第19話 真っ直ぐな瞳
手紙は、読まれたのだろうか。
それが紬の頭を占めていた。
あれが一番確実だと思って行動をしたけれど、よく考えればケータイで連絡をとれば済むことだったと反省する。
とはいえ、既読スルーどころか未読スルーという可能性も否めないのでそういう点で言えば拒否もできない下駄箱への手紙というのは、まだ有効なようでもあると思えた。
そう思わなければ、紬としてはいたたまれない。
(まあ、流石に雫がアレを捨てるかもって思わなくはねえけど)
見なかったことに。
それはそうだ、フられるとわかっている物事に改めて向き合えという傲慢さを彼女が受け入れる理由はない。ただ、紬が気持ち悪いからそうしたというだけの話だ。
手紙を出して、その時は「やりきった!」と思ったのだが家に帰って冷静になってみるとそれは独り善がりではないのかという疑念が渦巻いてしょうがない。
結局、またもや眠れぬ夜を過ごした紬は適当な理由をつけて、紡よりも一本早いバスで登校した。雫は、いつも早くに登校していることを彼は知っていたから。
(花梨も言ってたよな、雫の方が先に来て待っていてくれるって……)
それが何時なのかは知らないが、下駄箱の手紙が歩かないかだけでも確認したいと思ったのだ。
あったら回収しても良いのだろうか……なんてちらりと思った自分を、意気地がないと内心で罵ってバス停から学校までの坂道を上る。
早めの時間だからなのか、人の姿はまばらだ。
初夏のじわりとした熱が、日差しが、とにかく暑くてじわりと汗が滲んだ。
校門を通り抜けて、下駄箱に行く。
それだけの、当たり前の行動だというのに妙に心臓がうるさい。
(彼女は、もう、来てるのか)
いるのか、いないのか。
朝練で走る運動部の掛け声が、遠くに聞こえる。
まるで、告白されたあの日のようだと紬は知らず知らずにため息を吐き出した。
初夏の熱と同じような、熱いため息だったように思う。
(……なんで)
どくどくとうるさいくらい早鐘を打つ胸を押さえて、紬はふるりと頭を振った。
花梨を待っている時のような、そのくらいの心臓の音にどれだけ自分が緊張しているのかと知らしめられるようでそれが少しだけ、かっこ悪くて。
今更かっこつけたところで、誰が見ているわけでもないことは紬もわかっている。
だがそれは、まだ柔らかい少年の部分と大人の理性ある部分を両方持っているからこそのアンバランスな矜持だったのだ。
一歩、また一歩と足を進める速度が落ちる。
近づいてくる昇降口にたどり着くことが、少しだけ怖かった。
(ばかか、やっちまったもんはもうどうしようもねえだろ)
手紙を置いたのは、事実なのだ。
回収するにしても、雫がもう持って行ったにしても、どちらにせよ下駄箱に行かねばならないのだ。
それに、もうすぐ登校してくる人数だって増えてくる時間帯に入るだろう。
そうなったらもう、確認どころの騒ぎじゃない。
女子の上履きを漁る男子生徒なんて不審者扱いまっしぐらだ。
そんな目に遭うことは絶対に避けたかった。
「あっ……」
意を決して歩を進めた彼の目に飛び込んできたのは、下駄箱の前で立つ雫の姿だ。
周囲を他の生徒が靴を履き替え行き交っているが、そこだけが紬には鮮明に見えていた。
思わず零れた紬の声に視線だけが向けられる。
その目からは、何の感情も読み取れなかったが雫の手には、お世辞にも綺麗とは言えない千切ったような紙が握られていて、それがなんであるのかは紬がよくよく知っていた。
一度は治まった胸の鼓動が痛いくらいで、まるで全力疾走したかのように汗が全身にぶわりと出る感覚に陥る。
だが、これはある意味チャンスだとぐっと拳を握りしめ、自分を奮い立たせて真っ直ぐに彼女を見た。
「……あの、よ……」
雫、と名前で呼ぶべきなのか。
それとも出会った頃に戻るつもりで彼女の姓である如月と呼ぶべきなのか。
避けられている以上元通りの友達というわけにはいかないだろうし、かといって自ら距離を取りに行くのは違う気もする。
躊躇って、紬は結局どちらも声にする事ができなかった。
雫は、何も言わずにこちらを見ていた。手に持ったメモもそのままに、ただじっと紬を見ていた。
その眼差しからはなにも見て取れなかったけれど、なんとなしに居心地悪さを紬は覚えて気を抜いたら目を逸らしてしまいそうだった。
だが、そうなれば雫はここから去っていくに違いない。
そして話を聞いてもらえない。
(そんな気がする)
雫の眼差しは、真っ直ぐだ。
怯んでしまうのは、己の方が申し訳なさや
雫の気持ちに応えられなかったことも、それを申し訳ないと思いながら同時に花梨にそんな風に想われたかったと僅かでも考えた己の浅ましさ。
それを咎めるつもりは雫にはないだろう。
代わりでもいい、そんな言葉を吐き出すほどに彼女は想いを溢れさせた。だからこそ、今も実らない恋を抱えた者同士であっても紬と彼女の間には、越えられない大きな溝があるように思う。
それこそ、紬の思い込みに過ぎないのかもしれないけれど。
「……それ、見たんなら。……今、どうするか、決めてくれ」
どこかで聞いたようなセリフだなと紬はふと思う。
そして自嘲の笑みがこぼれた。
だってそれは、告白をしてきた雫の気持ちに似ていたからだ。
彼女は実る実らないに関わらず、答えが欲しかったに違いない――今の、彼のように。
そして答えを出せずにあの日俯いてしまった彼が、今、雫に答えてほしいと訴えているのだからこれがどうして嗤わずにいられようか。
(俺は、勝手だ)
人間なんて誰もが勝手なものだ、なんてどこかの歌詞にでもありそうなフレーズが頭をよぎる。
「いいよ、じゃあ、今日の放課後ね」
「えっ」
「都合悪かった?」
「い、いや」
聞いておいてなんだが、彼女があっさりと応じてくれるとは思っていなかった紬は思わず言葉を失って棒立ちになってしまった。
そんな彼を見て、訝し気にしながらも気遣う雫にまた良心がちくりと痛む。
(逃げてばっかの俺と、全然違う)
当然人間なのだから、考え方や行動が違って当然だ。
それでも今の雫の真っ直ぐな視線も、震えないその声も言葉も、紬にしてみたら羨ましいほどに強く見える。
自分が僅かでも彼女のような“強さ”を持っていたならば、今みたいにならなかったのだろうかとまた思ってしまう自分が嫌で、紬はぐっと苦いものが喉にせり上がってくるのを無理やり飲み下した。
「それで、いい」
なにが『それでいい』なのか、自分でもわからない。
彼女に願い出ているのは自分だというのに、ここまできてもかっこつける自分がみっともなくて紬の中で気持ち悪いナニカが渦巻いた。
わかっている、それは自己嫌悪だ。
かっこつけている自分も、自分の恋心に決着をつけきれない未練がましい自分も、雫の潔さに憧れているくせにそれが羨ましくて妬ましいなんて思っている浅ましい自分を認めきれない、そんな自分に対しての気持ち悪さだった。
「それじゃ、放課後ね」
「……あっ」
「えっ、なぁに?」
雫が自分に背を向けるのを見て、なんとなしに呼び止めてしまった紬に彼女が不思議そうに肩越しに振り向いた。
その目は相変わらず真っ直ぐだ。
恋心も、嫌悪も、憐憫も、哀切もなにもない。
ただきょとんとしたその顔を向けられたことで紬もはっとする。
「……いや、なんでもねえ。悪い」
「そう?」
小首を傾げた彼女が、去っていく。
その背を見送って、紬はなんとなく持ち上げてしまった手を持て余すように動かして自分の頭を乱暴にかきむしるのだった。
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