さよなら、ひとりぼっち

 幼いころから勇者になるために日々励んできた。勉学、剣術、勇者としての心構え。

 ヴィータの言葉が今でも染みついている。全てを自身で完結させろ。

 問題は一人で解決するのが当然。助けを求める。それは弱者の発想だ。

 誰にも頼るな。全て、一人でこなすのだ。


   *

 

 大英雄アリシヤが城仕えを辞めた。季節はすっかり秋である。

 

 国の中央。フィア女王が住まう城。東棟の図書室でロセは顔をしかめた。

 今日もロセの席である図書室のカウンターに手紙が置かれている。時間帯はばらばら。いつもロセが席を外した隙に置かれている。一応ながら手紙を開ける。

『ロセ、今日もお前をこの目に映すことができないのが寂しい。でも、それももうすぐ終わりだ。お前は俺と結婚――』

 そこまで読んでロセは手紙を閉じた。

 気持ち悪い。

 差出人は書いていない。だが、心当たりはある。ロセの幼馴染であり、かつての婚約者・カクトゥスだ。

 カクトゥスはヴィータの信奉者である。ヴィータが内部の反発をくらい辞任、姿をくらませた際、共に消えた。

 どうやってこの手紙を届けているのか。

 ロセは図書室にいる一人の男に目を向ける。クリーム色の真面目そうに整えられた髪に小動物を思わせる黒いつぶらな瞳。

「ラパ」

「は、はい!」

 彼の声は上ずっている。何故そこまでおそれられるのか分からない。

 ラパはカクトゥスと同じく幼い頃からロセと親交があったが、ずっと、こんな調子だ。おどおどおどおど。こんなラパが城仕えをしているのが信じられない。

 ロセはラパに手紙を見せる。

「この手紙、あなたが置いているんでしょう?」

 ラパはヴィータの辞任後、己の意思でこちら側に残った。今はアウトリタの部下らしい。だが、彼は気が弱い。あの強引な兄、カクトゥスに脅されたりしたら、逆らえるはずがない。この手紙を毎日置いているのはラパに違いない。

 だが、予想に反してラパはきょとんと首をかしげる。

「手紙……ですか」

「あら、知らないの?」

「ええ」

 ラパは不思議そうに頷いた。

 推測を外したらしい。悪いことをした。だが、ロセの性格上、素直に謝ることはできない。

「そう、ならいいわ」

 冷たく言い放ち、踵を返してしまう。

 良くないとは思っている。アリシヤのようにちゃんと謝罪しなければならないと分かっている。分かっているのだが。

 ロセはカウンターに戻り、ため息をついた。

 どうしても素直になれない。

 それにしても。ロセは顔を上げる。ラパはこんな遅くまで何をしているのだろう。今日だけではない。最近、いつもだ。

 ロセは仕事が好きだ。夜遅くまで図書室に残り、書類整理などをする。だが、そんな人間は稀有だろう。アリシヤは心配するし、ルーチェは「何故そんなことを」と眉をしかめる。リベルタに至っては「ありえねぇ」と妙なものを見る目で見てくる。アウトリタでさえ呆れる程だ。

 ロセは図書室を任されているため、最後の一人が出て行くまで、図書室を離れて帰ることはない。本来、終業時間になれば人払いをしてもいいのだが、そうはしない。仕事がしたいからだ。

 ラパは大量の書類をまとめ、資料室に持って行く。戻ってくると緊張した様子でロセに歩み寄り、頭を下げた。

「いつも、遅くまでごめんなさい……」

「別に謝ることじゃないわ」

 そう言って二人で図書室を出る。

「では、僕はここで」

 城の奥へ進もうとするラパ。彼は昔からドジを踏むことが多い。

「一応言うけど帰り道はこっちよ?」

「だ、大丈夫です……! それくらいは、わ、分かってますよ!」

 ラパは真っ赤になって早口でまくし立てる。

「道が分からないんじゃありません……! ま、まだ、仕事があるので!」

「まだあるの?」

 ロセは目を見開く。はっと我に返ったようだ。ラパは落ち着きなく目をきょろきょろとさせた後、ロセに挨拶をし、去っていった。

 ラパは鈍そうに見える。だが、図書室での動きを見ているとそれほど要領が悪いようには思えない。ここまで遅くまで仕事をするのは何故だろう。少し心配になる。

 だが、ラパに声をかけることはできず、ロセは彼の背を見送り、帰路についた。


   *


 ロセの家は城から徒歩十分圏内の豪邸だ。

 秋になって日が沈むのがすっかり早くなってしまった。定時に帰る兄、カルパがいつもロセを心配する。だが、ロセはある程度、剣の腕には自信がある。そこらのゴロツキには負けない。

 薄暗い道を歩く。

「ロセ」

 建物の間から声が聞こえた。振り返り、剣を抜く。

「大丈夫、俺だ。怖がるな」

 そういって手を広げたのはカクトゥスだった。

 以前は短く切りそろえられていた髪は長く伸び、頭の後ろで括られている。弟のラパとは違う肉食獣のような目。カクトゥスは微笑むが、その表情はどこか凶暴性を帯びている。

「ロセ、会えて嬉しい」

「何の用? 手短に話なさい」

「ロセは相変わらずせっかちだな」

 カクトゥスはケタケタと笑う。

「ロセに手紙の返事をもらいに来た」

「は?」

「返事、書いてくれてるんだろう?」

 そんなもの書いているわけがなかろう。あまりに当然のように言ってくるカクトゥス。ロセは露骨に表情を曇らせる。だが、カクトゥスはまた笑う。

「婚約者に手紙を書くなんて照れ屋のロセができるはずがないな」

「あなたとはもはや婚約者じゃない。ただの他人よ」

「素直じゃないな。まだ、婚約は反故にはなってない。ロセだって俺と結婚したいだろ?」

 とんだ勘違いだ。ロセは呆れてしまう。昔からこうなのだ。自分が思ったように事が進むと信じ込んでいる。

 ロセは冷たく言い放つ。

「あなたと結婚したいなんて思っていないわ」

「またそんなことを言う」

 話が通じない。ならば、力を見せつけるだけだ。カクトゥスはそれなりに剣の腕はある。だが、ロセの方が上だ。

 剣の切っ先をカクトゥスに向ける。

「これ以上、私と関わるようなら斬るわ」

「全く、ロセは可愛げがないな。そういうところも好きなんだけど」

 肌が粟立つ。これこそ昔からそうだ。この男は生理的に受け付けない。

 カクトゥスがふっと笑う。

「今日は名残惜しいけどここまでだ」

 そういって踵を返す。途中で何かを思い出したように振り返った。

「ヴィータ様も待ってるからな」

 ぞっとした。

 カクトゥスは背を向け、去っていった。

 もし、この件がヴィータ絡みなら厄介だ。だが、今はただカクトゥスが結婚を迫ってきているだけ。そんな些末な問題だ。己の力で解決できるだろう。

 ロセは家にたどり着く。

 扉を開けると、カルパやメイドがわっとロセを出迎えた。

「な、なんなの?」

 引き気味のロセを置いて、カルパやメイドたちは口々によかったなどと言っている。

「お兄様……?」

「ごめんよ、ロセ。ロセがあんまり遅いから、皆心配になっちゃって……」

 カルパが困ったように笑う。心配になるのはこっちだ。

 カルパは今やジオーヴェ家の家長である。こんな些細なことで気を揉むなど論外だ。

 カルパは昔から、ヴィータに才を認められずロセのような厳しい教育は受けなかった。そのためか、本来の気質のまま、優しく育ってしまった。家長としては頼りない。だが、そんな兄のことは嫌いではない。

 ロセはくすりと笑う。

「大丈夫ですよ、お兄様。あなた達も心配することはないわ」

 カルパとメイドにそう言い、ロセはコートを脱ぐ。カルパとメイドはずっと不安そうな顔をしていた。


   *


 次の日もロセは図書室のカウンターでいつも通り仕事をしていた。カクトゥスのことは面倒だが、今は仕事だ。

 終業間近の図書室は人が少ない。

 ひとまとまりの書類の束を確認し終え、顔を上げると、ラパが一人の男と会話をしている。黒い髪の男の名前はフラゴラ。カクトゥスと親しくしていた男だ。カクトゥスのようにヴィータについていく度胸もなくアウトリタにこびへつらった男。

 フラゴラがドンッと大量の書類をラパの前に置いた。フラゴラはにやにやと笑い、ラパは俯いた。

 内容は聞こえない。だが、直感的に悟る。

 あれは仕事を押し付けられている。ラパの仕事が終わらないのはそのせいだ。

 ロセは怒りを覚える。

 仕事に対して真剣なロセ。人に仕事を押し付ける輩など、言い訳を聞く間もなく断罪だ。

 ロセが激しい怒りを込めた目で席を立ちあがると、フラゴラは「ひっ」と声を上げて、逃げるようにその場を後にした。

 ロセは怒りを含んだまま、ラパに目線を向ける。

「ラパ」

「ろ、ロセ様……その」

「そのじゃない!」

 二人きりの図書室にロセの怒号が響く。

「いつもあの男に仕事を押し付けられてるの⁉」

「ええっと……」

「文句を言いなさいよ!」

 だが、目の前のおろおろするラパを見て、ロセは思い至る。この男が他人に口答えできるとは思えない。

 ロセは一つ深呼吸をし、ラパの隣の席に着く。

「ロセ様?」

「まあ、あなたがあの男に口答えできないのは知ってるわ。腹が立つけど、あの男の方が立場は上だものね」

 努めて落ち着いた声で話す。ラパに怒っても仕方がないし、ラパは何も悪いことはしていない。怖がらせるのは筋違いだ。

 ロセはラパの前に置かれた書類に目を通す。どうやら書類の複写の仕事らしい。

「これを写せばいいわけね」

「ろ、ロセ様の手を煩わせるわけには……」

「今日は早く帰りたい気分なの」

 本当は不当に押し付けられた仕事をするラパを手伝いたいのだが、そんなこと、ロセの口から言えるわけがない。

 ラパは身を縮めながら複写にいそしんでいる。手際がいい。ロセより早いかもしれない。

 昔からそうなのだ。ラパは気が弱い。だが、することはきっちりするし真面目だ。アドバイスは素直に受け入れる上、礼もできる。おどおどした態度は気に食わないが、その努力も人の良さ知っている。態度には出せないが、彼には敬意を払っている。

 だからこそ言うべきだ。アリシヤのように伝えるべきなのだ。

 ロセは深く息を吸い、恐る恐る口にする。

「あなたには能力がある」

「へ?」

 ラパが顔を上げる。ロセはその目を見ないで言う。

「だけど、弱いの」

「は、はあ」

「だから、早めに音を上げなさい。あんな男に使われるくらいなら、私のような気の強い人間を頼ればいいの」

 言えた。だが、ロセは涙目である。

 恥ずかしい。素直な感情を照れずに言うのがこんなに難しいなんて。やはり、人の目を見つめて己の感情をストレートに伝えることができるアリシヤは尊敬に値する。

「さ、さあ、仕事に戻るわよ」

 ロセは慌てて複写に戻る。だが、ラパはロセを見つめ続けているのが分かる。もうやめてほしい。ロセの顔に血が上る。ラパがぼそりと言った。

「ロセ様。その言葉、そのままお返ししますよ」

「え?」

 はじかれたように顔を上げた。ラパは困ったように笑う。そして、言った。

「すいません。早く終わらせましょうか」

「そ、そうね」

 それ以上、ラパが何か言うことはなかった。

 ラパの言葉の意味に頭を巡らす。

 音を上げる? 頼る? そんな必要はない。

「私は弱くない。大丈夫よ」

 当然のことだ。ロセはさらりと言う。ラパが顔を上げた。そして、再び困ったように笑った。


   *


 気持ち悪い。

 ロセは顔をしかめた。

 図書室のカウンターに置かれるカクトゥスの手紙は途切れることがなかった。そして、その内容は日に日にエスカレートしていった。

『お前も俺のことが好きなんだから』

『夫婦として歩んでいくなんて当然だ』

『ロセとどう過ごすか毎日考えてるんだ』

 ここまでくると、もはや狂気的だ。

『お前に会える日まであと――』

 そういって毎日カウントダウンをしてくる。吐き気を覚えるくらい気持ちが悪い。

 昨日の手紙。

『明日、お前に会えるな。もう、俺達の部屋は用意してある』

 以下はあまりに低俗なため破り捨ててやった。

 カウントダウンは今日で0。

 今日は手紙がなかった。直接会うから必要ないということか。

 ロセは肌が粟立つのを感じる。そして、気付く。これはただの嫌悪ではない。もはや、恐怖だ。

 アリシヤの顔が浮かんだ。はじめてできた親友とも呼べる友達。最近はカクトゥスの件を感づかれたくないため彼女の勤め先であるオルキデアには行っていない。アリシヤは察しがいい。きっと気づかれてしまう。

 アリシヤに相談したら、きっと助けてくれるだろう。

 ロセは首を横に振る。こんなくだらないことに大切な友人を巻き込むわけにはいかない。

「ろ、ロセ様……。顔色が悪いです」

 おどおどした声に顔を上げるとラパが心配そうにこちらを見ている。

 ロセに恐れをなしたのか、あれからフラゴラに仕事を押し付けられることはなくなったようだ。

 ロセはじっとラパを見つめる。

「ロセ様?」

 いや、たとえ彼の兄が原因とは言え、か弱いラパを危険な目に遭わせるのは論外だ。

 ロセはいつも通り、冷たいともとれる声で訊く。

「ラパ、仕事はもういいの?」

「は、はい。あの、一緒に帰らせていただいても……」

 ロセは目を見開く。ラパがそんな提案をしてきたことはない。だが、今日はカクトゥスと遭遇する可能性があるのだ。彼を巻き込むわけにはいかない。

「私はこの後、アウトリタ様と少しお話があるの。先に帰って頂戴」

「だけど――」

「しつこいわね」

 思いがけず口調がきつくなってしまった。ラパが目を見開き、項垂れる。

「申し訳ありません」

 そう言うと、ラパはすごすごとその場を後にした。

 ラパの丸まった背中を見送る。可哀そうなことをした。だだ、ラパは何故今日に限って、あんなことを言ってきたのだろう。まるで、カクトゥスのことを知っているようではないか。いや、ラパがそんな鋭いはずがない。

 アウトリタとの約束はない。

 ロセはラパと会わないように、いつもと違う道を行く。体が強張っているのが分かる。ラパと一緒にいれば少しはましだっただろうか?

 ロセは首を横に振る。

 いつもよりさらに暗い路地。この通りを抜ければ家に着く。カクトゥスに会わずに済んだ。

 ロセがほっと息をついた時だった。

「ロセ」

 後ろからの声にロセは剣を構えようとしたが、一拍遅かった。ロセの腕が掴まれる。

「会いたかった」

 カクトゥスがロセの手首を掴み、口角を上げる。ロセは目を見開いた。カクトゥスの背後にはずらりと男たちが並んでいる。

 ロセの顔から血の気が引いた。さすがにあの人数は一人で太刀打ちできない。

「ロセ、行くぞ」

「嫌よ!」

 ロセは叫びと共に手を振り払おうとした。だが、手首はしっかりと掴まれていて離れない。やはり、男であるカクトゥスの力には敵わないのだ。

「フラゴラ、馬車を」

「承知いたしました」

 路地の奥にいたフラゴラと目が合う。彼はにたりと笑った。

 フラゴラはアウトリタにこびへつらいながら、まだカクトゥスとつながっていたのだ。手紙もフラゴラの仕業に違いない。

「ロセ。手紙に書いただろう? いつもの道で俺に会いに来てくれと。どうして違う道で来た?」

「手紙……?」

「なんだ?」

 今日、手紙は来ていなかった。だが、この様子だと今日も手紙が置かれていたようだ。

 いや、今はどうでもいい。何としてでも逃げなければ。

 ロセは何とかカクトゥスから逃れようと暴れる。だが、どの動きも軽くいなされてしまう。カクトゥスがロセの耳元で囁く。

「手荒な真似はしたくない。俺の愛しい人」

 底なしの恐怖から、ロセの目に涙が浮かぶ。

 ラパの言う通りだった。自分は弱いのだ。気は強い。だけど、こんな大人数を剣で倒せるほどの実力はない。力もない。

 自分は馬鹿だ。怖かった。言えばよかった。

 今更ながらに口にする。

「助けて……」

 ロセの助けを呼ぶ声。誰にも届くはずがない。だが―。

「もちろんです」

 後ろから力強い返事が聞こえた。月明かりに靡く赤い髪がロセの視界に映る。

 彼女はロセとカクトゥスの前に躍り出た。カクトゥスの手をロセの腕から引きはがす。

 華奢で、まだ幼さも残していて、それでも、とても強い大切な親友。

「アリシヤ……?」

「間に合ってよかった」

 アリシヤはロセに微笑みかける。

「助けに来ましたよ。ロセさん」

 その心強さにロセの瞳から涙が落ちた。アリシヤは、目を見開き驚いているカクトゥスに視線を向ける。

「失礼」

 アリシヤの動きは速かった。剣を持ちながらも、カクトゥスのみぞおちに見事な蹴りを繰り出す。素早い動きに対応できず、カクトゥスはせき込みながら地面に膝をつく。

「テメェ……!」

 歪んだカクトゥスの顔。本性を露わにした獣のようだ。

 アリシヤが剣を構える。

「ロセさんには指一本触れさせません」

「チッ! お前ら、行け!」

 カクトゥスの声で動き出した男達。だが、彼らは後ろからドミノ倒しのように転げ始めた。

「うわぁぁぁ!」

 路地裏に男達の悲鳴が響く。

「一人の女を多勢で襲うなんて。お前らクズだな」

「本当にそうだよ」

 黒の髪と白の髪。

「ルーチェ様に勇者様……?」

 ロセは唖然とする。敵を踏みつけ、リベルタがロセに笑顔を向けた。

「全く、従兄のお兄ちゃんを頼れっての」

「こんなクズな従兄がいて災難だな、ロセ」

「助けに来たのに⁉」

 いつものリベルタとルーチェの掛け合い。慣れ親しんだ光景だが、ほっとする余裕もない。

 何が起こっているのか分からない。

 二人はしぶとく立ち上がる男達を鮮やかに再び薙ぎ倒していく。

「ロセ」

 後ろからの声に振り向く。ロセは目を見張る。

「クレデンテ様……? お兄様……?」

「ロセ。あなたは、また無茶をして」

 子供を叱るような口調のクレデンテ。

「ほんとだよ……。肝が冷えた」

 カルパに至っては泣きそうな顔をしている。ロセは未だに状況が把握できない。

「どうして皆……」

アリシヤからの攻撃から立ち直ったようだ。カクトゥスは立ち上がり、剣を手に喚く。

「なんだ⁉ なんなんだ、お前らは⁉ 邪魔をするな!」

 カクトゥスが振りかぶった剣をアリシヤははじく。

「邪魔だというのなら全力で邪魔しましょう。あなたをロセさんには近づけない」

「ロセは俺の婚約者なんだぞ⁉」

「婚約者?」

 アリシヤの声が暗い路地に低く響いた。アリシヤは剣の切っ先をカクトゥスに向ける。

「では、友達代表として言わせていただきましょう。あなたがロセさんを幸せにできるとは思えない。ロセさんの婚約者として失格です」

「煩い! 赤の悪魔がぁぁ‼」

 カクトゥスがアリシヤに斬りかかる。

「アリシヤ!」

 ロセは叫ぶ。アリシヤはカクトゥスの重い剣を受け止め、言った。

「流血沙汰はごめんです。なので、お願いします」

 アリシヤの声が合図だった。

「承知しました、アリシヤ様」

 鋭利な声がした。同時にルーチェとリベルタの間から素早く出てきた影。カクトゥスが振り返る前に、影は彼の首を狙い、一撃を決める。カクトゥスはあえなく気絶した。

 あまりにも鮮やかな手つき。並大抵の人間ではない。カクトゥスに意識がないことを油断なく確認するその人物。ロセは目を見張る。

「ラパ……?」

「は、はい」

 ロセが声をかけると、ラパの鋭い表情は一瞬のうちに消えてしまう。いつものおどおどしたラパだ。

 馬車の音が近づいてくる。まだ敵はいるのか。強張るロセにラパが寄り添う。

「大丈夫、味方です」

 弱くて頼りないラパのはずだ。なのに、傍にいるだけで不安が和らぐ。

「お待たせしました」

 聞きなれたその声。馬車を引き連れ、現れたのはタリスだった。倒れた男達とロセを見ると呆れたように言う。

「全く、こんな人数に囲まれてたのかよ。よっぽど恨み買ってたんだな」

 いつもの皮肉だが今はそれに返す言葉もない。馬車から兵達が出てきて、カクトゥスをはじめとする男達を収容していく。

 ロセは誰ともなしに尋ねる。

「どういうこと……?」

「そ、その、それは……」

 ラパがまごつく。そんなラパにリベルタがにやにやとした声で話しかける。

「なんだ、ラパ。別人みたいじゃないか。いつもの冷たく鋭いお前はどこへ行ったんだ?」

 冷たく鋭い? 誰が?

 戸惑うロセに、リベルタがにやりと笑いかける。

「ロセ、お前はこいつのこと、か弱いとでも思ってるんだろうが、ラパはなかなかに曲者だぜ?」

「は?」

「なんたってアウトリタ直属の暗殺者――」

 突如、リベルタが目を見開き、剣を構えた。カンッと刃がぶつかる音がする。リベルタが構えた剣に短刀が突きつけられている。あのラパが勇者であるリベルタに刀を向けている。

「あ、あっぶねぇ……」

「暗殺は範囲外です。くだらない嘘をつかないでください」

 ラパのきつい視線がリベルタを刺す。別人のように鋭い顔。ロセは目を白黒させる。

 ラパはため息をつき、ロセに向かい合うと、いつもの頼りない顔に戻る。

「その、か、隠していたわけではないのですが、僕はアウトリタ様の元で諜報員をしているのです……」

「諜報員?ラパが……?」

 ラパは頷く。彼がそんなことができるとは思えない。

「フラゴラに仕事を押し付けられるようなあなたが……?」

「そ、それは、フラゴラを、ゆ、油断させるための演技でして……。手伝っていただいたのに申し訳ありません」

 しょぼくれるラパ。

「僕は、その、ヴィータのことを調べていたので……。怪しいフラゴラを張っていたんです……」

 開いた口がふさがらないとはこのことである。ふっと頭に疑問が浮かぶ。

「じゃ、じゃあ……、私が見てきたラパは演技なの?」

 ヴィータのことを探っていると言った。いつからかは分からない。だが、ロセはヴィータの娘だ。フラゴラと同じく、近づいて情報を引き出すつもりだったのかもしれない。

 もし演技だったら――。

 それがラパの仕事なら責めるつもりはない。彼は立派に職務を果たしていたのだから。だけど、何故だか胸が痛い。

 ラパは答えづらそうにしている。目頭が熱くなってしまう。

「いや、演技じゃないだろ」

 答えはラパの後ろから聞こえた。リベルタが眉をひそめている。ルーチェも摩訶不思議そうな顔をしている。

「どうして否定しない。誤解が生まれるぞ」

「演技じゃないの……?」

 ロセが聞くと、ラパは顔を覆った。

「はい……。これが僕のありのままの姿です……。本当に、情けなくって……。お恥ずかしい限りです……」

「いや、お前、誰だよ。いつもと別人過ぎるだろ」

 リベルタが後ろでぼそりと零した。ラパはそれには何も答えず、鮮やかに無視し、ロセに頭を下げる。

「申し訳ありません」

「え……?」

「今日のことです」

 ラパの黒の目が、ロセを見つめる。

「きっと、ロセ様は誰も巻き込まず、全て自分で解決されようとしていたと思います」

「ええ……。そうね」

 ロセは頷く。ラパがばつが悪そうに続ける。

「手紙のことやロセ様の顔色、何かがおかしいと思い、少し強引な手を使って調べさせていただきました」

 ラパが懐から真っ二つに破れた手紙を取り出す。ロセは目を見開いた。

「今日、フラゴラがロセ様の机の上に置いていった手紙です……」

 これで謎が解けた。今日手紙が来てなかったのはラパが回収したからだ。それにしても――。

「どうして破れているの……?」

「すいません。あまりに卑猥極まる言葉の羅列で、怒りが抑えられなくなって……」

 ラパは俯きながら、手紙を握りつぶす。

 温厚なラパをそこまで怒りに駆り立てる手紙。読まなくてよかった。きっと、トラウマになるくらい気持ち悪かったのだろう。

 再び顔を上げたラパが続ける。

「そして、あなたが危険な目に遭うと分かって、いてもたってもいられなくなってしまい、日頃ロセ様と親しくされているアリシヤ様や勇者様に助けを求めたのです……」

 後ろでリベルタがさぞ愉快と言った風に笑う。

「ラパは人を頼らないのになぁ」

「勇者様だけには頼りたくなかったんですがね。見返りを求められるから」

「よく分かってるな!」

 そう言ってリベルタはラパの背を叩く。ラパは嫌そうな顔を見せる。ロセは気づく。ラパが見返りを求められる謂れはないはずだ。

「見返りなら、私が――」

「駄目です」

 ラパが鋭い声でロセの言葉を制す。

「今回動いたのは僕の勝手。ロセ様のご意向を無視しての行動です」

「でも……」

 そんな中、ぷくりと頬を膨らませたアリシヤと目が合う。

「そろそろいいですか……?」

 アリシヤの不機嫌そうな声。ラパが身を引き、アリシヤにロセの正面を譲る。アリシヤはロセの前に立ったかと思うと、痛いほど強い力で手を握ってきた。

「っ……⁉ なにするの⁉」

「ロセさんのバカ!」

 アリシヤの叫びにロセは面食らう。

「バーカバーカバーカ!」

「ちょっとどうしたの⁉」

「ロセさんは大バカ者です!」

 一息に叫んだアリシヤは息を荒げながら、ロセを見つめる。言葉に詰まった。アリシヤの目は涙で潤んでいた。

「どうして……」

 アリシヤが震える声で呟く。

「どうして頼ってくれなかったんですか……?」

 アリシヤの瞳から涙がこぼれた。

「友達を助けたいと思うのは当たり前って言ってくれたのに……どうして、私には助けさせてくれないんですか……?」

 そうだ。アリシヤを助けた時に確かにそう言った。

 力になりたかった。なんとしても助けたかった。確かに大変だった。だけど、迷惑ではなかった。それは自分のためだから。大好きなアリシヤを守りたかったから。

「ロセさんのバカ……」

そういって抱き着いてきたアリシヤ。ロセはたまらなくなる。もし、アリシヤが今のロセと同じ立場だったら、そして、助けを求めてくれなかったら。そんなの辛すぎる。

涙がこぼれないように顔を上げると、ルーチェと目が合った。

「心配するな。私は見返りなんていらんぞ。しいて言うならうまいもの」

 ルーチェが言う。今度美味しいケーキを持って行こう。

「見返りは冗談だ。従妹を助けたいと思うのは当然、ってなんで皆そんな胡散臭そうな目で見んの⁉」

 リベルタの叫び。まあ、当然だろう。

「俺は別に……。お前はアリシヤちゃんの友達だし、アリシヤちゃんが悲しむのは見たくないし……」

 タリスがぶつくさと呟く。未だに仲は悪いが、結局のところ正義感が強く、悪い男ではないと知っている。

「僕らは家族だ。遠慮なく言ってほしかったな」

 カルパの温かい言葉。とっても心配性で優しい兄。

「全くです。私だけでなく、家で待っているイリオスも随分心配していますよ」

 クレデンテ、イリオスまでもロセを思ってくれていたのだ。

 アリシヤが抱きつく手を緩め、拗ねたような目でロセを見つめる。

「見返りが欲しいです……」

「何かしら……?」

「今度から何かあったら必ず言ってください」

 アリシヤはそう言ってプイっとそっぽを向いてしまう。

 怒っているのだ。ロセが黙っていたから。だけど、もし、また同じ状況になった時に自分は素直に言えるだろうか? 言ってもいいのだろうか。まだ、迷いがある。

「ロセ様」

 ラパの声に視線を移す。ラパは大きく深呼吸すると、真剣な瞳でロセを見つめる。ドキリとする。いつものような怯えた小動物の目ではない。

 意識してだろう。ラパは一言一言、噛みしめるように話し始める。

「僕は幼い頃からあなたに憧れていました。いえ、今も憧れています」

 ロセは目を見開く。ずっと怖がられているものだとばかり思っていた。ラパは続ける。

「全て自身の力で解決されるお姿。それがとても格好良くて僕もそうなりたいと思い、努力しました」

 ラパが隠れて努力する姿を見て、ロセも自身を励ましたことは幾度もあった。その努力がロセに憧れてのものなんて、考えたこともなかった。

「僕は多くのことを一人で出来るようになった」

 諜報員。敵地に赴き、敵を、時に味方を欺き、情報収集を行う。それはきっと一人で物事をこなせる人間でないと成し得ないだろう。

 ラパが一呼吸置き、口を開く。

「ですが、この間、仕事をお手伝いいただいたことで気づいたのです」

「何を……?」

 問わずにはいられなかった。ラパは答える。

「僕は一人のつもりだった。だけど、あなたがいたのです」

 ロセは息を呑む。

「思えば昔からそうだった。僕が陰口を叩かれていた時、兄に理不尽な仕打ちを受けていた時、ロセ様はいつもその状況を打開してくださった」

「そんな。私はただ……」

 謂れのない噂やカクトゥスのラパへの罵り。直接、手を差し伸べることはできなかった。ただ、その場に現れて、話を中断させたり、気を逸らせたりするのが精いっぱいだった。

 本当はラパに声をかけたかった。だけど、素直じゃない自分がいつも邪魔をしていた。

「いえ、もっとできることはあったはず……。なのに、私は何もしなかったわ」

 後悔する。その場を濁したって、ロセが去った後も陰口はやまないし、カクトゥスはラパに怒号を上げていた。

 何が自分を止めていたのか分からない。いつも、分からないまま、その場を去っていた。

「ごめんさない……」

「いいえ」

 ラパは首を横に振る。

「僕は一人のつもりだった。だけど、いたんです。本当に辛くなったら、助けてくれる。そう思える人が」

 はにかんだラパ。

「ロセ様ならきっと助けてくれる。そう思ってしまったんです。それが、どれほど嬉しかったか」

 ラパの目にうっすら浮かんだ涙。その瞳にロセはふっと込み上げるものを感じる。

「ロセ様。僕もあなたのそういう存在であれたら嬉しい。頼ってください。音を上げてください」

 ラパがはっきりと澄んだ声で言い放つ。

「あなたは一人ではありません」

 奥歯を噛みしめる。だけど、こらえきれなかった。大粒の涙がその瞳から落ちる。それは、恐怖や悲しみからではない。

「いいの?」

 ロセは問う。

「私、助けてって言っていいの?」

「いいよ」

 皆の声が被った。同じ言葉を放ったことに驚いたのだろう。笑い声が上がる。

 ロセは声を上げて泣いた。泣きじゃくった。皆が優しくそれを受け入れてくれた。


   *


 次の日。誰もいない図書室でロセは帰り支度を整える。そこに小さく顔を覗かせる影が一つ。

「ラパ」

「ろ、ロセ様……その」

 ラパは相変わらずロセだけにはおどおどしているようだ。ラパがきゅっと目を閉じ、目いっぱいといった風に言葉を紡ぐ。

「し、しばらくお家まで送らせてください……!」

 あまりにも必死な様子。この前の鋭さからは想像できない。少しおかしくて、ロセは小さく笑って答える。

「お願いするわ」

「え、あ! は、はい! ありがとうございます!」

「どうしてあなたが礼を言うの? 礼を言うのは私でしょう」

「えっと、た、確かに」

 ロセはふと気づく。わたわたと焦るラパ。その顔は真っ赤ではないか。これはもしかして――。

「ろ、ロセ様?」

「な、何かしら?」

「顔が真っ赤ですけど……」

「あ、あなただってそうじゃない!」

「いえ、違っ⁉」

「もう! さっさと帰るわよ!」

 ロセはずんずんと前を行く。どうして、今まで気づかなかったのだろう。いや、気付かなかった方がよかったかもしれない。だって、恥ずかしくって、ラパの顔を見ることもできない。

 二人でわたわたわたわた。

 それでも、それは悪くない時間だった。


   *


 幼いころから勇者になるために日々励んできた。勉学、剣術、勇者としての心構え。

 ヴィータの言葉が今でも染みついている。

 全てを自身で完結させろ。問題は一人で解決するのが当然。助けを求める。それは弱者の発想だ。

 誰にも頼るな。全て、一人でこなすのだ。


 今だって確かにそう思う。だけど、気付いた。

 己は弱者だ。

 己だけではない。誰も完璧な強さなど持ちあわせない。誰も一人で全てを解決することなどできない。


 そう、だから、人は人と出会い、絆を結ぶのだ。


 強さを求める自分と別れを告げるのは寂しい。それでも、前に進むもう。


 さよなら、ひとりぼっち。


***

ロセ(rose)…イタリア語のバラ『rosa』だったはずだが、なぜかロセになっていた。

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