3.挟撃
「いよいよヤバいぞ、もう自宅周辺をうろついてるじゃねぇか」
ビアノに戻るなり、俺は局本部の司令室へ連絡を入れた。現役だった頃は〈迅速に対象を確保しろ〉という指令とともに、機動戦術部隊を乗せたバンが到着した。
しかし実際に帰ってきたのは〈状況変更の許可は出ていない。現状維持に努めろ〉という、テンプレート化した日和見主義の返答だった。
「目と鼻の先で起こってるんだぞ、何も止めないつもりか」
「もうやめましょう。上に掛け合ったところで意味はありません」
「このまま情報が渡るのを見ているつもりか」
「それ以外にありますか」
「命令が与えられて...」
「今時点で遂行したら命令違反になります」
「司令部連中は状況が分かってねぇんだ。俺たちでやる以外にあるか」
「あります。動かなければいい」
「畜生...お前な、命令は全て至上命令なんだよ。今行けば、殺すことなく情報だって奪回できる。チャンスを全部捨てるなんぞ、それは頓馬のやることだ」
ランサーからため息が漏れる。切れ長の目がさらに細まり、かすかに歪んだ口元は侮蔑の色を浮かべていた。ただでさえ青みが駆ったその顔が、俺を睨めつける
「ならば俺たちは、頓馬であればいい。教わったでしょう、俺たちは人間であると同時に、組織の駒でしかない。今の俺たちは、動かないよう命じられた駒でなければならない」
「......」
「それが分からないなら、過去を今に持ち込むのなら...俺はこの場で、あなたを射殺することだってできる」
ランサーの右腕が動き、
「分かってください。あなたが優秀なのは知っています。だから、それをドブに捨てないように」
「あぁ...分かったよ」
「さて、なにかおかしいと思いませんか」
「あ?」
ランサーが顔を上げ、モニターを注視する。立て並びになっている五つの局員表だ。R1からR5までの表記があり、それぞれの横にはバイタルサインがあった。見えない場所にいる局員の生死を確かめるためだ。
R1とR2の横に‘‘ON LINE’’の文字が輝いていた。しかしその下、R3からR5は、‘‘OFF LINE’’の文字が記されている。
バイタルサインは局員が装着するスマートウォッチによって管理されており、その情報が届かない場合は外しているか、外部からの妨害を受けていることになる。
「サインがない」
「電子妨害はありません」
「誰かに壊された...?なら局員は」
「携帯電話のロケーター反応がありません」
「どこかに消えたのか」
「その可能性も十分に」
最悪の可能性が浮かび上がる。ロシア側の女は、狙撃手の存在について述べていた。R3達が狙撃され、携帯電話やスマートウォッチを破壊された可能性もある。
「...行くぞ」
「局本部には言わないんですか」
「言ったところで意味ないんだろ?」
「まぁ...」
再びビアノから降りる。この空き地でさえロシア側に監視されているのかもしれない。
「自宅近くまで行ったら気をつけろ、SVDが見張っている」
「どうやって入るんですか」
「玄関からだ。インターホンを押して、扉が開いたら俺たちが入る。間違っても撃つなよ」
「撃ちませんよ。勝算は」
「ある...というか、無いと言ったらついてこなかっただろ」
「当然です」
「やるしかない。キャリアを捨てる覚悟は」
「キャリア...ですか」
ランサーの目に哀しげな色が差す。マズいことを聞いてしまったか?
「捨てるようなキャリア、ありませんから」
不器用な作り笑いとともに、ランサーがXDMを抜く。
路地、勝手口、そして玄関の順に見回る。バイタルサインの示した通り、他の局員は消えていた。血痕もなければ、破壊された装備品類もない。まるで神隠しだ。
「いませんね」
「異常発生は決定的だな」
「ほかの三人は引き揚げさせた、とか...」
「何のために」
「俺たちが動くのを、局本部は分かってたんじゃないですか?」
「...そうだといいが」
「行きましょう」
ランサーが指さす先には、対象Iの自宅のオーク扉があった。
「あぁ、まず俺が話す」
インターホンを押す。数秒の間があり、しゃがれた男の返事が返ってきた。
〈はい〉
「お昼時に失礼します。市民会のアズマと申します」
〈市民会...?〉
「はい、来月行われる祭りについてのアンケートを行っておりまして。幾つかお見せしたい資料がありますので、扉の方を開けていただけますでしょうか」
〈分かった。少し待っていてくれ〉
「恐れ入ります」
インターホンが切れる。ランサーに目で合図し、扉の両側に構える。計画通りだ。さぁ、早く開けろ、
「お待たせしました」
ゆっくりと扉が開き、錆びたドアチェーンがピンと張る。流石は省庁高官、最低限のセキュリティ意識はあるようだ。
「いいえ、お構いなく」
XDMの筒先をドアチェーンに押し付け、対象Iが射線に入らないように引き金を引く。
「...!!」
対象Iの顔が恐怖に染まる。扉を目いっぱいに開き、二人で屋内になだれ込む。窓のない廊下まで彼を押し戻し、対象Iの腕を締め上げた。ランサーが扉を素早く閉じる。
「出雲福男だな。機密情報漏洩未遂の疑いで拘束する」
「何を...あぁ、
「ロシアへ流そうとした情報はどこだ」
「言うと思うか、金も用意せずに来るとは...」
俺はXDMを上に掲げ、天井を撃ち抜く。パステル調の天井に弾痕が穿たれ、鈍い金色の薬莢が落ちる。
「早く言いやがれ、こっちにも時間制限があるんだ!」
「誰が...誰が言うかっ!」
対象Iが大声で抵抗する。
「貴様らなど、自己満足ばかりの人殺しに過ぎない。この国がスパイ大国なのは、高度成長期の頃から同じじゃないか!それなのに、突然開き直って防諜機関などつくりおった。テロ対策、諜報対策の名の下に、どれだけの人間が犠牲となった。貴様ら非合法工作員は、どれだけの国民を騙してきた!?」
「なっ...」
「私はせめて...せめて外務省には、そんな機関を作るまいと決めていた。私の外務省だけは、数少ない誠実な国家機関であろうと!それなのに貴様らは...」
「外務省こそ防諜の根幹になるだろうが!諸外国との橋桁だぞ。外務省に秘匿機関を設置して、初めてこの国の防諜戦術構造は他国と対等になる」
「それがいかんのだ!この国は情報を盗まれてさえすればいい。どうせアメリカも同じ考えだろうが。日本は所詮、沈まないだけの空母扱いなんだ。勝手にCIA代わりなど作られても、アメリカには何の得にもならん」
「ふざけたことを...!!」
家の奥で、何かが弾ける音。廊下の奥から足音が近づいてくる。
「伏せて!」
ランサーの怒声に従い、対象Iを庇うように床へ伏せる。
銃声。ランサーがドア越しに射撃したのだ。
廊下をふさぐドアが開き...現れたのは、
「うっ...」
妙齢の女の顔が、見る見るうちに苦悶のそれへと変わる。9ミリ・パラベラムを二発受けた腹からは、赤い液体がとめどなく流れ出ていた。
「撃ったのか!?」
対象Iが、突然泣きそうな声を出す。
「あぁ、ランサー、こいつは...」
「知っています。ロシア側の現地工作員でしょう」
「...」
「お、おい若造!貴様なんてことを!」
「乗り込んできた。だから撃った。問題視されるのはおかしいです」
「丸腰じゃないか!」
「いいえ」
ランサーが女に近づき、ジャケットの裾をめくる。ほとんど失神しているのか、女は一切体を動かさない。腰にはマカロフ自動拳銃が差さっていた。
「知っていたのか」
「彼女は俺たちが武装しているのを知っていました。丸腰のはずがない」
「抜いていなかったぞ!」
「ちょっと黙っててくれよ...」
「終わりだ...殺せ」
「あ?」
「わ、私を殺せ!貴様らなどに情報はやらん!早く、早く...!」
対象Iが、俺の右腕をつかむ。
「いや、殺すわけにはいかねぇんだよ...」
「終わりだ!終わったんだ!私を殺せばそれで済む。おい若造!早く俺を撃て!」
「...どうします、R1」
「変わらない。撃つなよ」
「
「う...あぁ...っつ...」
女の体が動き始め、かすれる声を絞り出す。
「あんた...出雲さん...もう、言いなよ...」
「言えるか...」
「...じゃあ、アタシが...言う...」
「やめろ!」
「待てよ、言うって何を」
「耳...貸して...」
女の手が空を切る。俺はランサーと役目を代わり、女の下へ寄る。赤く染まったスーツを抱き上げ、耳を傾ける。
「出雲は...シンパの...一人...」
「シンパ?」
「日本の、防諜機関を...潰す、目的...が...」
「国の内部にいるってことか、そういう奴らが」
「そう...フフ、似てる...」
女の口元が緩む。ほんの少しだけ。そこに宿った安堵が、さらに出血を増大させたようだ。
「アタシの、お兄ちゃん...」
「いや、違う、俺は...」
「聞いて、R1。公安にも、シンパの一人がいる...」
彼女の虚ろな目は、俺を二人の人間に幻視させているようだ。彼女の兄...俺の知らない誰かと、俺自身であるR1に。
「なんで知ってるんだ、そんなこと」
「だって私も、そのシンパの...だから」
「...何者なんだ、君は」
「あれに、聞いて...」
ゆっくりと持ち上げられた腕が、ランサーを指す。涙が溢れそうな彼女の瞳が、俺をまっすぐ見据えた。
「ごめんね、お兄ちゃん...あの人をぶったのは、アタシ...」
「やめろ、俺は君の...」
「演じてやれよ!」
ランサーの怒鳴り声が響く。
「...演じてやってください、R1」
「あぁ...どうした、その...妹よ」
「好きだった、きょうだいなのに...だから、許せなかったの...あの女が...」
吐息に異音が混じる。ついに涙が溢れだし、元の色が分からなくなったワイシャツに落ちる。
「許してね...ごめんね...」
「いいさ、怒ってない。あいつも、お前を許すと言っている」
「ほんと?」
「あぁ。本当さ」
「よか...った...エヘヘ...眠く、なっちゃった...」
頭が勢いをつけて下がる。彼女の息は、ついに無くなった。
整った瞼を下ろし、亡骸を寝かせる。美しい。そんな感情が湧く自分が、つくづく嫌になる。そして俺は、ランサーに向き直った。
「教えてくれ。彼女は何者で、お前は誰なんだ。シンパとは、一体何のことなんだ?」
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