あなたと、恋がしたいです。
玉響なつめ
第1話 始まりの手紙
あなたと、恋がしたいです。
「……え、なんだこれ……」
たった一文。
震える指先で広げた封筒から取り出した、真っ白な便箋にはそれだけだった。
帰りがけに下駄箱に無造作に置かれた白封筒。
高校生男児としてはあまりにも古風なそれに、不覚にもときめいた。
で、慌ててそれを同級生に見つかる前に鞄に押し込んで逃げ帰るようにして自室に戻って開いた結果がこれだ。
なんの悪戯だよ、と思って便箋を捨てようとしたところで彼は思い直してそれを綺麗に畳み直し、封筒の中に戻した。
宛先も、差出人も何もない。
ただの、白いだけの封筒。
(俺の下駄箱だったよな。でも、
中学生以降お互いの趣味が少しずつ違ったためにファッションや持ち物で家族や友人は区別していた。
そして、それ以外に違うのは性格だろう。はっきり言えばこちらの方が大きいのかもしれない。それは小さな頃からだったから、紬も自覚していた。
人当たりがよく笑顔の多い、ちょっとおっちょこちょいの紡。
意地っ張りで照れ屋なものだから不愛想になりがちな紬。
どちらが人気者になれるかと問われれば、明確だった。
羨ましいと思いつつも、変わることができなかった紬はいつだって紡と比べられていた。
もう少しあの子みたいに愛想よくすればいいのに。
あの子みたいに可愛げがあれば良かったのに。
今まで好きになった女の子も、紡の方が良いと言って笑っていた。
同じ顔なのに。笑顔が多くて、臆さず話せて笑えるっていうだけで。
代わりにすらなれないだなんて、惨めだとなんども思わされたものだ。
だから、その手紙が自分宛じゃないかもしれないという可能性に行きついた紬は苦々しいものを感じて、それを感じた自分に苛立った。
手紙を握り潰してやろうか、間違いだったならその程度の気持ちだろう?
そんな感情だ。
「紬ィー、帰ってンの?」
「……!」
握りしめようとした瞬間に聞こえた、紡の声。
それにハッとした紬が、思わず手紙を机の引き出しにしまった。
「お、帰ってた~、なぁなぁ、オレさっきタイ焼き買ってきたから食おうぜ!」
「お、おう」
「……? なんかあった?」
「いや、……なんでもねえ」
「そ? 紬ってば寡黙だからなァー。頼りにしてっけど、オレのこと頼ってくれてもいーのよ?」
「うっせ、大したことじゃねえよ」
いくら比べられても、紡が良い奴だってことを誰よりも知るのは紬だ。
だから誰もが、彼を慕うのだ。紬はそれを良く知っている。
(……俺が、紡だったら、あの子も俺を見たのかなんて)
そんなの妄想だ。
好きだった、片思いの彼女が紡と付き合い始めたのは数週間前だ。
自分が紡にはなれないことなんて百も承知なのにそう思ってしまったとしても、誰も紬を咎めることはできない。
好きだった。
好きだった。
すごく、すごく。一年生の頃から、委員会で知り合って言葉を交わして二年でクラスが一緒になって、どんどん好きになった子だった。
だけど、三年生になったある日、放課後に呼び出されてドキドキして対面した結果が別の告白だった。
―― あたしね、紡クンが好きなんだ。ね、協力してよ、双子の兄弟でしょ?――
なんで自分じゃダメだったのか。
紬にはわからない。
だけど、あの日を境に“自分は自分、紡は紡”と納得させていたはずの心が歪になったことを彼は感じていた。
それは人が言うなら、きっと嫉妬だと言うだろう。
なれないものに憧れる、そして大人になるにつれて諦めることが上手くなる、その過渡期でどうしても拭いきれない劣等感。
そこから折り合いをつけて人は成長していくのだろう。
だけれどその想いは、双子であるということで常に付きまとうのだ。
影のように。
あるいは自分が影なのか。
それは紬自身にもわからないけれど、割り切れない感情がひどく苛んで、時には大事な兄弟を傷つけたいとすら思ってしまう激情に身を焦がすのだ。
不愛想で、表情に乏しくて、何を考えているかわからない。
そう言われる彼が、双子の紡が彼の恋した少女と歩く姿を見て傷ついていることを誰も気が付かないのだ。
(……ばっかみてぇ)
台所に行って、冷えたタイ焼きを紬と紡は電子レンジで温めた。
買ってきたといっても彼女と帰り道に買って、ゆっくり下校デートを楽しんでということだったらしくて手に取った時には冷え切っていたのだ。
それこそ、その話を聞かされた紬の心のように。
さっさと温めたタイ焼きをかじりながら、紡がアルバイトに行くのを見送る。
上手に温められなかったあんこが中途半端に少しだけ冷たくて、さっさと飲み下した。
「……あなたと、こいが、したいです……か」
現実的には、紬は自分宛の手紙だとしてもきっと気持ちを受け入れることはできなかった。
だってまだ彼は、恋した少女を忘れられないのだ。
例えそれが、双子の兄弟と恋人になったのだとしても。
そう簡単に諦められるような恋なんか、しているつもりはなかった。
だからといって彼らの仲を引き裂きたいわけでもなかった。
そんな気持ちのまま好意を伝えられても、上手く応じれるほど紬は自分が器用でないことを知っていたからきっと断る言葉を探して、結局不器用なまでに真っ直ぐに断ったに違いない。
だけれど、引き出しを開けて再び手にした便箋には何度見てもあて名はない。差出人も、ない。
綺麗な、柔らかな字でただ一文。
あなたと、恋がしたいです。それだけだ。
あまりにもストレートなその文章と何もない封筒はなぜだか紬からしたら彼と同じような不器用さを感じさせて、悪戯と判断することはできなかった。
だけれど、差出人も宛先もないそれに、中身すらたった一文なんて。
普通は誰かの悪戯と考えるものだろう。
(これを書いたのは、誰だろう)
そして宛先は誰だったのだろう。
どうして恋がしたいのだろう。
こんなにも、苦しくて、苦いものなのに。
いいや、苦いだけじゃない。
確かに甘さはあった。きらきらした。楽しくて、楽しくて仕方なかった。
なにをしても可愛く見えた。
彼女に会いたい。
彼女の声が聴きたい。
自分を見てもらえたら、どれだけ幸せだろうと――そこまで自分の恋を思い出して、ぐっと胸が痛くなる。
紬は、自分の胸を抑え込んだ。
どこも怪我はしていないのに痛むそれが、失恋の痛手というやつであることは彼も十分理解している。
じゃあ忘れよう、なんてできないのが性分でもあったのだ。
それが紬という、大人になる手前の少年だった。
頑なな少年、紬。
そんな彼が、心惹かれた一文の手紙。
あなたと、恋がしたいです。
そっとその文字を指でなぞる。
ボールペンで書かれたらしいその文字の、書き主は一体どんな人物なのか。
それを思うと、何故だか痛んでばかりだった胸がほんの僅かに優しい温かさを思い出す気がした。
(……あなたと、恋がしたい。それって、どんな恋なんだろう?)
恋がしたい。恋をしていた。
それを紬自身、よくわかっていない。
ただ好きだった。
それだけじゃだめだった。
紬が知っているのはそれだけだ。
甘くて、苦くて、つらくて叫びたいこともある。
だけど、それはどんな恋だったのかとまだ彼は説明できない。
それでいいと、思っている。そんなもんだろう、と彼は思うのだ。
一枚の便箋。
短い、一文。
それでも、紬は捨てることも、忘れることもできないのだ。
(明日、学校に行ってみたらなンかわかるかもな)
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