閑話 とある大佐の受難 ①

-スペイン:マドリード 大統領官邸-

1936年9月28日


 反乱軍スペイン王国軍がマドリード近郊まで迫っているからなのか、人が慌ただしく動く大統領官邸の主人である※①アサーニャ大統領が共和国大統領護衛軍団長であるカサドを呼んだ。


 部屋に入るとアサーニャ大統領以外にも人民戦線内閣スペイン社会労働党の※②ラルゴ首相もいた。


「反乱軍がマドリードに迫ってきている...そこで人民戦線政府は首都機能をバレンシアに移転させる事を閣議決定した。だが反乱軍に首都であるマドリードをタダでくれてやる訳にはいかない。そこで君にマドリード防衛司令官...つまりは、中央軍最高司令官の役職を与え、たった今より大佐に昇進とする。マドリードを防衛して欲しい」


「わかりました。しかし、マドリードに接近中の反乱軍はおよそ20万と報告が上がっています。現在マドリード守備隊の兵力が約1万5000人、募集中の民兵を含めても4万程にしかならないでしょう。厳しい戦いになると思います」


「そうだな、評議会でもその話題があがって、余裕が空いている所から4個軍団約14万人をマドリード近郊に移動させる。何かあれば先ほど設立されたマドリード防衛委員会会長の※③ホセ中将と話し合うといい」


「わかりました」


 カサドが部屋から出ていくと、ラルゴ首相はアサーニャ大統領に尋ねた。


「大統領、彼は反共産主義者で保守主義者です。そんな者に中央軍最高司令官の役職を与えても大丈夫なのですか?」


「まあ、実質的な中央軍最高司令官はホセ中将だから大丈夫であろう。それにキリスト教勢力も王国軍に加わっているのだろう?それなら相手側に理解がある人材は交渉にも使えるから、ここら辺でカサドを昇進させなければならない。それと陸軍の半数が反乱軍となったのだから、軍の立て直しも急務だ」


「...わかりました」



-スペイン:マドリード-

1936年10月2日


 マドリード市の南と西を半包囲する様に王国軍が布陣した。東と北では人民軍の4個軍団と国際旅団対峙する様に王国軍の10個師団と二重帝国義勇軍が展開していた。


 包囲が始まったその日からマドリード市各所で銃声や砲声が響き渡った。マドリード市民で結成された民兵やマドリード守備隊が王国軍と銃撃戦を繰り広げる。


 だが、史実以上にマドリード守備隊や民兵が押されていた。それは史実で民兵や守備隊を鼓舞する者がマドリード包囲戦直前に多数行方不明になったからである。1ヶ月を過ぎるとマドリード市内の内4分の1程が占領された。


 司令部のカサド大佐の憤りは尋常ではなかった。


「...だから言ったのだ。元から勝てる見込みがないと、やはりあまり訓練されていない民兵は役に立たない。規律や忠誠はなく、軍の命令に従わずに勝手に行動する奴等め...それにカルタヘナが陥落して、ソ連からの援助が停止されただと...海軍は壊滅して役に立たんし、これでどうしろというのだ」


「失礼します!カサド司令官一大事です!」


「どうした?そんなに慌てて」


「はい、たった今入った報告によりますと臨時首都のバレンシアが陥落しました!」


「なんだと!?政府関係者はどうなった?」


「はい、大半の政府関係者はバレンシアを脱出した様で、人民戦線政府はバルセロナに臨時首都を移しました。しかし、その件でマドリード周辺に展開している2個軍団をバレンシア方面に移すことが決定されました」


「なんだと.......わかった。ホセ中将には私から伝えておこう」


「わかりました」


 2個軍団がバレンシア方面に移動してから、反乱軍の攻勢が強くなっていた。1ヶ月後には北部が完全に占領された。


 更にバスク自治政府が降伏したことで、追加で1個軍団が臨時首都バルセロナ方面に移動となり、先日には遂に東部も占領された。


 マドリード市は冬が始まったばかりの時期に、王国軍に完全包囲されたのだ。



1936年12月16日


 現在マドリード市は2つの問題が起こっている。一つ目は食料不足だ。包囲されて外から物が入って来なくなったのもある。しかし、より深刻な状態にさせているのは、反乱軍に占領された地域の市民が押し寄せたことだ。それにより、食料不足が加速している。


 二つ目は灯油等の燃料不足だ。冬の寒さを防ぐ為に燃料は絶対に必要なのだが、完全包囲されたことで調達も難しい。マドリード市民は倒壊した家屋から木材と民兵が支給された弾薬から火薬を取り出して、火を起こして暖をとっている状況だ。


 このままマドリード市民と兵士達が無駄な犠牲を払って最後まで戦い抜くのは無益だ...そう考えたカサドは、マドリード第四砲兵部隊を指揮する※④センターニョ中佐を呼び出した。


「失礼します。カサド司令官、お呼びでしょうか?」


「あぁセンターニョ中佐...これから私は反乱軍…いや王国軍に降伏しようと思う。これ以上、マドリード市民と兵士を犠牲にしたくない。フランコ将軍にそう伝えてくれ」


 そう言うと、センターニョ中佐は笑みを浮かべた。彼はフランコ将軍が率いるスペイン王国軍の諜報員である。史実でも反乱軍国粋スペインの代表を名乗り、カサド大佐に何度も接触して反乱軍に降伏する様に誘った人物だ。


「わかりました。その様に伝えておきます。閣下から伝言を預かっておりますので聞いて貰えますか?」


「わかった。聞こう」


「降伏するにしても共産党員や活気盛んな民兵等が抵抗を続けるでしょう。まずは彼等を排除しなければなりません」


「わかった。それは此方の方でやろう」


「それともう一つ」


「なんだ?」


「貴方達マドリード守備隊を捕虜交換でバルセロナに送ります」


「私達に死ねとでも言うのか?人民戦線政府の裏切った味方に対する報復を知らないのか?」


「情報は独伊と共同で徹底的に遮断します。貴方がクーデターを起こす日に大規模な攻勢をしたと此方で発表して、その攻勢で死亡した者達を発表すれば気づかれないでしょう」


「恐ろしいことを考えるな...それで捕虜交換をした後はどうするんだ?」


「バルセロナでもう一度クーデターを起こして、人民戦線政府を崩壊させて頂きたいとフランコ閣下が申しています」


「そうか...わかった。だがこの状態では共産党の連中や過激派民兵も降伏するかもしれないから、会議で話し合ってからでいいだろうか?」


「大丈夫です」


 しかし、会議は共産党員と民兵に阻まれて降伏のことは無しとなった。会議の終了後、カサドは腹を括って、軍部にクーデターの協力者を募った。



1937年1月5日


 日付が変わったばかりの真夜中、マドリード市内の重要施設や共産党員と民兵がいる家屋にマドリード守備隊が攻撃を仕掛けた。このクーデターには市議会議員で国防評議会に所属する※⑤フリアン・ベステイロやマドリード防衛委員会のホセ中将の協力の元、明け方には人民戦線政府のマドリード市支配地域を占領した。


 その後、カサド大佐の率いるマドリード守備隊がスペイン王国軍に降伏した。


 後日、マドリードの陥落がスペイン王国軍により発表された。そして人民戦線政府との交渉の後にマドリード守備隊と王国軍捕虜との捕虜交換が実施された。

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イタリア王国軍記〜美少女ムッソリーニに転生したのでイタリアを改革しイタリア軍にやる気を出させイタリアを勝利に導く〜を

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補足説明(ウィキペディア参考)

① マヌエル・アサーニャ

スペイン第二共和政首相(在職1931年〜1933年、1936年)およびスペイン第二共和政最後の大統領(1936年5月10日〜1939年4月)

左翼共和派の代表的な政治家として台頭し、1931年にスペインでボルボン王政が崩壊すると、新たに成立した共和国政府の陸軍大臣を経て1936年に首相に就任したが当時のスペインは革命後の政治的混乱から暴動が頻発していた上、著しく拡大していた貧富の差の是正、近代化改革の妨げとなっていたカトリック教会への対応など課題が山積していた。

アサーニャが推進しようとした改革は、貧民層満足させるにいたらなかった上、資本家、軍、カトリック教会などの保守層から反発を招き、成果を残せぬままスペイン内戦により政権崩壊へと至った。


② フランシスコ・ラルゴ・カバジェーロ

1869年にマドリードで生まれ、左官職人として働いた後に、労働運動に身を投じる。先鋭的な運動に参加して幾度か投獄された後、1931年にスペイン第二共和政が成立すると労働大臣を務めたが1933年に辞任した後、1934年10月に発生した騒擾事件に連座して検挙される。1935年にスペイン人民戦線が政権を獲得するまで投獄されていた。この当時、ラルゴは「スペインのレーニン」と呼ばれるほどの共産主義者となっていた。その後、フランシス・フランコが中心にスペイン内戦が始まると人民戦線内が混乱、同年9月4日にバスク地方のイルン陥落を期にホセ・ヒラル・ペレイラ内閣が総辞職、スペイン社会労働党からカバジェーロが首相兼陸相となり第四次人民戦線内閣を成立させた。1937年にバルセロナで共産主義者が蜂起すると首相を辞任。政治的に孤立を余儀なくされ、1939年にはフランスに亡命した。しかしフランスも安住の地ではなく軟禁状態に置かれ、1943年にはナチス・ドイツにより逮捕される。ダッハウ強制収容所に送られた後に解放され、パリに戻るものの1946年に同地で死去した。


③ ホセ・ミアハ・メナント

1900年のモロッコ戦争に従軍し、1911年に少佐に昇進し、1932年には将軍に昇進した。本人は右翼だったが左翼の人民政府で陸軍大臣に就任している。スペイン内戦が始まると彼はマドリードに駐留し、共和党政府への忠誠を保っていた。1936年11月、政府がファシスト軍の到着が差し迫る前に首都から避難し首都をマドリードに変えた時に彼はマドリード防衛評議会の司令官に指名された。その後1939年3月に人民戦線政府に対してカサド大佐が主導した反乱を支持した。


④ ホセ・センターニョ・デ・ラ・パス

内戦後半にフランコ側の諜報員となった。マドリードのフランコ主義者第 5 縦隊の指導者の一人となる。1939年2月にセンターニョは共和党中央軍の最高司令官であるセギスムンド・カサド大佐と何度か接触を維持し、その間彼はフランシスコ・フランコの代表を名乗り、共和党軍に降伏するよう誘った。そして3月にカサドのクーデターが起こり、フランコ将軍率いる国民戦線軍の勝利に大きな貢献をした人物。この世界線では、内戦前からフランコに調略されて、内戦序盤からマドリードで諜報員を務めていた。


⑤ フリアン・ベステイロ・フェルナンデス

スペインの社会主義政治家であり、マドリード市議会議員に数回選出され、1931年にスペイン共和国制憲コルテスの議長にも選出された。

スペイン内戦中が始まったが友人たちの勧めもあったが亡命はしなかった。1939年1月26日のバルセロナ陥落とアサーニャの共和国大統領辞任の報を受けて、ベステイロは平和を達成し抵抗を止めるために努力することを決意した。彼はセギスムンド・カサド大佐に連絡を取り、フアン・ネグリン政府とその同盟者であるスペイン共産党に対し蜂起した。

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