破死霊メロス

@kurororon

第1話 死霊メロス、友人を担保にする

 メロスは激怒した。必ずかの邪智暴虐のネクロマンサー・キング屍霊術王を殺さなければならぬと決意した。

 メロスには政治がわからぬ。屍霊術もわからぬ。

 メロスは、村の幽霊である。ラップ音を鳴らし、羊と遊んで死後の人生を謳歌していた。けれど邪悪に対しては、人一倍に敏感なつもりであった。


 本日未明、メロスは叔父の背後霊となって村を出発し、野を越え山を越え、約40キロメートルはなれたシラクス市にやって来た。メロスは父も母も亡くなっている。女房も無い。16歳の内気な屍霊術師の妹と二人暮らしだ。

 この妹は、村の牧場で働く律義な若者を近々、花婿として迎える事になっていた。結婚式も間近なのである。メロスの叔父はそれゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴のごちそうやらを買いに、はるばるシラクス市にやって来たのだ。メロスの方は面白そうだから憑いてきただけであった。

 叔父がそれらの品々を買い集めたのを見届けたメロスは、都の大路をぶらぶらと浮遊した。メロスにはシラクス市に幼馴染がいた。セリヌンティウスである。今はこのシラクス市で石工をしている。その友をこれから訪ねてみるつもりだった。

 久しく会わなかったのだから、訪ねに行くのが楽しみである。だが浮遊しているうちにメロスは、街の様子を怪しく思った。

 ひっそりとしている。もう既に日も落ちて、街の暗いのは当たり前だが、けれども、なんだか、夜になれば現れるはずのアンデッドたちが見えず、街全体が、やけに寂しい。

 呑気なメロスも、だんだんと不安になって来た。道を歩く若い衆に、何かあったのか、2年前にこの街に来たときは、夜でもゾンビや幽霊たちが歌い踊って、街は賑やかであったはずだが、と質問した。

 若い衆は、メロスを無視した。彼らには霊感が無いため、メロスの姿を見ることも、声を聞くことも出来ないのであった。

 しばらく徘徊して、メロスは見るからにネクロマンティックな高齢の男性を発見した。彼は老爺の身体を何度もすり抜けながら質問を重ねた。

 老爺は心底うっとしそうな表情をしつつも、周囲をはばかる低い声で、わずかに答えた。


「王は、屍霊を浄化します」

「屍霊の浄化だと? この街ではアンデッドの生存権は認められていないのか?」


 生存権。たとえばある国の憲法においては、国民は健康で文化的な最低限度の生活を送る権利があること、国はそれを保障する義務があることが規定されている。メロスは、アンデッドにもそのような権利があって当然だと考えていた。


「屍霊に生存権が認められたことなど、歴史上ありませぬ」

「そもそも、なぜ浄化するのだ。王も屍霊術師だろう」

「屍霊は邪念を抱きやすい、というのですが、誰もそんな悪しき想念など持ってはおりませぬ」

「たくさんの屍霊を浄化したのか」

「はい。最初は王様の妹婿様を。それから、御自身のお世継ぎを。それから、妹様を。それから、妹様のお子様を。それから、皇后様を。それから、賢臣のアレキス様を」

「驚いた。身内に死者が多すぎる」

「王は長命種なのです。ハーフエルフなのです。妹様は腹違いなので人間でしたが」

「エルフなら仕方ないな。とはいえ、寿命ゆえの運命を屍霊術で捻じ曲げておきながらそのような所業、王は乱心したか」

「いいえ、乱心ではございませぬ。王は、屍霊を信じることが出来ぬ、というのです。この頃は臣下のワイトたちをもお疑いになり始め、少しでもリッチな素振りをしている屍霊には、人質を差し出すことを命じております」

「リッチな素振りとは、どのようなものだ」

「屍霊術を学ぶといった、上級アンデッドになるための修練です」

「リッチはアンデッドにとって憧れの種族だからな」

「そして王の御命令を拒めば、十字架にかけられて天に還されます。今日は、6人が常世へと旅立ちました」


 聞いて、メロスは激怒した。


「呆れた王だ。生かしておけぬ。アンデッドにしてくれるわ」


 メロスは、単純な男であった。

 買い物を済ませた叔父のことなど忘れ、のそのそと王城に入って行った。衛兵たちは霊感が無いらしく、メロスはすんなりと城の奥まで侵入することが出来た。

 しかし、油断したメロスは外霊束縛陣に引っかかり、そのまま身動きが取れなくなってしまった!

 たちまち城内の屍霊術師たちに捕らえられ、メロスは王の前に引き出された。


「幽霊であるお前が、城に不法侵入して何をするつもりであったか、言え!」


 屍霊術王ディオニスは静かに、けれども威厳をもって問い詰めてきた。その王の顔は蒼白で、眉間の皺は刻み込まれたように深く、エルフ特有の長い耳がわずかに垂れていた。だが、生者には違いないようだった。


「アンデッドが暮らせる街を暴君の手から救うのだ」


 メロスは悪びれずに答えた。


「お前がか?」


 王は、憐れみの笑みを浮かべた。


「仕方の無い幽霊だ。お前には、わしの孤独がわからぬ」

「自分勝手なことを!」


 メロスはいきり立ち、反論を始める。


「死者の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、アンデッド国民の忠誠を疑っておられる」

「疑うのが、正しい心構えなのだとわしに教えてくれたのは、お前たちだ。屍霊の精神は、あてにならない。脳が喪失、あるいは損傷していて、思考が支離滅裂になる。信じては、ならぬ」


 暴君は落ち着いて呟き、ほっと溜息をついた。


「わしだって、平和な屍霊社会ネクロソサエティを望んでいるのだが」

「何の為の平和だ。自分の地位を守る為か」


 今度はメロスが嘲笑した。


「罪の無い屍霊を殺して、何が平和だ」

「黙れ。そもそも一度死んでるではないか」


 王は、さっと顔をあげて言い返した。


「口では、いや、念話ではどんな綺麗事も言える。だが、わしには貴様ら幽霊の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。身体が透けているから当然だな。お前だって、磔になればすぐに心変わりしてしまうだろう」

「ああ、王は利口だ。霊魂すら縛り付けられる屍霊術に自惚れているがいい。私は、ちゃんと天国に行く覚悟がある。幽霊の身で命乞いなど決してしない。ただ――」


 そう言いかけて、メロスは足元あたりに視線を落として一瞬、ためらう。ちなみに幽霊だから足は無い。


「ただ、私に情けをかけたい気持ちがほんの少しでもあれば、浄化処刑までに3日間の猶予を下さい。たったひとりの妹の、結婚を見届けたいのです。3日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ずここへ帰って来ます」

「バカな」


 暴君は、枯れた声で低く笑った。


「それにしても、とんでもない嘘を言うわい。逃がしたウィル・オ・ウィスプが帰って来るというのか」

「そうです。帰って来るのです」


 メロスは必死で言い張った。


「私は約束を守ります。私を、3日間だけ許して下さい。妹が私の帰りを待っているのです」

「屍霊の帰りを待つ妹など、この世のどこにいる?」

「妹は死霊術師です」

「よくも、そこまで嘘を重ねられるものだ」

「そんなに私を信じられないならば、よろしい。この街にセリヌンティウスという石工がいます。私の無二の友人です。彼を人質として、ここに置いて行きます。私が逃げてしまって、3日目の日没までにここへ帰って来なかったら、その友人を絞め殺して下さい」

「その友人とやらは、生者だろうな」

「ゾンビです」

「ならば絞め殺すのではなく、浄化磔刑でよいな」

「はい……」

 

 王は残虐な気持ちで、そっとほくそ笑んだ。


(このバカ、生意気なことを言いおって。どうせ帰って来ないに決まっている。この虚言霊に騙されたフリをして、解放してやるのも面白い。そうして身代わりのゾンビを、3日目に塵にしてやるのも気味がいい。屍霊は、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔しながら、その身代わりのゾンビを浄化磔刑ピュリファイ・クルシフィクションに処してやるのだ。それを世の中の、無辜の屍霊を自称する連中にうんと見せつけてやりたいものさ)


「願いを聞き入れよう。その身代わりを呼ぶがよい。3日目の日没までに帰って来い。遅れたら、その身代わりはきっと灰と化すぞ。ちょっと遅れて来るがいい。悪霊であるお前の罪を、永遠に赦してやろうぞ」

「何? 何を仰るか」

「はは。命、いや、魂が大事だったら、遅れて来い。お前の心は、わかっているぞ」


 メロスは口惜しくなり、地団駄を踏みたくなったが、幽霊なので足が無かった。何も言う気になれなかった。


 メロスの幼馴染、セリヌンティウスは、深夜の王城に呼ばれた。

 屍霊術王ディオニスの前で、よき幽霊とよきゾンビは、2年ぶりに友情のアンデッド再会を果たした。

 メロスは、友に一切の事情を語った。セリヌンティウスは「あー……うー……」と言って頷き、メロスをゆっくりと抱きしめた。

 幽霊であるメロスの身体をセリヌンティウスの腕がすり抜けるが、友と友の間は、それでよかった。

 セリヌンティウスは、対ゾンビ用魔術捕縄ほじょうで拘束された。


 そしてメロスは、すぐに出発した。

 季節は初夏。頭上には、満天の星があった。

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