第307話 渓谷の暗幕

「……………………過去、両国は支え合っていたと……おとぎ話程度には聞いていた。しかし永年の敵対感情が邪魔をして、目を背けていたな……」


 眉を寄せるカイギネス。

 ジルはうやうやしく頭を下げて、


「1000年もの間に真実が埋もれてしまったようです。先代、先々代とも同じ気持ちであらせられたことでしょう。その間に犠牲になった幾千万の人民の無念を考えれば致し方ないことかと……」

「しかし、文をおろそかにしていた非はある」


 性格上、座学が好きではなかった。

 そんなものを学ぶ暇があれば剣を振るい、槍を回していた。

 皇帝とて人間。

 得意分野に集中するのも悪くはないはずだと思っていたが……。


「せ、1000年もの手記をさかのぼるなんて賢者様でも難しいかと……」


 かしこまるカーマイン。

 ジルも同意見だった。

 実際、皇宮収蔵室には無数とも思える書が収めてあった。

 その中から、ただの日記とも言えるこの手記に辿り着くなど不可能だったろう。

 めぼしい事柄は正式な歴史書として他にまとめてあったのだから。

 そしてこの手記の内容は、そこに入れられていなかったのだから。


婬眼フェアリーズがなければ私も見つけられませんでしたよ」

「そうか……うむ。では、その手記に書かれていた真実とはなんだったのだ?」


おおやけの歴史書では聖王国が一方的に帝国に攻めてきたとされています」

「ああ」

「しかし聖王国側では帝国が攻めてきたとなっているのです」

「……らしいな」

「奴らはすぐ自分たちの都合の良いよう歴史を歪曲しますからな。盗人猛々しいとはこのこと!! やはり相容れぬ相手です!!」


 アベールが憤慨する。

 この歴史解釈の違いが、現代においての強い摩擦ともなっている。

 咳払いをし、ジルが話を続ける。


「ナーガ討伐にオリビィの町へと攻め込んだサイラス様は、そこで聖王国王子ジュロウが聖剣ボルテウスにてナーガを圧倒している姿を目にします。その時、追い詰められたナーガが捨て身の攻撃に出たそうなのです」

「捨て身の攻撃……?」

「はい。肉体を捨てジュロウ王子へと乗り移ったと……」

「ほお?」


 ここで、蹄沢の伝説と話が繋がる。

 そうなると、この後の展開は説明されずとも予想がついた。


「精神を支配されたジュロウは意識がなくなる寸前、聖剣ボルテウスで自身の身を貫き、ナーガの動きを封じたのだろう?」

「はい、その通りでございます。そしてサイラス様にとどめをお願いされました」


「しかし逃げられてしまったと」


「はい。……そしてそのときナーガが使った魔法が――――」


 そこでジルはいったん言葉切る。

 そしてカイギネスの目を見て言った。


開門揖盗デモン・ザ・ホールだったと……」

「…………!?」


 それは予想外だったと目を開くカイギネス。

 近衛騎士の二人も顔を見合わせている。


「し、しかしジル様……開門揖盗デモン・ザ・ホールとは我が帝国独自の秘術だったはずです。その使い手は皇族を中心に、ごく一部の選ばれし忠臣にしか許されていないと……それをなぜナーガが!?」


 カーマインが狼狽える。

 ジルは自らも開門揖盗デモン・ザ・ホールの使い手として複雑な気持ちで答えた。


「逆です。開門揖盗デモン・ザ・ホールとは、元々ナーガの固有スキルだったのですよ」





 ジュロウ王子を巻き込んで、自らのスキル開門揖盗デモン・ザ・ホールで異世界へと逃げようとしたナーガ。

 しかし転移する直前、サイラスの剣がジュロウの身を切り裂き、一部を切断した。

 そのとき一緒に切り離されたナーガの魔素を吸収したサイラスは開門揖盗デモン・ザ・ホールを習得した。手記にはそう書かれていた。


「ですが、一部の悪魔体からつむいだ開門揖盗まほうは完全体ではなく、様々な制限がかかりました」

「動物を生きたまま転移させられない、と言うのもそうか?」

「はい。主術者オリジナルであるナーガの開門揖盗デモン・ザ・ホールは命をも扱えるものだと……」


 真子を見る。

 アルテマもそうだったのだろう。


「では……奈落の峡谷とは……?」

「ただ異世界から転移したものではなく。ナーガの……本家・開門揖盗デモン・ザ・ホールの入り口となっているのでしょう」

「ばかな……魔法が作用し続けているというのか?」


 吸い込まれるような闇を見下ろしながらカイギネスは唾を飲んだ。

 命ある人間も、町も、何もかも吸い込み、吐き出す絶界の裂け目。

 これこそ魔神の変災 だと震える。

 こんなものが野放しに人類に牙を向けば、この世界は異世界すらも巻き込んで崩壊しかねない。


「ナーガの復活は……無し……だな」

「………………」


 無念だが致し方ない。

 アベールがカーマインに質問を投げた。


「しかしナーガはなぜ本家開門揖盗こんなものを置いていったのだ? 異世界へ逃げたのならこんな道筋、消えてしまったほうが良かっただろうに」

「いつか舞い戻り、この世界に復習するつもりだったのかもそれんぞ?」

「……なるほどな。ありうるか……」


 そんな二人にジルが、


「いえ、それについては手記に記されております。サイラス様のお考えでは分離した開門揖盗デモン・ザ・ホール本家開門揖盗ナーガオリジナルが引き合い、その影響で口が開いたままになっているのだろうと」

「そうなのですか……そんなことが…………?」

「あくまでお考えです。ですが私も同意見です。おそらくナーガの意志ではく、例外的な現象だったのでしょう。もしかしたら欠けてしまった影響で本家開門揖盗ナーガオリジナルは暴走してしまっているのかもしれません」

「消す方法はあるのか?」


 苦渋のカイギネス。

 もしこれを消してしまったら、きっと自分たちの開門揖盗デモン・ザ・ホールにも影響が出るはず。いや、同じく消えてしまうのだろう。

 そうなれば帝国の力は格段に落ちる。

 現状を考えたら国の消滅すら覚悟しなければならない判断だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る