第2話 紡と紬

 つむぐたちが通う高校は、家から一時間もかからない。

 二人揃って同じ高校に通う必要はないのにと両親や友人は笑ったものだが、彼らは別に笑われるようなことをした覚えはなかった。


 ごく自然に、「どこの高校行く?」「あそこでいいんじゃね?」「ああ、バスで行けるもんな」と会話をして勉強をしてそうなっただけだ。

 一緒の高校に通おうと思ったわけじゃない。

 一緒で当たり前だと思っていただけの話だ。


 それが、普通じゃないんだと言われても紬にはよくわからなかったし、おそらくつむぎも同じ考えなんだろうと彼は思う。

 一緒に登校して、部活はお互い好きに選んで、クラスは別で。

 なんてことはない、どこにでもいる兄弟と同じだ。

 クラスが違う分教科書の貸し借りや、サイズが同じなのでジャージの貸し借りが楽だななんて笑い合うくらいに彼らは仲が良い。


「紡クン、おはよ!」


「おー、花梨」


「紬クンもおはよ!」


「……おう」


 バスを降りて待っていたらしい彼女に、紡がへらりと笑った。

 素直に嬉しいと表現できる紡を見て、紬の心が軋むのに、誰も気が付かない。


 花梨かりん

 それが紬の片想いの相手であり、紡のカノジョの名前だ。


「教室まで一緒いこ!」


 明るく嬉しそうなその花梨の声に、紬は斜め掛けした鞄のベルトを握るようにして胸の痛みを耐えた。

 強く握ったせいで、ぎし、と軋む音が聞こえたがそれが心の音なのか、ベルトがたてた大人のかはわからない。


 並んで歩く花梨の横顔


 可愛く笑う顔が好きだった。

 ころころ笑う、明るい声が好きだった。

 誰よりもキラキラして、横に立つ紡を見る彼女は恋する少女だ。


 それがたまらなく、紬には不快だった。


 自分に向けられていない、その表情その声、感情。

 それはどうして自分ではないんだ、という苦しみになる。


(同じ顔をしているのに)


 双子なのに。

 同じ顔で、同じ身長で、じゃあ何故自分は選ばれなかったのか。


 勿論、紬は紡と同一人物じゃないと理解はしている。

 それでも、思わずにはいられない。

 そして、その感覚に自分で吐き気がする。


「……紬?」


「わりィ、靴紐解けたから先行って」


「え、待つぜ?」


「いい。花梨もいいから先行ってろよ。校門なんざ目と鼻の先で待ってる必要なんざねえよ」


「大丈夫? 今日は小テストなんだからこのまま帰るとかナシだよ?」


「んなことしねぇよ、先行ってろって。ガキじゃねーんだからすぐ行く」


 他の生徒に気を使って道の端によってしゃがみこんだ紬に、二人が顔を見合わせる。

 だがそれ以上彼らの方を見ないその態度に、ちょっと躊躇ってから進み始めた二組の足元を見送って紬はそっとため息を吐き出した。


「……。わぁった、先行ってるよ。ほら行こうぜ花梨!」


「えっ? うん、えっと……じゃあまた後でね!」


「ああ」


 靴紐が解けたなんて、嘘だ。

 そしておそらく、紡はそれに気が付いたのだろう。


 長らく共に暮らした、双子だからこそわかる些細な嘘も、紡がつくなら紬は気付く自信がある。ということは、逆も当然あり得るというか、当たり前なのだと思う。


 だけれど、見ていられなかった。

 一緒にいるのに一緒にいない。

 彼女が見ているのは紡であり、恋しているのも紡なのだ。


 せめてもの救いは、二人が紬と違うクラスだということか。


(まあ、昼休みとかまた来るんだろうけどな……)


 仲良く二人で弁当を食ってくれればいいのに、と小さく毒づく。

 見えなければ見えないで嫉妬で焦がれそうになるけれど、直接目の前で繰り広げられる仲睦まじい姿を見せつけられるのも苦しくてたまらない。

 どうせなにをしていても苦しいならば、いっそ色々とぶちまけてしまおうかと思ったこともある。

 それでも、紬にとって二人は大切だった。

 だから、彼らが幸せそうに笑う姿を壊すことなど想像したくもなかった。


(俺ぁ、おかしいのかな)


 二人がだいぶ遠のいたのを確認してから、ゆっくり立ち上がる。

 まだ登校時間には十分余裕があるため、ことさらゆっくりと正門に向かって歩き出した。


 鞄の位置を直した時に、かさ、と音がした。

 そこには持ってきた封筒があることを思い出して、紬は少しだけ鞄を開ける。

 しゃがんだ時に歪めたのか、少しだけ形を悪くした封筒の姿に指先で少しだけ伸ばして押し込め直した。


(……あなたと、恋がしたいです)


 花梨の紡を見る眼差しを思い出す。

 ちくんとするどころかもっと激しい痛みと怒りと、そして失望が紬を苛んだ。


 それでも、その封筒の一文は温かい。


 誰でもいいわけじゃない。

 好きな人に好かれたい、それはごくごく自然な話だ。

 それでもみんながみんな、上手くいくわけではない。


 紬だってそんなことは知っていた。

 知っていたけれど、それが自分の身に起これば平常でいろという方が無理なのだ。

 この苦しみが待っているならば、恋なんてしなければ良かった。

 そんなどこかの恋愛ソングの歌詞のようなことを思いつつ頭の片隅に浮かぶのは、花梨の幸せそうな表情と、手紙の一文だ。


(どんな、恋がしたかったんだろうな)


 もし、先に告白をしていたら。

 紡が好きだと聞いてしまうよりも前に。この恋情に気が付いた時に。


 そんな埒も開かないことを考えて、紬はそっと嗤った。

 ないものねだりな自分に、恋に焦がれた自分に、選ばれなかった自分に。


 そうして息を吐き出して、下駄箱を前に顔を上げる。

 今日は、封筒はなかった。

 あるのは薄汚れた自分の上履きだけだ。それにどこか残念さを覚えながら、紬は手に取って靴から履き替える。

 幾人かのクラスメイトが通りがかって挨拶をして、紬もそれに応えて、教室に向かう。

 いつもの光景で、なんの代わり映えもしない日常だ。


 外は晴れていて今日もきっと体育は外なのだろう。

 面倒だなと思いながら、紬は前を向いて、目を細めた。


 そこには先に行った紡と花梨がいたからだ。

 彼らはまだこちらに気が付いていないが、残念なことに紬が行かなければならない教室の入口にいる。

 折角落ち着いてきた気持ちにまたじわりと嫌な感情がぶり返すのを感じて、それをぐっと飲みこむ。

 喉を焼くような何かを口にしているわけじゃない。

 だけれど、それは確かに苦かった。


「あっ、紬ゥ。いいとこに!」


「なんだよ紡。自分の教室行ったんじゃねえのか」


「いったよ。花梨の友達紹介されててさ」


「あ?」


 この高校で、クラスはAからFの六クラス。

 当然三年間で同じクラスになったことのない人間も存在するが、同じクラスの人間くらい紬だって覚えている。

 だがクラスの中に立って、花梨の横で小さく微笑んだ少女には、見覚えがなかった。


「……誰、アンタ」


「ちょっとぉ、いきなり怖い声出さないでくれる!?」


「うるせえ、地声と地顔だよ。で、誰」


「か、花梨ちゃん……ごめんね、えっと、周防くん?」


「俺もコイツもどっちも周防だけど」


「紬ゥ、そんな意地悪なこと言うなって」


「あの、わたし、如月きさらぎしずくです。ずっと入院してて、今日から一緒に勉強できるようになったの。よろしくね」


「……如月。あー、いたな、名前は見たことある」


 なるほどと紬が納得したところでチャイムが鳴った。

 花梨とはどうやら仲が良かったらしい少女は笑顔で手を振っている。


 なんとなく彼女と一緒に、去っていく紡と花梨を見送って、なんとはなしに互いに顔を見合わせた。


「花梨ちゃん、一緒にお昼食べようって誘ってくれってたんです。周防くんも一緒に食べてるんでしょう?」


「……紬」


「え?」


「紡と紛らわしいからな、同じ苗字だから。紬でいい」


「そっか。じゃあ、えっと……紬くん、今日からよろしくね!」


「おう」


 ただクラスに、クラスメイトが一人増えただけ。

 紬からすればなんてことはないことだ。


 特別美少女ってわけでもない、目立つ要素もない、入院していたというだけあって弱々しい雰囲気はあるがにっこりと笑う姿は別に今にも倒れそうな儚さなどもない。

 この様子なら、花梨の友達だからと気に掛ける必要もなくクラスの連中と受けとけるだろうと紬はただ彼女の挨拶に頷いて、さっさと自分の席に座るのだった。

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