帯となれば伽藍堂のようで、木曽檜の香りが漂う店内は貸切状態に等しい。室内は左側に木製の立派なテーブル席が8つほど、右側には窓に面して駐車場を見渡すことのできるカウンター席がL字型に据えられていた。
冷房の効いた室内は外界の暑さを忘れそうなほどに涼しく、昭和から使い込まれているのであろう箪笥のように大きな冷房機が低い独特の音を立てて、吹き出し口に結び付けられたピンクのビニール紐を揺らしている。時より冷風の風向きが変わるせいなのか、鋳物風鈴が柔らく優しい音色で、ちりん、ちりんと鳴いていた。
「どちらになさいます?」
腰を上げたおばさんが右手が左右を示しながら聞いてきたので、駐車場の見渡せるカウンターを選んで、木曽檜で作られているであろうと思われるぬくもりある椅子に腰を下ろし一枚板でできたカウンターの上にハンドバックを置くと、いつの間にか用意を整えたおばさんが、水とおしぼりを卓上に置いた。
「これが目当てじゃないかしら?」
嬉しそうな声で写真付きのかき氷メニューが横へと置かれた。先ほどの入道雲の色合いのミルクや、空の色を落としたようなブルーハワイ、深い緑の抹茶と色とりどりの氷が並ぶ様は見ているだけでも涼しさを得れた。
「この時間のお客様は大体これを頼まれるから。お決まりになったら声かけてくださいね」
「ありがとうございます」
和かな笑みを浮かべ軽くお辞儀をしたおばさんにお礼を言いながらメニューに視線を落として選んでいるとお客が入ってきて近くのカウンター席へと座った。先ほどのバイクを降りて景色を見ていた男性であったので、気になってメニューから視線を外してそちらへと顔を向けると、互いに視線が重なった途端に彼が驚愕したような表情を浮かべて固まった。
心の中で私はこの人もかと諦めのようなため息を吐いた。
私の顔の左半分の顔には火傷の跡が残っている。それは、おでこの辺りから左瞼を抜けて左頬から首筋の辺り、そして左胸から左脇腹のあたりまで達するものだ。もちろん、幼い頃についた傷ではない。
遠藤夏菜子
と言えば、この怪我の事件から引退して10年も過ぎているから、芸能誌の話題に上がることも無くなったけれど、今でも知っている人は知っているかもしれない、きっと、目の前の彼のように・・・。
傷を負ったのは丁度、10年前の今日と同じように熱い夏の日だった。
大型のドラマへ出演が決まり、映画の撮影も始まって女優業として本格的に軌道に乗り始めた矢先のことだった。映画の主演女優の役を私より数年前にデビューして人気絶頂であった女優さんと競い合って、血の滲むような努力をして射止めて、これからと言う時のことだ。
今だに犯人は逮捕されていないが、マネージャーと一緒に移動中の電車車内で襲われた。イヤホンでお気に入りの音楽を聴きながら、愛読している小説の最新刊をひとときの疲れを癒すかのように読んでいたところに、隣から赤い水滴が飛んできて文庫本にシミを作った。
「ちょっと!」
マネージャーの座っている方から飛んできたので、文句を言いながら顔を上げる。だが、返事はなかった。その代わりにこちらへとゆっくり倒れ込んでくるマネージャーの体とその首筋に深々と刺さったナイフから、血がぼとぼとと滴り落ちて私の洋服の白い右袖に染みては広がっていく。
「え・・・」
本当に驚いた時は叫び声を上げることはできないというのは事実だった。目の前にある光景がとても現実の日常で起こっている事だと認識できず、そしてぐったりとして目を見開いたままのマネージャーから視線を外すことができなかった。
「おい」
男性とも女性ともつかない声とともに私はそいつの左手で前髪を掴まれると顔を真上に引き上げられる。私の視線の先にはマスクにサングラスをかけた人物が見えたが、今もってその人物を思い出すことができない。覚えていることとすれば、何かを叫んだそいつが震える右手で何かの容器に入った液体を私へと振りかけた所まででだ。液体のかかった部位が焼け爛れる激痛に耐えきれず、私はその場で失神してしまった。
意識が戻ったのは、白い天井に簡易的な小灯台と液晶テレビ、そして無機質な白色の壁があるだけの無機質な空間でのことだった。
唯一、色合いを見せたのは壁に吊るされているカレンダーで、夏を通り越して晩秋の月へと暦を進めているのが分かった。一度ロケで行ったことのある妻籠の写真カレンダーを私はじっと見つめたまま、巡回で見えた看護師が驚いて血圧計を落とす音がするまでそれにじっと視線を向けて何も考える事なく、ただ、只々、じっと眺めていた。
病院から連絡を受けて翌日には両親と事務所の社長が姿を見せてくれたけれど、母の泣き顔と父の涙目にも、社長からマネージャーが亡くなったことを告げられても、主治医から体に傷が残ったことと浸潤性の薬剤を多量に浴びた左手小指を切断しなければならなかったことを告げられても、何も感じることも動じることもなく、「そうですなんですね」と頷いて当たり前のように納得するだけの私がいた。
この時、気がついたのだけれど、私は悔しさも、悲しさも、言ったらいいのだろうか、おおよその喜怒哀楽と言うものを、失った、いや、忘失したようだった。
主治医が精神科医に相談してカウンセリング治療が始まったが、感情が戻ることはなく、硬いゼリーのようなもので固定されてしまったものは、変化する事なく時折、何かに触れても崩れる事なく、言葉としては聞こえて理解をすることはできても、それに感情のような何かが伴うことはなかった。
でも、それで良かったこともある。
包帯の取れた火傷の傷痕顔を鏡で見ても、とくに取り乱すことなく、その姿を受け入れられたから。
その頃にはリハビリも開始されて、リハビリ室でリハビリメニューを一通りこなしていくが、私の顔を見た他のリハビリ患者は顔を背けることが多くて、私の感情のない素気なく感じる態度もあってだろうか、親しい人間を作ることはできなかった。
しばらくして社長が今後のことなどを弁護士伴って話に来たその時も私は淡々とそれを受け入れた。
夢に向かっていた過去の努力も何もかも、もう、何も思うことも感じることもなかったのだから。
退院してしばらくは週刊誌の取材やテレビの取材がやってきたが、私が顔を隠すことも、姿を隠すこともしなかったので一時的には大々的な話題にはなったが、しばらくするとそれは下火になった。隠れたり隠したりするから知りたいという欲求が湧くのだろうけど、私はそのままの姿で生活をしていたし、その後、何回か続いた皮膚移植の時も包帯の姿そのままで対応したのが、どうにも、ウケなかったのだろう。そのまま、ひっそりと引退して、亡くなったマネージャーが私のことを考えて運用してくれていた資産で日々を暮らしていたのだけど、昨日の朝、一枚の封書が自宅へと届いた。
それは外国系の自動車ディーラーからだった。
なんでも私は車を保有しているらしく、それの管理契約を20年で結んでいたが、10年の節目にそれを続けるかどうかの問合せであった。日記帳を紐解いて当時の辺りのページを捲ると、「撮影で乗ったのと同じ車を購入、全てお任せで高かったけど、満足かな。休みがあったらどこかに旅行に行きたい」などと書き記されていた。どんな車かも覚えて言いないし、税金やその他の関係などは顧問弁護士の先生のところの税理士さんが手続きをしてくれていたので、問い合わせが来ても私は全てをお願いしますで済ませていた。
とちらにしろ、何かしたいこと、などというものは失って久しいのだから仕方ない。
ディーラーに電話をしてアポイントを取ると、今からでも構わないと担当の男性が言ってくださったので、傷を隠すのが上手くなった化粧と長袖に長スカートに着替えてタクシーを手配して私は近所のディーラーへと向った。
傷を隠すことを覚えたのは、それが配慮すべき事柄だと理解したからだ。10年の暮らしの中で自分と違うもに向ける視線というものを嫌でも意識するようになっていた。
この世界は容姿が多少違うだけでも向けられる視線は違う。それは今のこんな私でも10年も過ごせばよく理解できた。
ディーラーの担当者は高橋といって身長の高い好青年だった。精悍な顔立ちに引き締まった体つきの彼が、ガラス張りのショールームにある商談スペースとは違う、衝立のある個室へと私を案内した。席を勧められて着席すると、挨拶もそこそこに彼は私の車の状態を示したデータシートを壁掛けの液晶画面へと表示した。
「こちらがお客さまの車の状態です。走行はほぼありませんが、契約通りに定期メンテナンスと各種交換などをおこなっております」
表示されたデータシートには、動かされてすらいないのに、定期的にいついつ整備したなどの詳細な事柄が記されていて、整備前後を示す写真撮影が添付されていた。ふとその写真を数枚ほど流し見をしていると、その手が同じものであることに気がつく。担当整備士の項目には「吉川修二郎」という名前が全ての報告書に書かれていた。
「いつでも動かせる状態となっております。今回の契約につきましては・・・・・。それから、もし、ご希望でしたら運転できるように手配いたしますが?」
長い各種説明を終えた彼はそう言って私を見た。もちろん、少し視線を外していることは容易に分かったけれど。
「そうですね。継続のままでお願いします・・・」
途中まで言ったところで私の視線は先ほどまで説明に使われていた液晶画面に釘つけになった。
スクリーンセーバーで表示された画像の一枚、そこにあの目を覚ました時にカレンダーで見た妻籠の写真が色鮮やかに写っていた。夕暮れの宿場町の街並を写したそれははあの時と代わり映えのしないのにも関わらず、私はそれを「美しい」と感じて戸惑った。
それと共に彼の地に行ってみようという漠然とした考えが浮かび、そして事件後に決して湧き上がることのなかった目的地のある旅への想いが湧き出でる水の泉のように止め処なく溢れて、ついにはその思いが口を突いて出てしまった。
「車、明日に運転することはできますか?」
彼がそれを聞いて嬉しそうな笑みを浮かべた。そしてしっかりと頷いてくれる。
「ええ、お任せください。ご準備をさせていただきます。何時頃にお越しになられますか?」
「明日の9時に取りに来ても良いでしょうか?」
「承知しました。ご用意しておきますね」
「よろしくお願いします」
その後はまるで遠足を待つ子供のようになった。ディーラーの手続きを済ませると足速に自宅へと帰路につき、そして、着ることを躊躇っていた長袖の薄いワンピースを取り出した。気持ちを一新するかのように着替えや荷物をトランクに詰め込み今に至っている。
そして、今気が付いたのだが、目の前の男性の驚愕の表情に対して私は辛く悲しい思いを抱いたことを見つけた。そして男性が口を開いて何かを喋り出すと芸名がくるのではないかと身構えたが、全く場違いな言葉が私へと投げかけられたのだった。
「500zのお姉さん?」
「え?」
そんな名前も記憶もなく一瞬戸惑ったが、ふとディーラーで車の確認のために一周回った際にセダンタイプの後部に「500z」と表記されていたことを思い出した。男性は外を見て駐車場に停車している車を確認して再び私の方へ向き直ると咳払いを一つして、恥ずかしそうに頭を掻いた。
「すみません。もしかしてですが、あの車は〇〇という支店に管理を依頼されてませんでしたか?」
男性の言った支店名は管理をお願いしていたディーラーで間違いなかった。私は頷くと彼がとっても素敵な笑みを見せた。
「やっぱりですか、動く時が来たって聞いてたので昨日も遅くまで整備していたんですよ」
「整備・・・・あ、もしかして」
1人の男性の名前が頭に思い浮かんだ。
「ええ、担当整備士の吉川と言います」
恥ずかしそうに頭を掻いた吉川さんがそのまま軽く頭を下げた。
「あ、じゃぁ、あのカードを下さったのは・・・」
ディーラーで車を受けとり、しばらく恐る恐る運転をしながら、信号待ちの停車中にサンバイザーを下げた時のことだった。
一枚のレターカードが私の腿の上に落ちてきた。サンバイザーに挟み込むようにされていたそれは柔らかい和紙でできたカードだった。手に取るとそこに達筆な文字が優しく綴られていた。
『旅路がこの車と共に素敵な時間となりますように祈っております。お気をつけていってらっしゃいませ。担当整備士:吉川』
カードをダッシュボードの上に置いて変わった信号に恐る恐るアクセルを踏み込みながら、運転を始めてすぐに、私は涙を流していることに気がついた。やがて心の中で嬉しさが溢れてきた。長いこと孤独のように過ごしてきた私にとって、そのカードの達筆な文字から伝わってくる思いはとても優しくてなんとも言えない心地が私を包んでくれる。いつ動くかわからない車をひたすらに地道に整備してくれていた彼が心からの祝福のように送ってくれたことは間違いないように思えた。
「ああ、あれも私です。ご迷惑でしたらすみません」
目の前でそう言った彼に私の涙腺が緩んだ。頬を流れ落ちる一雫が床へと落ちた。
「すみません・・・。なにか不快な思いでも・・・」
「あのカードありがとうございます。凄く、凄く、嬉しかったです・・・」
震え声の私に吉川さんが嬉しそうな恥ずかしそうに笑みを見せた。
「そう言っていただると嬉しい限りです。私もあの車で一人前にさせて頂きましたから・・・。こんな素敵な運転手の方に引き渡すことができてよかった。大切にしてきた甲斐がありました」
車が大切にされてきたことは室内を見てもよく分かる。革張りのシートは輝くように磨かれていたし、各部のスイッチやメーターは綺麗に磨かれていた。買った時から古い車だったのに、駐車場で日の光の元にいる車はまるで工場から出てきたばかりのような輝きを放っている。
2人で笑みを浮かべて笑い合っていると、おばさんがメニューを聞きたそうに咳払いをしたので、かき氷を2人とも注文した。私は抹茶で吉川さんはブルーハワイと頼むと私の隣へと確認した上で座った。隣に人が座るのを避けていた私だったがどことなくこの吉川という男性には不思議と嫌悪感を抱かなかった。もちろん、カードや整備の件が影響しているかもしれないが、それだけでない何かがあった。
「これからどちらに行かれるんです?」
「妻籠に行く予定なんです。突然、どうしても行ってみたくなってしまって」
吉川がそう尋ねてきたのでそう告げると、彼は嬉しそうに微笑んだ。
「それはいい。どうしても行ってみたいと言うのはいいですね。とくに突然ってのがいい」
「いいんでしょうか?下調べなどもしてないですから」
荷物を詰めて衣服を準備して昨日は終わってしまい、碌に妻籠を調べることもできていなかった。
「いいんですよ。行き当たりばったりでも、調べれて無くても、次を見つけるための旅と思えばいいんです」
少し日の陰った外を見ながら吉川さんがそう言った。
「次を見つけるための旅ですか?」
次を見つける旅という言葉をあまり聞き慣れなかったからだろうか、私は首を傾けた。
「次を見つけるという言い方も変かもしれませんけど、下調べのない旅ってのは、失敗できる旅なんですよ」
「失敗できる旅?」
「ええ、失敗できる旅です。ネットとかガイドブックとか、パンフレットとか、まぁ、色々なもので行きたい場所を選ぶのもいいかもしれません。でも、それって自分に合わないこともあるんですよ。だから、私なんかはお伺いして、現地で見学したり調べたりしてから、もう一度、そこへ旅するんです。2度目の旅は本当の意味での自分の旅になるんですよ」
そう言って彼はポケットから妻籠のマップを取り出した。それは観光協会が出している鼠色の紙に手書きで作られたものだけれど、それにはボールペンで色々と書き足されている。
「一度行ったからって、それで全てを語るのはお住まいの方に失礼ですからね、何度か通って本当に理解できたなら、それが本当の意味での旅行って思えるんですよね」
「なるほど・・・。吉川さんは妻籠に行くんですか?」
「あはは、実はそうなんです。つい先月に来ましてね、今回が2度目の旅です」
「奇遇ですね・・・。あ、そうだ、もしよければ少しだけ行っておいた方がよい所を教えてもらえませんか?」
「確かに全く知らないのは初めての人には辛いでしょうし・・・そうですねぇ、まずは脇本陣奥谷さんとかがいいかもしれません。ここで中山道の歴史などを見ることができますし、それに案内のおばさん方が丁寧な方ばかりですから、色々と教えてくれますよ。あとは街道を2往復して見ることですね」
「2往復ですか?」
「ええ、2回往復してみると、気が付かなかった路地とか、建物とか、畦の草花とか、そう言ったものを見つけることができるんです、それが意外と心に留まるんですよ、年寄りくさいかもしれませんけどね」
そう言って笑った吉川さんの屈託のない笑顔を見て、私も同じように笑って笑顔を向ける、それは何年ぶりにあんな風に笑えたんだろうと思い返すほどに、素直で純粋に笑顔をして笑っていた。
夏の旅路 (休止) 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki
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