第47話 ローマ=ベルリン枢軸
-スペイン:王国軍兼十字軍総司令部-
1936年10月1日
南北の戦線が合流したことで司令部が統合されてできた総司令部で『スペイン王国軍』『コンドル軍団』『CTV』『ポルトガル義勇軍』『※①アイルランド旅団』『二重帝国義勇軍』の将校が集まっていた。
※コンドル軍団が空軍部隊を中心に海軍部隊・1個装甲師団。CTVが1個機甲師団・2個歩兵師団・カラビニエリ2個師団・空軍部隊、1個艦隊。ポルトガル義勇軍は3個歩兵師団。アイルランド旅団は史実よりも多い約1000名。史実では存在しなかった二重帝国義勇軍は約5000名。
そこにスペインの将校服を着た金髪ショートカットの美少女が総司令官の席に座った。
「スペイン王国軍兼十字軍総司令官、フランシスコ・フランコです。これより、首都…まあこの後、首都機能を※②バレンシアに移転するらしいので主要都市マドリード攻略とその間の他戦線での攻勢について、作戦会議を始めます」
「では、まずマドリードについてですが、人民戦線政府軍は民兵含めて約42000人が防衛についています。これを王国軍8個歩兵師団(約8万人)が攻略にあたります」
「質問よろしいでしょうか?」
とCTV司令官のロアッタ将軍が手をあげた。
「はい、大丈夫ですよ」
「攻撃には防御側の3倍の兵力が必要とされていますが、他の義勇軍もマドリード攻略に投入するのですか?」
「いいえ、各義勇軍にはそれぞれ対応して頂きたいと思います。出来ればもう少しマドリードに割く兵力も欲しいのですが、他の戦線での攻勢もありますので王国軍のみでマドリードを攻略します」
「わかりました」
「まず、北部の人民戦線孤立地域にはモラ准将とポルトガル義勇軍、アイルランド旅団に包囲を任せます。2〜3ヶ月程したら、此方の犠牲も少なく占領出来ると思うので、包囲のみに徹して下さい」
「わかりました」
「了解しました」
「承知しました」
「次に二重帝国義勇軍には、国際旅団に対処して頂きたいです」
「わかりました」
「今ある国際旅団は1個旅団だけですが、2000人前後の部隊が半月で1個結成されます。時間をかければかけるほど、旅団が増えて行きますので、マドリードに国際旅団が近づく度に迎撃、出来れば殲滅して下さい。彼等は
「わかりました。この※③ ソンバトヘイにお任せください。軍事
「ありがとうございます。何かあれば、連絡下さい。エミリオ准将
「わかりました」
「最後に最優先で攻略して頂きたい場所があるのですが、それをコンドル軍団とCTVに任せようと思います」
「了解しました」
「わかりました。ところでその任務とはなんでしょうか?」
「はい、※④カルタヘナを出来るだけ早く、CTVがグラナダを解放した時よりも早く進軍し、出来れば1週間以内に此処を占領して欲しいのです」
その言葉に驚きの声が総司令部内に響く、それにロアッタ将軍が声を上げる。
「待って下さい。カルタヘナは現在の占領地域から最短距離でも180kmは離れており、どんなに早く進軍しても6日は掛かります。しかもこれは現場での準備が完全な状態で最前線にCTVが配備されている場合の話です。前者に関しては2〜3日程あれば出来るでしょうが、後者に関してはコンドル軍団と部隊配置が離れており、両軍共に最前線に移動するまで時間がかかります。正直言って敵の反撃も含めた場合、とても1週間でカルタヘナまで行くのは無理難題に等しいでしょう。そんなにカルタヘナの占領を急ぐ必要はあるんですか?」
「ご意見ありがとうございます。カルタヘナにある洞窟には、スペインの国家予算5分の2である200トンの金塊があります。しかも最新情報として、これが1週間後にソ連に兵器購入の代金として送られる事が判明しました。これを見逃せば人民戦線政府軍の強化とソ連の支援による内戦の長期化が予想されます。ですので迅速に最優先でカルタヘナを占領して欲しいのです」
「200トンの金塊ですか...直ぐに取り掛かりましょう」
突如意見を180度変えたロアッタ将軍のその言葉に他の将校が驚いているとその言葉に続いてコンドル軍団の将校もそれに続いた。
「第二装甲師団もそれに賛成です。今直ぐに準備に取り掛かれば、間に合うかもしれません。それに試してみたい戦術がありますので」
その言葉を発したのは第二機甲師団長の※⑤グデーリアンだった。グデーリアンに続き史実よりも早く参謀長になった※⑥リヒトホーフェンも続いた。
「空軍も試してみたい戦術がありますので、是非それを使って絶対的な航空支援下で進軍を手助けしましょう」
「ありがとうございます。ではその通りにそれぞれ動いて下さい。その他の戦線は全て王国軍が対処しますのでお願いします」
「「「「「わかりました」」」」」
各義勇軍の将校が総司令部を去った後、フランコの副官が近づいた。
「閣下、先程人民戦線政府が首都機能を完全にマドリードからバレンシアに移転したそうです」
「そう...ところで、徹底抗戦派の
「はい、言われた通り秘密裏に排除しました。現在マドリード司令官の※⑦カサド大佐は、王国軍に対して降伏する様にと発言しており、防衛についている政府軍内部でも、その様な意見が少しずつでは有りますが増えています。徹底抗戦派である※⑧イバルリが現在行方不明になっているので徹底抗戦を主張しているのは主に民兵になっていますね」
「ありがとう。彼女がいないならマドリード攻略は随分楽になるよ。このまま、政府軍部内部で工作を続けて」
「わかりました」
-イタリア:ローマ ヴェネツィア宮殿 世界地図の間-
1936年10月25日
ベルリンに行っているチャーノがヨーロッパ再編に関する秘密議定書の締結する日。まぁ※⑨ドイツ・オーストリア7月協定は無かったけどスペイン内戦で協力してるし良好な関係は作れてると思う。まぁ多分史実みたいに「※⑩ローマ=ベルリン枢軸」って言われるのかなぁ?
書類を処理していると現在進行形で進んでいるスペイン内戦についての報告書が上がっていた。
半月前にCTVとコンドル軍団がカルタヘナに電撃戦で進撃し、準備期間も含めて5日で占領した。そこでスペインの国家予算の一部である200トンの金塊を奪取したのは記憶に新しい。
その時は実験的な意味で実戦運用されたR-4ヘリや装甲兵員輸送車、我が国の新型中戦車も活躍した。ただ日独から供与された新技術をまだ搭載していないみたいだから、それを搭載したら、正式に採用しようかな。バルボからも採用する様に言われているしね。
そんな話しはさて置き、報告書を見てみるとマドリード攻略の報告だそうだ、既に市内の4分の1を王国軍が占領したらしい。後2〜3ヶ月もすればマドリードも陥落するかもね。
史実のマドリード包囲戦は、降伏しようとするマドリード司令官であり、共和国大統領護衛軍団長のセギスムンド・カサド大佐に反対してドロレス・イバルリが「膝を屈して生きるよりは、脚で立って死のう! 奴らを通すな! 我らは通るぞ!」と言い放った言葉がマドリードを防衛する人民戦線政府軍を奮い立たせ、それをスローガンに約3年間
まあ、この調子ならもしかしたら、1年位でスペイン内戦が終結してしまうかもしれないね。でもそうなると、軍需産業で生産した兵器や弾薬が余っちゃうな...第二次世界大戦まで政府が買い取って保管しておくのも有りか...財務大臣がなんか言って来そうだけど、予備予算でなんとかなるか。
「まあスペイン内戦が早期に終結したら、こっちの方に支援先を変更しても良いかもね」
ムッソリーニの手元にあるもう一つの報告書にはメキシコで反政府勢力の大規模蜂起という文字が刻まれていた。
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イタリア王国軍記〜美少女ムッソリーニに転生したのでイタリアを改革しイタリア軍にやる気を出させイタリアを勝利に導く〜を
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補足説明
① アイルランド旅団
エオイン・オダフィーが率いるファシズム団体である国家総合党が800人前後のアイルランド人を、義勇兵としてスペインに派兵した。彼らはスペイン内戦をカトリック信者の危機と捉えていた。しかし送ったはいいもののスペインの生活文化が
② バレンシア
スペインのバレンシア州バレンシア県の
③ ソンバトヘイ・フェレンツ
最高階級は大将。第二次世界大戦時のハンガリー軍参謀総長を務めた男。ハンガリー王国摂政のホルティ・ミクローシュの側近として知られた。彼は戦後に、ユーゴスラビア領内での戦争犯罪に対して死刑を言い渡され、1946年11月絞首刑となった。しかし後に彼の被疑事実は根拠のないものであると認められている。
④カルタヘナ
スペイン・ムルシア州の
⑤ ハインツ・ヴィルヘルム・グデーリアン
ドイツの陸軍軍人。最終階級は陸軍上級大将。第二次世界大戦の前半では第一線の指揮官として軍団長や軍司令官を務め、大戦後半では装甲兵総監・参謀総長代理を歴任した。1937年に著書 『
⑥ ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェン
ドイツ国防軍空軍元帥。従兄弟に『レッドバロン』と呼ばれるエースパイロット、マンフレート・フォン・リヒトホーフェンがいる。スペイン内戦の際「コンドル軍団」を率いていたことでも知られる。スペイン到着後にスペイン語を習得し、反乱軍将校と軍事的な議論をするなどしてフランコ将軍から気に入られた。1937年1月に参謀長に就任。シャトル爆撃戦術を考案し、攻撃効率を向上させた。1937年11月にコンドル軍団長に就任した。ただ、1937年ゲルニカ空襲の教訓で恐怖爆撃の理論を持つ様になり、積極的に無差別爆撃をする様になった。だがもう一つの戦訓で陸空軍の連携に力を入れて、第二次世界大戦では陸空軍の完璧な作戦行動の結果、数多くの作戦を成功させた。だが、イタリア戦線で連合国軍の物量により、敗北を重ね健康状態が悪化してしまう、1945年7月に脳腫瘍を患い病死した。
⑦ セギスムンド・カサド・ロペス
スペイン共和国首都のマドリード司令官で共和国大統領護衛軍団長。反乱軍に降伏してマドリードを明け渡そうとしていたが、イバルリ等による反発の声が多く断念した。マドリード陥落後、秘密裏に反乱軍と接触し、共和党の降伏交渉を行ったが、徹底抗戦を主張する共和党の共産主義者が大反発し、このままでは民間人や兵士の無駄な犠牲を払って最後まで戦いを続けるのは無益であると確信し、共和党政府に対してクーデターを主導した。その後、徹底抗戦を主張する共和党員がフランスに亡命した。休戦協定を条件にフランコ将軍と交渉を望んだが受け入れられず、フランコ将軍率いる反乱軍に無条件降伏し1939年にイギリスに亡命した。
⑧ ドローレス・イバルリ・ゴメス
スペイン第二共和政とスペイン内戦における政治指導者として頭角を現したスペイン共産党の歴史的指導者である。1936年から1939年まで続いたマドリード包囲戦における有名なスローガン「膝を屈して生きるよりは、脚で立って死のう! 奴らを通すな! 我らは通るぞ!」を語ったことで知られている。
⑨ドイツ・オーストリア7月協定
1936年7月に締結された条約。内容としてはドイツはオーストリアの独立を尊重し、オーストリアは自国のナチスを認めて政権に参加させるとしていた。しかし、この協定の成立はドイツ・オーストリア関係の調整が以後両国の力関係にゆだねられることを意味している。
⑩ ローマ=ベルリン枢軸
1936年、ドイツのナチス党とイタリアのファシスト党との間に成立した提携・協力体制。ムッソリーニが「両国を枢軸としてヨーロッパの国際関係は展開する」と述べたことによって両国の関係を表す言葉として世界に浸透した。
当初はローマ=ベルリン枢軸と呼ばれていたが後にドイツの影響力が強くなり、ベルリン=ローマ枢軸と名前が変わった。史実のイデオロギーや政治的利害の違いによって、最後まで全面的協力関係には発展しなかったが、この世界では全面協力とはでは行かないまでもほぼ全面協力体制を築くようになる。
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