4.証明

 止まっていた時計が動き出すかの如く、ランサーは言葉を紡ぐ。

「‘‘オルタナティヴ・プログラム’’をご存じですか」

「いいや、知らないな」

「2000年代初期に局本部で立案された、幼年期工作員養成事業のことを指します。全国から孤児が集められ、次世代防諜システムを構成するための要素として教育を施すことが目的でした」

「国が少年兵を作るってわけか。汚い話だ......」

「俺はそのために集められた孤児の一人でした。そこの女、井川朱いかわあかねも。俺は7歳で専用施設に入りました。そこで防諜工作の教育を」

「ならお前さんは、ガキの頃から拳銃チャカと一緒に寝てきたっていうわけか」

 対象Iがもがく。ランサーは彼の首に膝を当て、動くと同時に頸部を圧迫できる体勢になる。

「それで......現役だった俺も知らないプログラムとやらは、一体どうなったんだ」

「11人の孤児が集められ、全員が寝食を共にしました。訓練は全員の特性を活かせるように構築されて、互いの不足を補える形に」

「よくできてるな」

「2015年、俺が16歳の時です。プログラムに組み込まれた11人に、ある任務が与えられました。“イクサ作戦”とも呼ばれています。これはご存知でしょう」

「知ってるよ。俺が最後に参加して、2時間で外された作戦だ。その後に、俺は養成局に異動した」

「あの作戦の概要は、プログラム被験者俺たち以外にはダミーのものが与えられていました。あなたは“対日工作員拠点の秘密強襲作戦”と聞かされていたはずです」

「その通り」

「しかしそれは、ある種のカバーストーリー......いえ、陽動に過ぎませんでした」

「本当の作戦は、お前たち11人が遂行したってわけか。俺たちを踏み台に?」

「言葉を選ばなければ、そうなります」

「そこまで言ったなら教えてくれよ。作戦の本当の目的はなんだったんだ」

「......おい」

 ランサーが下を向き、微に苦悶する対象Iを呼ぶ。

「覚えているだろ、7年前のこと」

「忘れるものか......。私の、仲間を」

「マジかよ、そいつが関わっているのか」

「正確に言えば、この男の同志。“シンパ”です」

「今日につながるのか?畜生、クソッタレな因果だな」

「7年前の作戦であなたが強襲したのは、オルタナティヴ・プログラムの中枢メンバーが仕立て上げた偽の工作員です。その間に俺たち11人は、シンパのセーフハウスを3つ同時に襲撃しました」

「戦果は?」

「そこに襲撃対象はいませんでした。それに、シンパのメンバーの名前すら分からなかった。俺たちは、失敗するべくして失敗したんです」

 ランサーが息を整える。その目に宿る意思が、僅かに険しいものとなった。

「シンパの息がかかった武装集団に襲われ、4人が死にました。誰も知らない犠牲です。俺たちの作戦は、存在するべきでなかった。シンパに全てが筒抜けだった。だからプログラムは解体されました。7人の身柄も考えずに」

「お前は残ったのか」

「幸い、局本部が俺の席を作ってくれました。“ランサー”という名前も。しかし、他の6人は離反しました。俺は止められなかった。それは俺だけじゃない」

「井川って女もか」

「離反後の仲間の消息は分かりませんでした。あの事件から7年間、俺は局本部の下でシンパを追っていた。公安にも入り込んでいるのは明確でしたから。局本部の人員入れ替え後、装備の持ち出しが厳しくなった話はしましたね」

「あぁ。今朝な」

「それもシンパの一員が原因です。公安を内部から弱体化させている」

「グロテスクな話だ......まるで寄生虫パラサイトだな」

「同意します。俺はシンパ排除のために動いていましたが、人員入れ替えによって手を下すのが困難になった。局本部の奥まで入り込まれましたから」

 公安内部に存在する、五つの秘匿機関。それらを統べる集団が“局本部”であり、各機関の工作員エージェントの命は局本部が握っていると言っても過言ではない。仮に局本部の一部が敵だとしても、それを排除することは局本部そのものへの背任行為と同等である。そのためランサーは、内部のシンパを排除するための決定的な証拠が必要だったのだ。

「R1、あなたには謝らなければならない。本来であれば、この作戦へ参加するのは俺だけでよかった。しかし、シンパの証拠を抑えるためには、どうしてもあなたが必要だった」

 ランサーが深く息を吸い込み、深い思いを募らせる相貌を向ける。

「過去を知る者であり、優秀かつ先入的ステレオタイプなあなたが」

 結局のところ、俺は駒だった。局本部や機密情報保守局だけでなく、後輩ランサーの駒だった。

 それも運命か。過去を知る先人として、これまで貪ってきた歳は無駄ではなかった。目の前で対象を踏みつける彼のように、次世代を担う者のよすが代わりとなれるなら......。

「ひとつ、聞きたいことがある」

「なんでしょう」

「離反後の仲間は、全員がロシア側に加勢したのか。それだけだ」

「......」

「知っているんだろう、教えてくれ」

「離反したメンバーの全員がロシア側についたのか、それとも井川だけなのか。我々には分かりません」ランサーの声色に迷いが加わる。

「しかし、7年間追い続けた元メンバーの一人が見つかったのは事実です」

「あとの5人も追いかけるのか」

「はい。国内防諜戦に投入するはずだった元少年兵の逃亡は、公安内部でも最高クリアランスを持つ者しか知りません。国民はおろか、諸外国に、元プログラム被験者自身によって情報が漏洩しかねない。その前に見つけ出して、確実に息の根を止めます」

「それは、お前の任務としてか。それとも、かつての仲間としてか」

「彼らは確かに裏切り者だ。しかし彼らから見れば、俺も裏切り者なんです。7年前、シグ・ザウエルを持った彼らが解き放たれた日、俺だけはついていけなかった。自由を得るのを怖がっていた。だから俺は、彼らに謝りたい。謝った後、俺自身が手を下さなくてはいけない。彼らの隣にいられたのは、俺だけだから......」

 そう語るランサーの瞳は、どこまでも寂しいものに思えた。彼の握るXDMが小さく震える。

〈葉月、聞こえるか〉

 インカムから潤間局長の声が聞こえた。ビアノを介した通信に割り込んできているのだ。

「聞こえます。知ってたんですね」

〈お前を利用してしまった。申し訳ない〉

「それが正当な任務なら、仕方ありません」

〈シンパの存在を確定できた。これより公安内部に入り込んだシンパのメンバーを拘束する〉

「俺は、最善を尽くせたでしょうか」

 通信の奥で、潤間が深く考えているのが分かった。そして、言葉が返される。

〈当然だ。よくやった。状況を終了せよ〉

「了解。現時刻をもって状況を終了します」


 それからのことだ。

 扉を開け放ち、R3とR4、そしてR5が入ってきた。どこにいたんだ、という話ではあるが、俺は聞く気になれなかった。

 出雲を拘束したR3以下三人は、ハリアーに彼を押し込むなり、俺たちに何の言葉もかけずに走り去っていった。


 俺とランサーが局本部に戻るころには、人員は大騒ぎだった。

 拘束されたシンパの扱い、欠員の補完、武器・装備課への制限解除......などなど。

 俺たちはXDMを返すべく、武器・装備課の戸をノックした。その中では、課員たちが何か言いたげな目をしていた。装備の持ち出し制限をかけていたのが公安内のシンパであると、すでに伝わっていたのだろう。

 バットにXDMとマガジン、消音器サプレッサーを置き、そそくさと課をあとにする。

 背後から声をかけられた。武器・装備課長クォーターマスターがそこにいた。「Q」と呼ばれるにふさわしい老人は、会釈と共にこう言った。

「ありがとう」と。

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