第3話 手紙

「……ってことで、お前ら何か知らないか」


 紬は、差出人不明の封筒が自分の下駄箱に入っていたことを彼の周辺の友人に尋ねた。

 何かしら手紙を出した人間が、その答えあるいはアクションを期待して行動を起こしていてもおかしくないのでは、とまずそこに至ったからだ。


 だが、残念なことに誰一人答えるものはいない。

 それどころかその手紙の内容に興味を示されて紬はうんざりしただけだ。


「だから。内容はラブレターっぽいやつだから誰のかもわかんねぇのに勝手に見せられないだろ」


「だってお前見たんだろ?」


「見ちまったからこうして何かの間違いじゃないのか確認してんだよ」


「ちぇっ!」


「ああでも案外花梨じゃねーの」


「ハァ? あいつは紡の彼女だぞ」


 一人が出した言葉に、紬は首を傾げた。

 今朝だって花梨は紡を相手に嬉しそうで嬉しそうで、たまらないという顔をしていた。

 じくりと胸が痛んだが、それを知っているからこそその話はあり得ないと紬は言い切る。


 だが、友人たちは顔を見合わせて、ちょっと困ったように続けた。


「だってさ、最近、紡と喧嘩ばっかしてるって話だぜ?」


「そうそう、俺も言いあってるの見たもん」


「……でも朝っぱらからあいつら仲良かったぞ?」


「んんーじゃあ、違うのかな。なあ、手紙見せてくれたらわかるって!」


「だから見せないっつってんだろ」


「ちぇー! ケチめ!!」


 諦めきれないらしい少年たちの間で、ラブレターというのは良い話題だったのだろう。

 どんな子だろう、綺麗な子か、クラスの子か。

 或いは他校かもしれないしまさか禁断の教師から!? などと盛り上がり始めて紬はついていけずに席を立った。


 結論から言えば、紬自身も、彼の周辺にも、これといって変化はない、ということだ。

 だとすれば後の可能性としては紡だが、それを彼に確認することは躊躇われた。

 

 もし紡だったなら、またかと思ってしまいそうだった。

 そして、花梨がどんな気持ちになってしまうんだろうと思ったからだ。


(……紡だったら。紡だったら、この言葉を、どう思うんだろう)


 手紙の主に、会いたいと思うだろうか?

 でもそうしたら、花梨はいやな気分だろう。

 そうなったら、自分はどんな気持ちになるのだろう。


 そこまで考えて紬は頭を振った。

 ほんの少し、ざまあみろ、と思ったのだ。

 そんなことを考えちゃいけない、二人には幸せでいて欲しいと思っているのも本当のはずなのに。

 頭に浮かんだ、自分を選んでくれなかった花梨が泣き崩れる姿と。

 自分よりも選ばれる紡が、羨ましくてたまらないんだという醜い自分を垣間見て、ぞっとした。


「紬くん?」


「……如月」


「どうかした? 顔色、悪いよ」


「なんでもねえ」


「……そっか。あの、ハンカチ、使う?」


「なんでもねエ、つってんだろ!」


「あっ」


 差し出された白いハンカチは、案じてくれる目は、今の紬には辛かった。

 自分勝手な、満たされなかった気持ちが暴走していることはわかっている。わかっているけれど、どうすることもできない。暴走している、ただの癇癪を起こした子供と同じだ。


 それでも紬は自分をどうすることもできないのに、どうにかしたかったのだ。


 だからといって、今日会ったばかりで自分を案じてくれた少女を怒鳴って良い理由にはならない。

 そのことに考えがようやくいってから、紬ははっとして傍らにいた彼女を見る。

 驚いた顔のまま、固まっている彼女。

 同時に大声を出した彼と、呆然としている彼女という状況に興味を示す野次馬たちの視線。


(やっちまった)


 カァッと羞恥がこみあげる。

 自分が悪いとわかっていながら、彼女に謝罪をすることもできず身を翻してとっととその場を後にした。


 嫌われたかもしれない。

 そう思うとまた自分が情けない。


 折角病気が良くなって、学校に来れるようになったんだろう。

 友達だという花梨の、花梨の彼氏の兄弟だ。

 きっと仲良くなろうと思って、心配してくれたに違いない。


 なのにあんな風に心配して怒鳴られたら、怖いだろうし気分も良くないに違いない。


「ああクソ、最悪だ……」


 きっとこの事は、彼女を通じて花梨に伝わる。

 そうなれば、きっと花梨は怒るだろう。

 出会い頭に叩いてくるかもしれない。


 そう思うと落ち込む。

 花梨に、嫌われるかもしれない。

 それなのに、紬は自分の顔を押さえこみ、浮かんだ感情に吐き気を覚えた。


(どうして、それでも花梨が俺を見てくれるなら、なんて思っちまうんだよ)


 どんな感情でもいい。

 自分を、見て欲しい。

 そんな感情が、自分の中にあった。


 もし花梨が、あの手紙の主だったら。

 紡となにかあって、何かの理由で俺を選んでくれたのだとしたら。


 そんな感情に、自分自身で吐き気を覚える。


「んなこたぁねえし、そんなんだめに決まってンだろ……!!」


 誰にともなく、人のいない中庭で項垂れる。

 ああ、どうしてこうなった。

 こんな感情、知らなかったし知りたくなんてなかった。

 花梨を好きになって、その時はただただ毎日が楽しかったというのに。


『あたしね、紡クンが好きなんだ。ね、協力してよ、双子の兄弟でしょ?』


『紬くん、聞いてよ! 紡クンがさ、紡クンがさ、あたしの名前覚えててくれたの……ッ!』


『紡クンがね』


『紡クンとね』


『……あたしね、告白するよ……!!』


 ああ、そうだよな。紬は思う。

 花梨はいつだって、俺じゃなくて紡を見ていた。

 そのことを、彼はちゃんと知っていた。それでも諦められなかった。ぎりぎりまで側にいたかった。


 俺にいつもあいつのことを相談して、あいつと上手くいったことを俺に話して、そうして綺麗に笑うんだ。

 その笑顔を向けられているのは、自分ではなくその場にいない紡なのに。


『今までありがとう。あたし、紡クンと付き合えるようになったの。紬くんが色々教えてくれたから、本当に……』


 聞きたくなんてなかった。

 紡の相談を受けているけど、そばにいつもいる俺に気が付いてくれるってどこかで期待していたんだ。

 そう叫びたかったのに、紬の口から出たのは祝福の言葉だった。

 なんの、気持ちも籠らない、おめでとうという言葉だったのだ。


 それでも花梨は笑っていた。

 ありがとう、と嬉しさに涙さえ浮かべて。


(どうして、俺じゃダメなんだ)


 は、と息が零れる。

 妙に呼吸がしづらかった。


―― あなたと、恋がしたいです。 ――


 あの文章の主は、こんな苦しい気持ちを知っているのだろうか。

 それでも尚、恋がしたいというのだろうか。

 それを知りたいと、紬は思う。

 そうしたら、この苦しみから少しでも逃げ出せるのではないかと思うから。


 恋は、楽しかった。

 恋は、苦しくてたまらない。


 いつか好きな人ができて、付き合って、別れたり出会ったり。

 そんな風なことは、漠然と考えていた。

 

 こんなに苦しいものだなんて思ってはいなかった。

 だから、誰かに助けて欲しいんだ。

 紬はそう思って、ずるりとその場に座り込む。


「紬くん……!?」


 息が、苦しい。

 誰かが、名前を呼んでいた。


 ああ、これが、花梨だったら。

 花梨が、俺を心配してくれたなら、どんなに嬉しいだろう。


 でもそんなことはない。

 ありはしないんだ。だって彼女が好きなのは、紡なのだから。


 苦しくてたまらなくて、ひゅ、とまた喉が締め付けられるような気がした。

 これが恋だっていうのなら、とんでもない病気だなあ。

 笑いたいけれど笑えない。今はただ、苦しくて、花梨に会いたい。


 そう思う紬の目の前に現れたのは、先程怒鳴りつけてしまった、如月雫の姿だった。

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