外伝 相澤事件前編
本編からは脱線しますが、今話は様々な人物(創作の人物有り)が出てきます。また、転生した永田鉄山を美少女にしていますので、名前が女性名に変更されています。ご理解のほどお願いします。それと最初の部分が長文ですが、ご了承ください。
-追記-
6月11日に大規模な改稿を行いました。
それと極東ロシア大公国の領域を沿海州→極東ウクライナ共和国(北樺太を除く)に変更しました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
永田少将、本名を
彼女はこの世界に最初に転生して来た人物である。彼女が転生したのは1918年3月16日。彼女はその日の新聞で
そして、史実におけるニコライ2世一家の悲劇を知る彼女は史実を変えようと行動する。幸い彼女には転生前の記憶が会ったので、上官と当時のロシア駐在武官である同期の※①小畑敏四郎の協力も有りロシアに着いたが、その時7月1日であった為、大急ぎで鉄道を乗った。
※ニコライ2世一家が処刑されるのは1918年7月17日午前2時33分
途中シベリア出兵を行っていた日本軍の助けを借りて進んでいった。現場指揮官から精鋭の1個小隊を借り受け列車を使って7月16日の日付が変わる頃に※②エカテリンブルクに入った。
そして、2時頃にロマノフ一家が監禁されている※③イパチェフ館に一個小隊と共に軍刀と拳銃を握りしめ突入した。その中で倒した警備兵から鹵獲した※④フェドロフM1916を持ってニコライ2世一家が監禁されている地下へ突入した。
地下にいたチェーカー次席の※⑤ヤコフ・ユロフスキー率いる銃殺部隊数十人と交戦し連れてきた精鋭の兵士からも徐々に負傷する者が現れるなどかなりの銃撃戦となったが、一人ひとりずつ倒していき突破した。
ニコライ2世一家が連れて行かれた地下2階へ急いだがついたときには、ニコライ2世一家の処刑が執行されている最中であった。処刑が執行される直前であった※⑥アナスタシア・ニコラエヴナを守るため執行していた銃撃隊員を斬り殺し、唯一生き残っていたアナスタシアを保護して日本に連れ帰った。
連れ帰る途中に目の前で家族が殺された事で精神的に参っていたアナスタシアに永田は(ロシア語を習得していた為)近くに寄り添い励まし続けた。その事で多少気が楽になったという。アナスタシアが生きていた事で白軍がソ連地域からも敗れた後に多くの貴族を中心に1000万人を超える白軍と難民が日本領に入った。
その時にロマノフ家と親戚であるイギリス王室がこの行動を支持した事がきっかけでイギリス政府がソビエトを大々的に非難した。その後にイギリスが永田等に勲章を授与した。その後、北樺太が日本領に編入になったが日本のバックにイギリスがいたことでソビエトが迂闊に日本に手を出すことができなかった。そして、日本は北樺太を除く旧極東ウクライナ共和国の領域にアナスタシアを中心に貴族、ロシア白軍並びに難民を迎え入れ極東ロシア大公国を建国し日本の保護化においた。
その後は基本的に史実通りだが、太平洋戦争での陸海軍の争いを踏まえて1933年から統制派の改革を始めた。当時、所属の軍人からの非難が殺到した時に一人ひとり話し合って一応まとまったが、皇道派の勢いをつけさせる事になった。
-極東ロシア大公国 首都:ウラジオストク-
1935年6月30日
「お久し振りです。アナスタシア大公閣下」
「公的な場を除いていつも通りにして下さいと言っているのに」
「では、お言葉に甘えて久し振り、アナスタシア」
「はい、お久し振りです」
「ここでの暮らしはなれた?」
「はい、17年も居たらもう慣れました」
「それは良かった。10年後迄にはソ連を倒してロシア帝国を復活させてあげたいけどね」
「またまた、ご冗談を」
「本気なんだけどなぁ…」
「お気持ちだけ受け取っておきます。話が変わりますけど、最近 日本の帝都では派閥の争いが激化していると聞きましたが、大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。もし、私の身に何かあったとしてもあの時みたいにどんな奴でも斬りつけてやるから」
と扉の前で預けてない筈の軍刀のある左腰に手をかける。
「それは頼もしいですね」
と微笑む。
「なんか、あったら直ぐに言うんだよ。直ぐに駆けつけるから」
「わかってますよ。でも駆けつけるなら良い人を紹介しますよ?」
と意地悪な顔をする。
「うっ、お見合いはいいかな…」
と永田少将は一歩後ずさりする。
「もう、貴方は51歳ですがその美貌にその地位だったら、殆どの男が狙うと思いますけどね?」
「私は自由が好きなんだ、結婚はしないよ」
「そうですか…」
そういうアナスタシアはなんだか悲しそうな雰囲気を醸し出していた。
その時にロシア正教会の鐘が響いた。ふっと永田少将がなにかに気づいた様だった。
「そろそろ、日本に帰らないと行けないから」
「あっ...もうそんな時間でしたか」
「またいつか会おう、じゃあね」
「えぇ、またいつか」
-日本 東京-
1935年8月11日
閉門ぎりぎりの時間帯に陸軍中佐の軍服をまとった軍人が明治神宮に参拝してきた。そして、その男はあることを祈願した。
「もし、私の考えていることが正しいなら成功させて下さい。悪かったならば不成功に終わらせて下さい」
その男の名は相澤三郎。史実において永田鉄山を殺害した人物である。歴史の流れが彼女を許すかどうかは神のみぞ知る。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
イタリア王国軍記〜美少女ムッソリーニに転生したのでイタリアを改革しイタリア軍にやる気を出させイタリアを勝利に導く〜を
読んで下さりありがとうございます。
もし、面白いと思ったら★評価と♡応援とフォローお願いします。
また、誤字・脱字があるかもしれません。
もし、見つけましたら、気軽にご報告ください。
89フォロー及び4292PV、73★評価に1レビュー、160♡応援に
19応援コメントありがとうございます。
補足説明(ウイキペディア参考)
①小畑敏四郎
永田とは陸士同期で陸軍士官学校16期生である。皇道派の中心人物。1921年10月頃にドイツ南部のバーデン=バーデンにおいて、永田鉄山、岡村寧次と共に薩長閥の除去を目的とする。『バーデン=バーデン密約』を行う。
②エカテリンブルク
ロシア中央部にある大都市。
③イパチェフ館
元は商人の家だったが収集されて78日間ニコライ2世一家を幽閉するための建物として使用された。
④フェドロフM1916
種別 自動小銃
口径 6.5mm
銃身長 520mm
使用弾薬 6.5mm×50SR(三十・三八式実包)
装弾数 25発(箱型弾倉)
全長 1045mm
重量 4400g
発射速度 400発/分
⑤ヤコフ・ユロフスキー
ニコライ2世一家の殺害を指揮した人物。
⑥アナスタシア・ニコラエヴナ
最後のロシア帝国皇帝ニコライ2世とアレクサンドラ皇后の第4皇女。ロシア大公女。1917年の二月革命で成立した臨時政府によって家族とともに監禁された。翌年の1918年7月17日にエカテリンブルクのイパチェフ館においてヤコク・ユロフスキーが指揮する銃殺隊によって超法規的殺害が実行され、家族・従者とともに17歳で銃殺された。長年生存説が囁かれて自分がアナスタシアだといった女性が過去に200人いたという。1991年にエカテリンブルク近郊の森でニコライ2世一家と使用人のものと見られる遺骨が大量に発掘されたが当時の共産主義体制下であったためその事実は公表されずに元の場所に再び埋められた。欠落している遺骨がアナスタシアの物として埋葬された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます