第212話 戦士王

「カイギネス陛下、まもなく奈落の峡谷へと到着いたします」


 二人の護衛、そのうちの一人が馬上でそう報告した。


「ああ、そうだな」


 同じく馬を操り、カイギネスが応える。

 軍団から離れて二日。

 目指すはアルテマが落ち、異世界へ転移してしまった奈落の峡谷。


 そこの不具合を調査するため、皇帝カイギネスは、わずかな護衛だけを引き連れやってきた。

 たった二人しか警護を付けなかったのは、大人数で移動すればかえって敵の目に止まってしまい危険だということと、まさか皇帝がたった三人で単独行動するなど予想もしないだろうとの思惑からだった。


 もちろん副官連中からは反対意見と文句の嵐だったが、そこはそれ『黙れ』の一言で押し通してきた。

 こうなるともう言うことを聞かないのを知っていた副官たちは、せめてもと近衛兵から選りすぐりの手練を二人付けてきたのだ。


 緑の鎧を付けたのがカーマイン。

 赤の鎧がアベール。

 二人とも近衛兵団では若手だが、体力面を考慮すれば兵団でも屈指の有望な二人である。


「しかし……さすがにここまでくると魔物が出てきますね」


 皇帝の背後を守りながらアベールがつぶやいた。


「そうだな」


 帝国から聖王国へと繋がる大きな平原。

 戦場ともなっているその付近には、太い街道も通っており、見回りの兵士がいるため魔物も滅多なことでは出現しない。

 しかし奈落の峡谷があるこの付近は現在、さびれていて、巣窟と化していた。


「帰りは肉を持って帰りましょう。少しでも糧食の足しになります」


 カーマインが前方を凝視しながら提案する。

 彼の鎧や槍からは、魔物の血と肉の匂いが立ち込めている。

 ここに来るまでに数十体の魔物と戦った。

 ゴブリンやコボルトなどの低級はもちろん、オークやリザードマンなどの中級、ワイバーンやレッサードラゴンなどの希少種も仕留めてきた。


 それらの肉は、味はともかく食料になる。

 できれば持ち帰りたかったのだが、いまは偵察任務の行きしな。

 余計な荷物など持っていくわけにはいかなかった。

 放置された死体はいまごろ飢えた野生動物どもの餌にでもなってしまっているだろう。口惜しいが仕方がなかった。


 魔物と悪魔は別物である。

 魔の素、魔素を素体にして形を成す〝悪魔〟は実物がなく精神生命体と呼ばれる。

 人や動物の精神に取り憑き、ときには肉体を乗っ取るが、上級レベルになればその力を魔法として逆に使役することができる。

 アルテマが使う婬眼フェアリーズ黒炎竜刃アモンもそうやって得たものである。


 魔物はそういった悪魔たちが野生動物に取り憑き暴走した状態のもので、パワーは桁違いに上がるが実態があるため通常武器が通用し、倒せば肉や皮、骨など動物と同じ糧が得られる。

 憑依する悪魔のレベルが高いほど魔物の強さも上がるので、強い悪魔が湧いて出るような怪しげな場所には、おのずと強い魔物も出現する。


 そしていま向かっている場所は、まさしくその怪しげな場所なのだ。


「……見えてきましたカイギネス陛下。奈落の峡谷です」


 カーマインが指差す先、割れた陶器のように尖った小さな段差がいくつも重なった荒れた地面、その向こうにくたびれた杭が二本並んでいるのが見えた。

 それは吊り橋を支えていた柱の杭だったはずだが、肝心の橋はどこにも見えなかった。


「……たしか聖王国の……なんと言ったかな? バカとかアホとかマヌケとか言う騎士が橋ごと落下したと聞いたな」

「クロード、ですカイギネス陛下。ヤツはここからアルテマ様のおられる異世界へ転移し、しぶとくも向こうで生活していると報告を受けています」


 ものすごく悔しそうに歯ぎしりしながらアベールが説明する。

 アルテマのカリスマは近衛兵団全員に認められていた。

 能力も人気も、家柄と勤続年数だけでその地位にいる団長よりもはるかに上。

 アベールやカーマインもそんなアルテマを慕っていて、彼女と同じ世界に渡った敵兵クロードを、ぶち殺したいほど羨ましく思っていた。


「……そうか……見た限り、異常がありそうな感じはしないがな……? いや、わずかに魔素の乱れを感じるか?」


 白い眉を寄せ、カイギネスがつぶやく。

 少し高くなったここから見下ろすかぎり、渓谷に変化があるようには見られなかった。閉じかかっていると聞いていたが、いまのところそんな違和感もない。


 しかし周囲から感じる魔素は激しく荒れて――――例えるなら、何かが爆発した余韻よいんのような……そんなささくれを感じる。

 そういえば……昨晩野営中、この峡谷の方向から激しい魔力の放出を感じた。

 護衛の二人は古龍の咆哮かと警戒したが、一度だけで、それからは何も起こらなかった。

 もし……昨日のアレがこの峡谷から発せられた何かだとしたら……。

 そう考察したとき、


「キャァァアアァァァァァアァァァァァッ!!!!」


 空を裂くような悲鳴が周囲に響き渡った。

 その声は幼いだろう少女の声。

 した方向を見る。

 と、吊り橋があっただろう場所から東に大きな尖った岩があり、その影から漆黒の骨鎧を身にまとった巨大な魔物が出現していた。


「……死霊騎士デッドナイトか、厄介なモノが出てきたな」


 そう見下ろすカイギネスの目に、その魔物ともう一人、それから逃げ惑う〝鬼〟の少女が映っていた。

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