第173話 流れでつい……。

「…………う……」

「お、目が覚めたみたいやな……ヒック」


 まぶたがピクピクと痙攣し、やがてゆっくりとエツ子の目は開かれた。

 それを確認して布団の側から離れる飲兵衛。

 かわりに政志を呼ぶと、顔を覗き込める場所に座らせた。


「……おばあちゃん」


 あの後、エツ子は救急車には預けず飲兵衛の家に運ばれた。

 怨霊が消滅してしまったことで、悪魔憑きの呪いが解かれたためである。

 おそらく見えるようになっただろう目。

 その身体の状態を確認するのはこの世界の医者じゃなく、アルテマの仕事だったからだ。


 難陀なんだにやられた傷に関しては、飲兵衛がしっかりと処置してくれた。

 案の定、アルテマたちが押し入ったときは酔い潰れて寝ていたが、六段が気合で叩き起こし、占いさんが事情を説明するとすぐに対応してくれた。


 クロードの回復呪文は、怪我の七割ほどを治してくれていた。

 全部治せるわけじゃないのか? 

 元一に嫌味を言われたが、異世界の信仰がない日本人には効きが弱いらしい。


 それでも充分、命は救われた。

 アルテマを手助けてくれた恩もある。

 それも合わせて元一は、一応だがクロードに頭を下げていた。


 病院へはアルテマの確認作業が終わってからでいいだろう。

 目を開けたエツ子は眩しそうに眉をすぼめ、すぐに目を閉じてしまう。

 しばらくの戸惑いの後、またゆっくりと目を開けた。


「……おばあちゃん?」


 心配した表情で覗き込んでくる政志の顔を見て、


「………………………………」

「おばあちゃん……?」


 無言のままで動かないエツ子。


 それを不思議に思う政志だが、いままでずっと閉じられていた祖母の目が開いているのを見て彼もまた戸惑う。

 やがてエツ子の目から涙が溢れて、そして政志の頬を慈しむように両手で包むと、


「……や、やだねぇ……せっかくお前の顔が見られたっていうのに……また見えなくなってきちゃたよぅ……」

「……お、おばあちゃん……!!」


 にじむ孫の顔。

 政志もまた、祖母の顔がにじんで見えなくなっていった。


 そんな二人を邪魔しないよう、


 ――――婬眼フェアリーズ

 アルテマはそっと魔の妖精を呼び出した。


『呪いは〝完全に〟消滅。後遺症はあるものの、自然回復できる範囲。興奮状態。残り寿命は――――年だぞ☆』


 余計なことまで鑑定せんでいい。

 妖精をたしなめ、元一の目配せにしたがい部屋を出る。

 いまは一時の幸福を素直に喜んでもらおう。


 後に大きな問題が残ってしまったが、しかたのないことだ。





「……本当に、いまでも信じられないよ」


 目が見えるようになった喜びを、孫と一緒にひとしきり分かち合ったエツ子。

 嬉しさで泣き腫らした目が赤くはれている。

 政志は、先に病院に送られた誠司ちちにこのことを知らせるため、ぬか娘とともに街まで向かった。


「わかってくれると思うが……今日見たことは、他言無用にしてもらえるか?」


 元一がエツ子に頼む。

 それを聞いたエツ子は、六段や占いさん、そしてアルテマを見つめ、


「……もちろんですよ。みなさんの戦いも、そちらの巫女さんのことも、私はなにも〝見て〟おりません」


 いたずらっぽく微笑んだ。


「それに……話をされて困るのは私たち木戸家も同じですからね」


 一族を護るために仕掛けられた怨霊の呪い。

 そのおかげで他家に犠牲が出ているのだ、子孫の自分たちに悪意は無いこととはいえ、咎められるのは避けられない。

 それが自分一人なら、甘んじて受ける覚悟はあるが、孫にまで贖罪の重みが背負わされるとなれば、エツ子は鬼畜とののしられても事実を隠し通すつもりである。


 それは元一もわかっていたし、他のメンバーも誰一人口外する気はなかった。

 いまさら言ったところで、どうにもできないことだったからだ。

 沈んだ表情でエツ子は占いさんを見る。


「目が治ったなのら……あの怨霊は……?」

「ああ、消されたよ。おそらく……龍の仕業だろうね」

「……なんてことを……」


 怨霊が消滅して目は見えるようになったが、しかしそれは、これまで一族を守っていた呪いが消滅したということ。

 今後これより、木戸家から生まれる女児はみな難陀なんだの生贄にされるということだった。


「……こんな老婆のために……後の娘が死んでいかなきゃならないのかい……」


 幸い、いまは木戸家に娘はいない。

 しかしもし、政志に娘ができたら……。


 確実に死に別れるだろうその運命を前にして、政志はどんな顔をするだろうか?

 大人になった政志は、きっと今日この日を恨むだろう。

 そしてその恨みは自分に向けられるのだ。

 それは受けた呪いより、ずっと辛いもの。


「はぁ……はぁはぁ……」


 そんな未来を予見して、エツ子は絶望に息を荒げた。

 その心情を理解した占いさんだが、しかし何もしてやれず、せめて背中をさすってやる。

 そんな二人にアルテマは言った。


「……心配するな。そんな未来など来やしない。難陀アレはこの私が必ず退治してやろう」


 エツ子は申し訳ないと思いながらも、黙って頭を布団に沈めた。

 頼れるのはひとり。

 異世界から来たという、この子供だけなのだ。

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