第13話 英仏との不可侵条約とドイツの再軍備宣言
-フランス:パリ-
1月20日1時頃
「ようこそチャーノ外務大臣、既にイギリスの※①サイモン外務大臣がいらっしゃっていますよ」
とバルトゥー外務大臣の死去によって後任の外務大臣となった※②ピエール・ラヴァルはチャーノ外務大臣を応接室前で出迎えた。
「出迎えありがとうございます」
「いえいえ、外務大臣として当然ですよ」
そうして、英仏伊三国の事前会談が始まった。
「では両国とも、5年間の不可侵条約を締結する事で間違えないでしょうか?」
「えゝ最近は大陸の方が騒がしくなっていますからね」
とサイモン外務大臣がを言う。
「もう塹壕戦なんて懲り懲りなのですが…」
とラヴァル外務大臣は懸念を口にする。
「そうですね、やはり両国の不可侵条約締結を早めたのはドイツの再軍備についてですか?」
「ええ、既に諜報機関から、ドイツが31日に再軍備宣言するらしいですから、フランスと共に締結を急がせてしまいました」
とサイモン外務大臣は発言する。
「ところで締結の前に両国に伝えたい事が有りまして」
とラヴァル外務大臣がある提案をしてきた。
「共同声明ですか?」
「ええ、仏英伊首脳でのドイツの再軍備対する共同声明を出してほしいのですよ」
とピエール外務大臣が言う。
「まぁそれくらいなら大丈夫だとは思いますが、会談場所は何処にしますか?」
とそれに応じてサイモン外務大臣が二人に聞く。
「では、我が国はどうでしょうか?今回の提案したのにフランスに場所を提供させて貰ったままでは我が国の面子が持たないので」
※後の※③ストレーザ戦線
「それで良いでしょう」
と英仏の外務大臣は納得した。
「そうですね。それとそろそろ時間ですので締結しましょうか」
とピエール外務大臣が言い不可侵条約を締結する場所に移動した。
その後イタリアは英仏と5年間の不可侵条約を締結した。
-イタリア:ローマ ヴェネツィア宮殿 世界地図の間-
1935年1月31日
軍の視察の準備を首相室で行っていると、アンナが部屋に入って来た。
「ドゥーチェ、ドイツがヴェルサイユ条約の破棄と再軍備を宣言しました」
「イギリスの報告は正しかったみたいだね」
「それとドゥーチェ、ドイツのヴェルサイユ条約破棄を受けて、英仏とイタリア国内で会談が求められています」
あぁ、チャーノがこの前報告してきたやつか…確か史実ではストレーザ会談って、言われてたから、史実通りに会談場所はストレーザで良いかな。でも締結したところで、イタリアのエチオピア併合と
「わかった。英仏に会談場所はストレーザと連絡しておいて」
「わかりました」
と言ってアンナが部屋から出ていった。
-日本:東京 早朝-
朝の冷えた道場で数十人の男達に混じって1人の女が剣道の防具を身に纏い稽古をしていた。そして朝稽古が終わり面をとると、その女の容姿が顕になる。それは容姿はまさに大和撫子と呼ばれるに相応しい黒髪ロングの美少女だった。そこへ1人の陸軍の軍服を着た男がやってくる。
「永田閣下、お疲れ様です。井戸水で冷やしたラムネを持って来ました」
「ありがとう。貴方がここに来るという事は何かあったの?派閥のこと?それとも世界情勢で何か起きた?」
「はい、両方です。派閥の事に関しては海軍の旧※④条約派の者達を派閥に加える事が出来ました。これで統帥権問題並びに軍の政治への口出しの抑止への道が更に加速するかと思います」
「ようやく旧条約派を加える事が出来たのね。政治家達の様子はどうなっているの?」
「はい、派閥の掲げる思想に感銘を受けた様で軍出身の者、右翼思想の者以外は概ね派閥を支持するそうです。しかし最近になって、派閥の支持を表明した政治家や派閥の者が襲撃される事件が最近増えていますので、永田閣下もお気をつけて下さい」
「分かった。世界情勢の方はどうかしたの?」
「はい、ドイツがヴェルサイユ条約を破棄して再軍備を宣言しました。これが駐独大使から報告書です」
「なる程…
「いいえ、不可侵条約は昨年から決まっていたそうですので、ドイツの情勢の変化によって早めたと諜報機関から報告が上がっています」
「そう、報告ありがとう。私はこれから着替えるから外で待っていて」
「分かりました」
そして彼女の為に特別に作られた更衣室で彼女は副官から渡されたラムネを飲む。
「物足りないなぁ、やっぱりファンタの方が良いな…そう言えば、
※(ウイキペディア参考)ファンタは1939年の第二次世界大戦勃発でコカ・コーラの原液を輸入出来なくなった。1938年からドイツ・コカ・コーラの支配人であるマイク・カイトがコカ・コーラの代替商品を求め主任研究者らと共に開発された。ファンタオレンジは1955年にイタリアでオレンジ果汁を配合した炭酸飲料が開発されドイツ起原の「ファンタ」の名が付けられた。
なので今現在は、ドイツがコカ・コーラのドイツ支配人の変更をコカ・コーラ会社に
「もし忘れてたら叩き切ってあげるからね」
そういうと、自然と腰にある軍刀に手をかけていた。
-ドイツ:ベルリン-
再軍備宣言から後に国防軍の大臣や各銃器メーカー等の代表達と会議を行っていたヒトラーは突如悪寒に襲われた。
「総統閣下…!大丈夫ですか!?」
「えゝ大丈夫よ…なんか殺気を感じたわ…」
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イタリア王国軍記〜美少女ムッソリーニに転生したのでイタリアを改革しイタリア軍にやる気を出させイタリアを勝利に導く〜を
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※補足説明(ウイキペディア参考)
①サイモン外務大臣:本名はジョン・オールブルック・サイモン。外務大臣としては、軍縮とナチス宥和政策に努め、1935年にドイツを訪問してヒトラーと会見を行っている。
②ピエール・ラヴァル:1930〜1940年までの間に3回首相に歴任した。1935年にエチオピア危機の時にイタリアに対する宥和政策を行ったことで有名。再軍備を宣言したドイツに対してストレーザ戦線を締結したが、英伊の影響でストレーザ戦線は崩壊した。3度目の首相(ヴィシー政権)時には親ナチス派による過度の対独協力に抵抗するが、政府は義務協力労働でドイツに多数の労働力を提供して反ユダヤを掲げて対独協力政策を主導した。殆どが親ナチス派だった為、政策内で孤立していった。連合軍がフランスに上陸するとパリ解放前にドイツに脱出し、その後スペインに逃亡したが、アメリカ軍に引き渡され7月にペタンと共に戦犯として大逆罪で死刑判決を受けた。1945年10月15日に青酸カリで自殺を図るが迎えに来た検事長達に発見され2時間に渡る医師の胃洗浄の末息を吹き返した後に銃殺刑に処された。
③ストレーザ戦線:ドイツがヴェルサイユ条約に反して再軍備を進めようとすることに対し1935年4月11日から14日まで、マッジョーレ湖に近いストレーザで英仏伊が会合を設けた。この場でロカルノ条約(不戦条約)を再確認した。しかし、英独海軍協定とエチオピア併合で崩壊した。
※資料によっては英独海軍協定時点で崩壊したという記述も有り。
④条約派:大日本帝国海軍の派閥。ロンドン海軍軍縮条約より、「条約妥結やむなし」とするのが条約派。それに対立したのが条約に反対する艦隊派であり、海軍内に対立構造が生まれ、統帥権干犯問題に発展して条約締結後数年の間に軒並み予備役に編入された。
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