第18話 二人の関係

 結果から言うと、紬は雫とまともに会話できずにいた。

 それどころか、ここ数日。そう、数日間まともに話せていないのだ。


 最初のうちは気まずさから紬が彼女の側に行くことができなかったし、それを察してか雫も曖昧に笑って、適当な理由をつけて共に昼を食べなかったりでただ時折視線がぶつかっては逸らしあう、そんな感じだった。

 そんな二人の様子に紡と花梨も何かを察したのか、何かを言いたいようなそんな顔をしつつも何も言わなかった。


 それに少しありがたいと思いつつやはり気が滅入るので、昼は二人でとってくれるよう頼んだ紬も適当なところで昼をとるようになった。


 それが数日続いたところで、いい加減こんな状況じゃだめだと紬も思った。

 行動しようそうしよう。

 思い立ったが吉日とばかりに彼が雫に話しかけようとするたびに、彼女はその姿を教室から消していた。

 当然授業中など言葉を交わせるはずもなく、休憩時間がその状況で、昼休みともなれば最近別々なだけに探すのもまた一苦労。

 それじゃあ放課後と思うのだが、話しかけようとするたびに雫の側には誰かがいて声がかけづらい。いや、何度かはチャレンジもしたのだ。


 だが教師に呼ばれているとか、塾があるなど理由をつけて雫は「ごめんね」とへにょりと笑って紬のそばをすり抜けていくのだ。

 ここまでくれば、流石に紬も認めざるを得ない。


 雫に、避けられているのだ、と。昼休みに姿を消した彼女を確認していら立ちでひとつ、足踏みを乱暴にしてから大きくため息を吐き出した。

 最初の頃は気まずい話をしなくて良いのだと、自分のせいじゃない、とほっとしていたものだがこうなってくると話はまた別なのだ。


(なんだよ、お前が……言ってきた事じゃねえか!)


 その場で答えられなかった不甲斐なさは棚に上げ、紬はイライラとする気持ちが抑えられずにいつものように一人で、人気のない場所を探して弁当を広げてたいらげる。

 それから持ってきていた水筒の中身を勢いよく飲み干して、一息ついて。

 

 落ち着いてみれば、溜息だけが出てきた。


「……」


 冷静になれば、雫の対応は仕方がない気がしてくる。

 あの場で答えが出てこないどころか吐きそうになる男が、改めて返事をする?

 もう答えなんてわかりきっているじゃないかと紬も思う。そもそも雫は、彼が友人である花梨に片思いをしていること自体知っていたのだから望みが薄いとわかっていたはずだ。

 だからこそ、逆に傷つけないために……答えを口にさせないために、彼を避けているという可能性がある。


(むしろ、その可能性の方が高いよな)


 まだ付き合いは短いが、雫は花梨から話を聞いて紬の性格をよく知っているのだろう。

 馬鹿真面目だと紡にもよく笑われて心配されるその性格は、良くも悪くもこういう時に相手には負担になってしまうのだ。それがわかっていてもどうしようもないからこそ、紬も困るのだけれども。


「あー……どうすっかなあ!」


 悩んで何かが出るわけでもない。

 話をしたところで『はい元通り!』と時間が戻るわけでもないし感情がリセットされるわけでもない。

 ああ、世の中はなんでこんなにも上手く回らないんだろうと紬は思う。


 馬鹿げた話だが、振って振られてあっという間に気持ちが消えるなら、もっと楽なもんだろうなと思わずにいられないのだ。現実、その気持ちの切り替えが上手な人間はいくらでもいるのだろうがおそらく紬と同じでまったく切り替えできないタイプの人間だって大勢いるに違いない。

 

 好いて好かれてハッピーエンド、そうなるのがベストには違いないがこれだけの数人間がいればそうそう上手く回らないのが世の中ってものなんだといまだ社会に出てもいない子供でも気づくというものなのだ。

 ただ、紬はそういう意味で幼すぎるというわけではないが大人というわけでもない、そんな微妙な年ごろゆえに立ち回りが酷く下手だったとも言えた。


「……」


 はぁ、と溜息が漏れる。

 花梨に聞けば何かわかるのかもしれない。実際彼女たちは友人関係にあるのだから、細かい事はともかくとしておおよそのことは話して雫が紬を避けるために手助けくらいしているのかもしれない。

 だとすればやはり花梨の手が借りられるとは思えなかったし、無理に何かを聞き出すのも違う気がする。

 そもそも雫は、答えを待っているのだろうか。

 紬はその考えにふと思い当たって、つるりと顔を撫でた。


 もし、答えを必要としていない、完結しているのだったら?

 いやでもそれならそうで、紬を避ける理由にはならないのではないか、今まで通りの関係とまではいかなくてももう少しなにかあっていいはずだ、と思う。


(いや、それはあくまでも俺の希望か)


 逆に元の関係に戻れないから、距離を置いている……と考えるのが本来自然なんだろうと紬も思う。

 もし自分が仮に、花梨に気持ちを知られればやはり遠ざかるだろうと思うから。

 でもその方がすっきりするだろうか、と意識がそちらに向いて紬はブンブンと首を振った。


(違う、今考えるべきは雫の事だ)


 関わらないでくれというなら、関わらないようにしよう。

 だけれどそれも思い込みの独り善がりかもしれない。だからやはり一度、ちゃんと顔を見て話をするべきだ。


 ……自分が悪者になる事を恐れていては、もっと大切なものを見失う。

 そんな予感がした。

 当たっているかもしれないし、外れているかもしれない。むしろ外れていてくれた方が紬としては良いものだったが、それでもじくじくと胸をむしばむ不安は彼にそう決断させる。


 チャイムの音を遠くに聞いて、慌てて教室に戻る。

 すでに雫の姿はあった。けれど彼女は振り向かない。その背中は、数個机を挟んだ遠さ。


 見えるのに、決して手が触れない。

 それがちょうど、今の自分たちの距離感のようだ、と紬は柄にもない事を考えて薄く笑う。


 授業を適当に聞き流しながら、びりっとノートを破いて、書き殴る。

 上手い言葉など見つからなかった。

 ただ単純に、はっきりと。


『ちゃんと話がしたい。時間がある時、声をかけて欲しい。』


 紬としてももう少し何かないのかと思わずにはいられなかったが、これが一番しっくりきたのだから仕方ないのだ。


 自分の名前を添えて、封筒も何もないからただ適当に折って、帰り際に彼女の下駄箱の、上履きの中に放り込んだ。それが少しだけ、照れくさい。


(……そういえば)


 すっかり紬の鞄の中が定位置となってしまった差出人不明の手紙も、下駄箱にあった。

 これの差出人も、入れる時にはこんな気持ちを味わったのだろうかと思って紬は鞄の上からそこを少しだけ撫でて、いつもよりも足早に学校を後にしたのだった。

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