第38話 あの日と同じ
結局、紬は花梨に押し切られる形で――というよりは一方的に、日時を指定されて――雫と再会することになってしまった。
こちらが了承していないのだからとその一方的な約束を無視することは簡単だった。
だが不要なほどに律義な性格であると自覚もしている紬からしてみれば約束は約束だ。
(……くそ)
花梨の意図が見えないままに、好き勝手に踏み荒らされる予定と感情、それらにいら立ちを感じつつ、それでもどこかでほっとしているのも事実だった。
考えすぎて結果雁字搦めになって動けない自分を、誰かがこうしろああしろと言ってくれるのはシンプルにそれに従えばよいのだから簡単だ。
そしてそれを相手のせいにできるという点でも、今の紬にはありがたかった。
勿論、それをズルイことをしている、という自覚が彼にはある分、そこに罪悪感が生まれて何度となく自分に向けて悪態をつくのだけれど。
待ち合わせは、駅の改札口だった。
待たせるのは悪いから早めに出てきた分、おそらく時間を持て余すだろうと紬はポケットからスマホを取り出して、通知がないのを確認してからゲームをタップする。
特別思い入れがあるわけではないが、紡のオススメだというパズルゲームは確かに何かにつけて暇つぶしにはちょうど良かった。今もまさに、それだ。
ぼんやりとパズルのピースを動かしながら通知が来ないことに小さく首を傾げる。
(寝坊してんじゃねえだろうな)
電光掲示板を見上げても、特に遅延の知らせなどは出ていない。
連絡がないのだから、もしかすれば寝ている可能性だって否めない。
花梨は時々そういうことをやらかすので、もしそんなことになったら困るなとふと不安がよぎる。
もし、雫がここに来て二人きりになったら。
(何話しゃいいんだ?)
女性が喜びそうな話題があるわけでなし、花梨が到着するまで気まずい思いをするのは互いによろしくない気がする。
それに、この駅はかつての雫にとっては使い慣れたものだったろうが、今はどうだかわからない。
とはいえ、今も住所が変わらないのであれば普段使う駅なのかもしれないが。
「あの」
「!」
まぁいいか、と電光掲示板からスマホに視線を戻したところで声がかかって紬はぱっとまた顔を上げた。
そこには、雫があいまいな笑顔を浮かべて立っていた。
もしかすれば彼女は少し前からいて、紬がどうしようと思っていたのと同じで彼女もどうしたら良いのかわからず声をかけるのに躊躇っていたのかもしれない。
そのことに思い至って――少なくとも、雫は花梨に比べると時間にきっちりしていたような気がしたから――紬は少し間をあけてから、「よう」と声を発した。
それがなんだか間抜けだったように自分でも思えて、なんとなく照れくささがこみあげてきてそれを堪えるためにぐっと唇を横一文字に引き結ぶ。
そうすると不機嫌そうに見えるから良くないと紡に指摘されたこともある、紬の悪い癖だった。
今もそう、雫はそんな彼の表情を見て困った顔をしたのだ。
それを見てしまったと紬が思ったところで、やってしまったものはしょうがなかった。
「悪い、気が付かなかった」
「い、いえ。私もさっき着いたばかりで突然声をかけちゃったから」
「……目つきが悪いってよく言われるんだ」
「え?」
「別に不機嫌だとか、そういうわけじゃないから」
言い訳を口にして、紬はまるでそれが叱られた子供のするような行動だったと思って途端に恥ずかしくなる。
雫は何も紬の態度に関して言っていない。彼女からすれば初対面も同然の男の行動をいちいち咎めることもないだろうに、つい口を出たのが先程の言い訳というのがなんとも情けないほどに衝動的なものだったのだ。
そこに理性が追い付けばこれほど滑稽で恥ずかしいことはないんじゃないのかと顔から火を噴くんじゃないかと思うほど熱が集まるのを感じて、紬は雫の方を見ることができなかった。
「……花梨のヤツ、遅ぇな」
「え? 花梨ちゃん、今日は来れないって連絡もらってますけど」
「え?」
「……えっ」
誤魔化すように花梨のことを口にした紬に、雫が驚いたように答える。
当然、それを知らなかった紬が驚けば、その彼の様子に雫もまた目を丸くする。
やられた。
紬は口の中でそう呟いた。
花梨はもともと自分たちを
(後で問い詰める)
本当は二人きりにされてどうしようもなく途方に暮れているわけだが、だからと言ってじゃあ花梨がいないからハイ解散! というわけには勿論いかないことくらい紬だって理解しているのだ。
「あー……じゃあ、その。どっか行くか? 元々行きたいとことか予定組んでたとか、あるか?」
「いえ」
「そ、そっか」
花梨の顔を頭に思い浮かべながら、ほっぽり出すくらいならせめてある程度のプランは用意しておけと怒鳴りつけたい。
そう紬が思ったところで現状に変化が出るわけではない。
女性が好みそうな店も思い当たらないし、今も場を繋ぐための気の利いたセリフだって思い浮かばない。
(どうしたらいいんだよ)
そもそも花梨は何の目的があってこんな妙なお膳立てをしてきたのか、皆目見当がつかない。少なくとも雫と紬を会わせても大丈夫だと思っているのか、或いは他に理由があるのか。
ともかく今、紬からしてみれば『まだ早い』の一点張りだったのだけれど。
じゃあいつが良いのかと問われると答えはでないとわかってもいるので、遅かれ早かれこうなっていたのだろうという予想はつく。
「……あの」
「お、おう」
「この間は、ありがとうございました」
「いや」
そうか、そう言えばお礼がどうのと言われていたんだった。
改めてそれを思い出した紬が、彼女の言葉に戸惑いつつようやく見つけた話題にほっと胸を撫で下ろす。
「今日は、それを伝えたくて……ただメッセージを送るだけでも良かったんですけど、花梨ちゃんがお礼はちゃんと直接伝えるべきだって」
「あー、いや。大したことはできてないし、気にしなくていいのに」
「それと、聞きたいことが、あって」
「!」
びくりと身体が知らずに竦んだ。
そうだ、彼女はすでに前回会った際に、自分と面識があるのではないのかと問うて来ていたではないか。
そのことに言及されたらどうしよう。そう思っていたのにパニックに陥っている紬はこうしてそこに触れられそうになって、初めて危機を覚えたのだ。
「き、聞きたいこと、か? 大学のことなら――」
「私と、周防くんは、どんな関係だったんですか」
聞きたくないと、わざとらしく視線を逸らした紬を、糾弾するかのように強い声で雫が遮った。
言いたくない、それを許さない強さがあった。
思わず彼女の方を勢いよく振り返れば、泣きそうな、不安に揺れる目が自分を見上げていて紬は惹きつけられた。
(あの日と同じだ)
言わずにはいられなかった。
そうやって告白をしてきた時と同じ、強くて、悲しいまなざしだった。
紬の中で、花梨への想いや紡への鬱屈した嫉妬心を抑え込んで印象付けた、雫という存在そのものだ。
「私は、私のことが知りたい。みんなを忘れてしまった、今までの私のことも。知って傷つくのも、知らなくて傷つくのも、何しても傷つくんです。ねえ、私を見てあなたもそんな顔をするなんて……!」
「そんな、かお」
雫の言葉をオウム返しした紬の声は、妙に掠れていた。
今にも泣きそうな彼女の、その言葉と悲しさに反する程の強いその視線から紬は目が離せなかった。
「あの時と、同じだ」
思わず、声に出してからはっとする。
その言葉は、決定的なものだと彼は思った。そして当然、彼女もだ。
「……やっぱり」
くしゃりと雫が、顔を歪めた。
その表情は、あの日に見ることがなかったものだ、とどこか場違いなことを紬は思ったのだった。
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