第56話 マドリード会談
-イタリア:ローマ ヴェネツィア宮殿 世界地図の間-
1937年3月3日
昼食から戻り、仕事を再開すると緊急の報告が上がっていた。
「スペイン内戦の終結ねぇ...」
史実でスペイン人民戦線政府を崩壊させたカサド大佐のクーデターが、この世界でも起きた様だ。
ただ史実と違って、マドリードが早期に陥落し、カサド大佐とマドリード守備隊が捕虜交換でカタルーニャに移された後にクーデターが起こった。
実際はカサド大佐は2度クーデターを起こしている。1回目はマドリードで、2回目はカタルーニャ州で起こした。
まあ、1回目に関しては
つまり今回のスペイン内戦は情報戦において、王国軍と十字軍側が人民戦線政府を上回っていたことが、内戦の早期終結に導いたことは間違いない。
「イタリアの情報戦は他の列強に比べればそこまで強くない。イギリスやドイツと同等レベルまで強くしないと、イタリアが第二次世界大戦を生き残れる保証は無い。今回の事でドイツから情報戦について、学んでくれればいいけど」
そう考えつつ、次の資料に目が移った。
“メキシコ内戦に新たな勢力が誕生”
資料を読み進めてみると、2ヶ月前に史実通りメキシコへ亡命した※①レフ・トロツキーが※②第四インターナショナルを設立して、第三勢力としてメキシコ南部を占領した様だ。
理由を調べていくと、アメリカとラテンアメリカ諸国から経済制裁を受けているメキシコ政府がソ連との関係を重要視し始めてたことで、ソ連が支援の対価としてトロツキーの身柄引渡しを要求したらしい。
それでトロツキーが反政府勢力に助けを求めたそうだが、彼が宗教自体を否定している過激派だったのが災いして受け入れられず、スペイン南部に逃れて、そこで社会主義者と共に新たな勢力を立ち上げたとのことだった。
勢力としてはまだまだ弱小だけど、史実でロシア白軍を追い詰めた軍事指導者としての功績を考えれば侮れないし、史実でトロツキーをメキシコまで追跡して暗殺するほど、狙った獲物は逃さないソ連がトロツキーのことを諦めるとは考えにくい。
メキシコ政府を唆すかアメリカの国務省に裏工作して、アメリカを本格介入させるか…メキシコ方面の情勢が読めない。
そんな情報が国内外から集まってくるのだからこの仕事も大変なものだ。…この世界の歴史は確実に変わってきている。
第二次世界大戦までにイタリアの国力を上げていかなければ、史実通りイタリア本土でドイツ軍と連合国軍が戦闘することになるかもしれない。
なんとしてもそれだけは避けなければ……大戦まで僅かしか時間がない。
-スペイン:マドリード-
1937年4月14日
スペイン内戦が終結してから1ヶ月が過ぎようとした時、スペイン王室が6年ぶりにマドリードへと帰還した。
亡命前に国王であった※③アルフォンソ13世は王室亡命の責任を取り、王位請求権を破棄した。そして四男の※④フアンがフアン3世としてスペイン国王に即位した。
史実でフアンは独裁者であったフランコから
この世界ではフランコが転生者であることと、王党派を味方につける為にスペイン王国の再建約束したことで、フアンがスペイン国王となったのだ。
そしてこの日、この内戦を支援した独伊墺葡の代表がマドリードに集まっていた。表向きはフアン3世の即位での会談と公表されているが、実態はこの先の世界情勢についての話であった。
「はじめましてフランコ将軍...いや今は首相でしたか、この様な場を設けてくださり、ありがとうございます」
「大丈夫ですよ、ムッソリーニ統領。支援してくれた国々の代表が、マドリードで会談をやりたいなんて言われたら、断る訳ないじゃないですか」
「ありがとうございます。では全員が揃ったことですし、会談を始めましょうか」
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イタリア王国軍記〜美少女ムッソリーニに転生したのでイタリアを改革しイタリア軍にやる気を出させイタリアを勝利に導く〜を
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補足説明(ウィキペディア参考)
①レフ・トロツキー
ロシア革命以降、軍事革命委員会委員長としてロシア白軍を追い詰めた。また外交ではドイツとブレスト=リトフスク協定の締結に関わった。レーニンから後継者に指名されるが、スターリンとの権力闘争に敗北し、1929年に国外追放を受けた。世界各地を転々とした後、メキシコに亡命したトロツキーは第四インターナショナルを結成し、官僚制に反対し続けたが、1940年にスターリンの刺客ラモン・メルカデルによって暗殺された。
②第四インターナショナル
1938年に結成された国際共産主義組織で、ヨシフ・スターリンが指導した
③アルフォンソ13世
第一次世界大戦で中立を宣言したスペインは16世紀以来の大型景気を迎えたが、物価は高騰し、貧富の差が拡大しただけだった。数々の社会改革を行うも政府高官が次々とテロで殺害され、旧来の市民を抑圧する政治に傾いていった。1923年にイタリアを倣いプリモ・デ・リベーラ将軍を登用し、権威主義体制による王権維持を目指したが、リベーラ将軍の失脚後に行われた自治体選挙の結果、共和派が帝政派に圧勝してアルフォンソ13世は退位した。その後パリへ亡命した。1941年2月28日ローマで亡くなった。
④フアン
スペイン内戦ののちに実権を握ったフランコ将軍は、フアンがリベラルすぎることを恐れて、その帰国を望まなかった。しかし、長男フアン・カルロスは受け入れ、政権の後継者として帝王学を学ばせた。そしてフランコの死後の遺言により、長男をフアン・カルロス1世としてスペイン国王に任命されたことで、スペイン王室が復古した。フアンは王位請求権を放棄した。その後、フアン・カルロス1世の計らいにより、スペイン国王が歴史的に有していた称号であるバロセロナ伯を公式に認めた。1993年にパンプローナで死去し『スペイン王フアン3世』の称号と礼遇によりエル・エスコリアル修道院に埋葬された。
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