第37話 怖い
雫と望まない再会を果たした紬は、花梨に文句を言おうとその日の夜に思ったものの指先は一ミリも動かせずにいた。
(俺は)
会いたくない、というわけじゃなかった。
積極的に会いたいというわけでもなかったけれど。
会えて、生きている彼女の姿を見て、驚いたし安堵もした。
覚えていないという事実に、後ろ暗い安堵と、悲しみや失望があったのは否めない。
じゃあ、それらを踏まえて総括するとどうだったのかと問われると、答えは出なかった。
(でも花梨は勝手だ)
だが会いたくない最大の理由が、
だから、メッセージの欄を開いても一文字も打てずにいた。
会えて、だから、どうだったのか。
それが紬の中で複雑なまま、もつれ合った糸のように絡み合って答えにならない。
「うぉっ」
そうこう迷っている間に、逆に花梨からメッセージが入ったことによってみっともないほどに紬は慌てた。
思わず取り落としそうになったスマホの画面を改めて見れば、今日の礼が書いてあった。
『やっほー今日はありがとね! 雫も喜んでたよ!』
「……こっちの気も知らねぇで、このやろう……」
いや、ある程度はわかってはいるのだろう。
振った振られたなんて部分を知らないだけで、花梨だって雫に“忘れられた”側の人間なのだから。
だから、少なくとも紬が感じた彼女が生きている事実への喜びも、忘れられていた悲しみも、共感はできるはずだ。
そこで忘れられていた絶望感の中にある安堵は、なかったかもしれないけれど。
そう思うと紬は口をへの字に曲げざるを得ない。
だから花梨に八つ当たりめいた気持ちを抱くのは、お門違いだということも知っている。
だがそれを、ハイそうですかで流せるほどに紬はまだ大人でもなかった。
そもそもまだ雫への感情を持て余したままで、彼女に会えたからと言って次があるわけでもないのに、次に会えたらあの時の疑問に対して何と答えるべきなのだろうなんて思ってしまうのだ。
初対面だという風に挨拶を交わしておきながら、態度でそうではないと彼女に気づかれてしまった。それも当然だろうと思うくらいにひどい態度だったことは紬も自覚している。
『そうそう、雫がねー、お礼をしたいって!』
なんと返事をしようかと躊躇っている間に、花梨からそんなメッセージが入って紬は眉根を寄せた。
『別に礼なんてされるほどのことはしてない』
『まぁまぁ、そんなこと言わないでさ! 最近ようやく色んなとこ行くようになったんだから雫』
花梨のメッセージに、眉間の皺がまた深まる。
ここで断るのは簡単だ。
礼を言われるようなことをしていないのも、事実だった。
花梨に乞われるままに学内を案内して、ジュースを一本奢っただけだ。
それも場が持たなかったからっていう自分のための理由だ。
だがそれでは、雫との繋がりが――途絶える気がした。
勿論、花梨という存在が間にあればまたそのうち会えるような気はする。
会いたいと願い、花梨を挟めば会える。そのくらいの関係にはなれるだろう。
雫は大学に進学して、もしかすれば後輩になるかもしれない。そうなれば偶然会うことだってないわけじゃないだろうとも思う。
甘い考えだけれど。
(そうじゃ、ねえ)
けれど、紬が気にしなければいけないのは、そうじゃない。
甘ったるい考えを捨てて、現在の雫と向き合わなければ、以前の雫の想いを無駄にするような気がした。
そして、これから彼女の友人としてのスタートラインに立てないような気がするのだ。
あくまで、それらは紬の勝手な考えだったけれど。
だがその覚悟を持てない、最初から躓かせているのが自分であるともわかっている。
だから、躊躇う。
(俺は、雫に会うべきなのか? なんにも答えを持たないままで?)
そもそも答えはあるのか。
そう問われれば答えようもない。
正直、告白された時も同じように答えなんてものはなかった。
(……ばかみてぇだ)
花梨のことで頭がいっぱいだった恋心は、いつの間にか雫に置き換わっていた。
その内容は恋心とはまた別だけれど、頭がいっぱいになるもので、ひたすら悩むもので、結局誰もが笑って終わる結末を自分は掴み取れていない。
そして今、そんな辛さを
そんな自分が、ただただ、紬は情けない。
返事をどうするかよりもその情けなさで頭がいっぱいで、ごろりと寝転んだベッドのわきにスマホを投げるように置いて自分の顔を腕で隠す。
やるべきことはわかっている。
雫に会ったなら、
以前のように親しい友人として接したいならば、そこから連絡先を交換するなり花梨を通じて遊びに行くなりすれば良い。
そうじゃなくて適度に距離を取りたいなら、それだけで終わらせれば良いだけの話だ。
ただ、スルーするのはよくないだろうと紬にもそれはわかってはいるのだ。
(でも、聞かれたら?)
なんとも情けないことだが、それが怖くてたまらない。
ここで繕って、上手くいってもふとした拍子に彼女が記憶を取り戻し、紬への想いとそれを受け入れなかった彼のことを思い出したら。
新しく笑顔を浮かべた彼女が、悲しい表情を見せるのが怖かった。
そうなるとも限らないというのに、むしろ記憶が戻ったならば家族も、友人もそれを喜んでくれるであろうに紬は喜べないのだ。
むしろ、怖いのだ。
(ああ、くそったれ)
怖いのだ。とにかく怖いのだ。
そんな自分が情けなくてたまらない。それなのに怖くてたまらない、それだけで身動きが一つとして取れない。
繰り返す自己嫌悪と、繰り返すままならない感情に紬は小さく呻いた。
それでも、きっと花梨は待ってくれないだろう。
花梨が待ってくれないのではなく、紬自身もまた苦しいからこそ手をのばさずにはいられない。
それが正しいとは、思えなくても。
『今度、また会いたいって! 都合の良い日があったら教えてね!』
可愛らしいハートマークを添えた花梨のメッセージに、紬はおそるおそる指先を滑らせる。
それはゆっくりと、躊躇いながら確実に脳裏にある休みの日を綴る。
紬からの端的な、その日時しか示されていないメッセージに花梨からの返事は早い。
愛らしい柄のスタンプが、了解と表示しているのを見て紬は泣きそうになった。
そして、一言、声を洩らすのと同時に同じ内容を綴っていた。
「――……どうして」
既読が付く。
花梨の返事がなんであるのか、想像もできなくて紬はぎゅぅっと目を瞑った。
送るべきじゃなかった、ただ咄嗟に問うてしまった。
深い意味はなかったと今改めて送るべきなのか、それを別のものに結びつけて誤魔化すべきなのか、そんなことが脳裏を駆け巡る。
そんな中、無情にも通知音が紬の耳に届いた。
『知ったらいいと思ったから』
絵文字も何もない、花梨らしからぬと言っても良いほどシンプルなそれは、そこで止まった。
それ以上でもそれ以下でもない、よく知っていると思った花梨の、知らない顔を見た気がして紬はそこから何も返せなかった。
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