第3話 東京、よくある話からの
山田はJRのT駅から一人暮らしの自宅へと歩いて帰っていた。弱い雨が降っているが傘はない。自宅の最寄駅は私鉄のN駅だ。1駅分の電車賃が惜しくてJRの駅から歩いて変えることにしたのを、雨に濡れて後悔しながら歩いていた。
私鉄の線路沿いを歩く。防音壁を超えて電車のゴゴゴゴという音が響く。
「何やってんだ俺は」山田は独り言をつぶやいた。
何やってんだ、というのはがめが降っているのに遠くの駅から歩いて帰っているからだけではない。
山田はこの月から無職になっていた。大学を卒業して一度就職した。そのときは新卒の労働市場がいわゆる買い手市場で、自分の望む会社には就職できなかった。1年その会社で我慢して働いて、転職活動をして、新しい会社に転職した。自分が行きたかった業界の小さな会社だ。会社は小さいけど、一度働いて経験を積めば、あとは転職でもなんでもすればいいと考えていた。しかし転職して1ヶ月、パンデミックの影響で業界自体が大不況になった。おれは転職2ヶ月で会社をクビになった。試用期間でのクビだ。会社は俺の実力が足りないためだと言ったが、どう考えてもパンデミックのせいだった。
こうして山田は無職になり、当座の生活費を稼ぐためのアルバイトから帰ってくるところだった。
世の中には巨大な力の流れが存在する。一人ひとりはその巨大な力の流れには抗えず、ただ流され、翻弄される。生まれた場所、就職する年の経済状況、戦争、災害、パンデミック。巨大な力の流れの前では、個人は一粒の粒子に過ぎない。
夜道を一人で歩いていると、そんな抽象的な考えが頭に浮かんできた。
「こんなはずじゃなかったんだけどな」山田はつぶやいた。
こんなはずではなかった。ではどんなはずだったのか。具体的には浮かばない。それほど賢くなかった。バカなりに、何かに成功していると根拠のない自信があった。少なくともこんなに惨めな思いをしてるとは思っていなかった。
漫画やドラマで歴史の人物の話を知って、歴史に名前の残るようなかっこいい人間になってみたいと思った事もあった。坂本龍馬みたいに、何かよくわからないけど自分の行動で時代の流れを左右するような人物になりたいと思った事もあった。
突風が前から吹いてきた。山田の持っている安い傘は逆さまに反り返った。それだけでなく、傘の骨が折れてもう元の形になることは不可能になった。山田はその傘を見て、傘を投げ捨てた。
どうせ家に帰ったらシャワーを浴びる。人間は防水性がある。濡れてショートすることはない。スマホだけあまり濡れないようにかばんの奥にしまってトボトボと歩いた。
向かい風は弱まることはない。台風でもないのに不思議だ。山田が違和感を覚えたその時、ジェットコースターの頂上付近で重力を感じなくなる一瞬のような感覚に襲われた。足先から嫌な感じが上がってきて、それが頭に到着したとき山田の視界は真っ黒になり気を失った。
目を覚ましたとき、空は明るかった。視界がなぜかぼんやりとしている。雨は降っていないし、夜でもない。時間の感覚はないので気を失ったのが一瞬なのか、長い時間なのかわからない。服は少し濡れているということは、それほど長い時間ではないのだろう。
声が聞こえてきた。知らない言葉。聞いたことのない言語。何人かの人が話している。
段々と視界がはっきりとしてきた。山田の目の前には知らない女性の姿があった。透き通るような白い肌、豊かな長い髪、その髪の毛はルビーのように深い赤だった。
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