第57話 マドリード会談②
前書き
お久しぶりです。また暫く投稿をしようと考えています。今年中は就職試験の影響でまた投稿できない日もあるかと思いますが、本作をよろしくお願いします。
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-スペイン:マドリード-
1937年4月14日
「まずはフランコ首相、此度の内戦勝利おめでとうございます」
「ありがとうございます。皆様の支援のお陰で早期に内戦を終結させることができました。ですが
史実のスペイン内戦よりも早期に終結したけど、スペインが負ったダメージは大きい。フランコ首相としては、今は内政と復興に力を入れたいところだろう。
「今のスペインの状況を考えたら、仕方がないですね」
私がそう言うと他の各国の首脳も頷く。各国も今のスペインから何かを求めるつもりはない様だ。
ヒトラー総統もそれに賛同する。
「そうですね。スペインは内戦からの復興を頑張ってください」
「ありがとうございます」
「ただ、我々が困った時はスペインが応えてくれたらいいだけですから」
「わかりました。できる範囲でしたら、スペインがお助けいたしましょう」
スペインの話が終わると内戦が続くメキシコの話に移ったが、そこでオーストリア=ハンガリー二重帝国代表のホルティ宰相の発言に場がざわついた。
「アメリカ合衆国から二重帝国貴族で旧メキシコ帝室家長の※①マリア男爵夫人を反政府勢力の旗頭にしたいとの要望ね」
「そうです。しかし、マリア男爵夫人は既に高齢で政治に関心がなく敬虔なキリスト教徒の為、アメリカからの要望を断っています」
「なるほど...もしかしたら※②メキシコ出兵の前例がある事も気にしているのかも知れませんね」
メキシコ出兵...それは第二帝政時代のフランスが1861年にメキシコへ出兵した戦争だ。
当時は共和派と王党派が対立しており、王党派の援軍としてフランス・イギリス・スペインが共同出兵した。
戦況はフランス軍を主力とする王党派が有利に進んでいった。そして、首都陥落後にメキシコ皇帝となったのが、当時のオーストリア帝国皇帝の弟である※③マクシミリアン大公だ。1864年に彼はマクシミリアーノ1世として即位した。
彼には子供が居なかった為、2人の養子を迎えた。その1人の子供がオーストリア貴族のマリア男爵夫人である。
この出兵はアメリカからモンロー主義を理由に反発を受ける。更にフランス軍が共和派に次第に負け始めた。その後、フランスはアメリカとの関係を優先してメキシコから撤退した。その結果、マクシリアーノ1世は共和派に捕えられ処刑された。
「確かに...今回もメキシコ出兵と状況は違えど初期の状態に似ています。もしメキシコ政府が反政府勢力を追い詰めた場合に見殺しにされる事を恐れているかも知れませんね」
「敬虔なキリスト教徒ならローマ教皇に働きかければ要望に応えてくれるかもしれませんが、内戦でスペインのキリスト教を守ったローマ教皇の影響力が拡大しているのを考えると、これ以上するのはローマ教皇及びローマカトリック教会による政治への影響力が強まってしまいます」
なるほど、確かにローマ教皇に働きかければマリア男爵夫人が要望に応えるかも知れないけど、これ以上カトリック教会が影響力を持ち過ぎると、バチカン市国を国内に持つ我が国の政治に悪影響が出る...難しい問題だね。
政治と宗教...私が転生する前のイタリアは、それに振り回されてきた過去がある。イタリアが統一して以降、ローマカトリック教会がイタリアを認めなかった事で、ヨーロッパの国なのにキリスト教国と認められず、周辺国から厳しい目を向けられてきた。
ムッソリーニが政権を獲得してバチカン市国の設立を認める事で、数十年にも及ぶイタリアとローマカトリック教会の関係は和解したという歴史がある。
その為、この問題はイタリアとしては最重要課題に等しいのだ。だからこの手段は最後の手段としたい。
そう結論づけ、私はホルティ宰相に質問する。
「マリア男爵夫人の他に旧メキシコ帝室の方はいないのですか?」
「はい、他の方となりますとマリア男爵夫人の2人の娘である長女のアンナ男爵令嬢と次女のギーゼラ男爵令嬢のみになります」
「どちらかが要望に応える可能性はあるのでしょうか?」
「次女のギーゼラ男爵令嬢は縁談の話が進んでいる様なので、応えるとなると長女のアンナ男爵令嬢でしょう」
「ではアンナ男爵令嬢に旧メキシコ帝室の跡を継いでもらうしかない様ですね」
「そうですね。マリア男爵夫人に相談してみます。幸い彼女は政治に関心を持って無い様なので」
「なら、その方向でアメリカの要望に応じましょう。メキシコに我々の影響力を置くことは後々都合が良いので」
ホルティ宰相の言葉を聴いてヒトラー総統がそう結論づけた。
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イタリア王国軍記〜美少女ムッソリーニに転生したのでイタリアを改革しイタリア軍にやる気を出させイタリアを勝利に導く〜を
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補足説明(ウィキペディア参考)
① マリア・ホセファ・デ・イトゥルビデ
メキシコ第一帝政の皇帝アグスティン・デ・イトゥルビデの孫及び第二帝政のマクシミリアン帝の養子という立場にあったイトゥルビデ公サルバドール・デ・イトゥルビデ・イ・マルサンとその妻ギーゼラ・ミコシュ・デ・タロードハーザ男爵令嬢の間の長女として生まれた。トランシルヴァニアに住んで居たがルーマニアの共産党政権から「階級敵」と見なされ、1948年76歳の高齢にもかかわらず夫とともに強制収容所に移送された。そして夫妻は1949年11月にデヴァの強制収容所に移送された直後、不可解な死を迎えている。
② メキシコ出兵
別名フランス干渉戦争とも呼ばれる。保守か革新かという独立後のメキシコの体制を決する争いであり、フランス帝国とアメリカ合衆国の代理戦争でもあった。
③ フェルディナント・マクシミリアン・ヨーゼフ・マリア・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン
ハプスブルク=ロートリンゲン家出身のメキシコ皇帝。海軍で指揮官だったが1864年4月10日、フランスのナポレオン3世と帝政復活を望むメキシコの王党派の支援の下、メキシコ皇帝に即位した。皇帝としての最初の法律のひとつは、労働時間の制限と児童の労働の禁止である。彼は、10ペソ以上の農民の借金を全て帳消しにする「徳政令」を出したほか、公共財産を回復させ、いかなる体罰も禁止し敵対しているフアレス政府が行っていた自由主義政策のいくつかを支持し農地改革、信仰の自由、投票権の大土地所有者以外への拡大などをしていた。
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