終焉の紡ぎ手:外伝

針間有年

タリスと彼女の恋愛事情

「へぇ」

「俺は男として意識されていないのでしょうか?」

「……。なあ、タリス」

「はい」

「何で俺に相談すんの?」

 仕事終わり、城の中庭のベンチ。タリスとリベルタは並んで座っていた。リベルタは本当に興味がないようで、先ほどからテキトーな相槌を打つ。

「お願いします、勇者様! あなたしか頼れないんです!」

「いや、他にいっぱいいるだろう」

「俺が男からどれだけ嫌われてるか知ってるでしょう⁉」

 タリスはアリシヤと出会うまでは散々女性と関係を持っていた。そのせいで城の男性陣からことごとく嫌われている。

「だからといって、なんで俺?」

「確かに好きな人に声をかけては、罵倒されてる人に相談するのもどうかと思いますが!」

「喧嘩売りに来たのか?」

 リベルタの声に、やや怒気がこもる。

 リベルタはルーチェが好きだ。いつも、かまいに行く。そして、罵声で返される。タリスはいつもそれを見ている。

 だが、どうしても誰かに相談に乗ってほしい。タリスは身を乗り出して、必死にリベルタに詰め寄る。

「勇者様だって女性経験は少なくないでしょ!」

「お前よりかは確実にないわ」

「それはそうかもしれませんが」

 ベンチにだらりと座っていたリベルタがタリスの方に顔を向ける。

「お前、本当にアリシヤさんのこと好きなのか?」

「え」

「だって、お前の好みと全くもって違うじゃないか」

 確かにそうだ。今までタリスが付き合ってきたのは、スタイルのいい大人の女性ばかり。

 リベルタが鼻で笑うように言う。

「巨乳が好きなんじゃねぇの?」

「いや、勇者様に言われたくないですよ」

 タリスは抗議する。

 今までのリベルタの付き合ってきた女性を思い出す。胸が大きく、背は高め。黒髪、金目のクールな美女――。

 タリスはぞっとした。

「ま、待ってください……。勇者様の今まで付き合った人って、皆ルーチェさんに似て――」

「待て待て、そんなわけ……そんなわけ……?」

 そこで、リベルタの言葉が止まった。その体に緊張が走っているのが分かる。タリスはごくりと息を呑む。

 もしや、無自覚だったのか?

 一瞬の沈黙ののち、リベルタはぼそりと呟いた。

「え、俺、ここまで気持ち悪かったのか……?」

 リベルタの頬に冷や汗が伝っている。

 無自覚だったらしい。

 リベルタが話を逸らすように、にこりと作り笑いを見せる。

「まあ、お前がアリシヤさんを好きだとしよう。だけど、アリシヤさんはどうなんだ?」

「それが分からないから相談してるんですよ」

「あー……。そんな話だったな」

 リベルタが腕を組む。そして、首を傾けた。何かを考えているらしい。そして、閃いたのか、ふっとタリスを見据えると、にやあと嫌な笑みを見せた。

「ゆ、勇者様?」

 最近、たびたび見るようになったその顔。こんな時はだいたいろくなことがない。とても嫌な予感がする。

 リベルタの蒼い目が楽しそうに弧を描く。

「なあ、タリス。知ってるか?」

「へ?」

「人間は不安や恐怖を覚える出来事を共にすると、恋愛に似た感情を覚えるそうだ」

「へ?」

「アリシヤさんがもし、お前のことを好きだとしても、それは恐怖から来た感情。そんな錯覚、すぐに解けちまうんじゃないか?」

 それに、とリベルタは続ける。

「お前の好意、それも本物か?」

「え」

「本当にアリシヤさんが好きなのか? それとも、同じ恐怖を味わった、ただの仲間意識なんじゃねぇの?」

 タリスは黙ってしまった。

 アリシヤと共に、真実を知る恐怖を味わった。裏切られる痛みを知った。それがあったからアリシヤが好きになったかの?いや――。

「それでもかまわない」

「は?」

「俺がアリシヤちゃんを好きなことに変わりありません」

 同じ困難を共にしたからこそ絆が深まったことは確かだ。でも、それでいいじゃないか。

 タリスはまっすぐと言う。リベルタは嫌そうな顔をし、深いため息をついた。

「つまんねぇの。ちょっとは揺らげよ。嫌がらせの甲斐ねぇな」

 勇者とは思えない発言だ。

 今までリベルタと軽口をたたくことはあっても、こんなことは言われたことがない。相談には真面目に乗ってくれたし、笑顔で前向きに励ましてくれた。

 つまり――。

「勇者様、今の勇者でなく素の発言ですよね?」

「あ?そうだよ」

 リベルタが怪訝な目でタリスを横目に見る。タリスの頬が緩んだ。

「なんだか嬉しいですね」

「何が?」

 心底、訳が分からないといった顔のリベルタに、タリスは笑いかける。

「だって、これが嘘偽りのないあなたなんでしょう?」

 そう言うとリベルタが目を見開いた。そして、苦笑する。

「お前バカだな」

「バカとはひどい」

「いや、ほんとバカだよ」

 そう言いながらもリベルタの顔は笑っていた。

 リベルタが伸びをする。

「面倒な奴だな。もう告白して来いよ」

「う」

「いつも手、早いくせになんだ?本命だとヘタレになるのか?」

「わ、わかりません」

「今まで本命はいなかったってことか。お前も割とクズだな……」

 リベルタが呻き、タリスから目を背けた。そして、ふと、動きを止める。

「勇者様?」

 リベルタがタリスに顔を向ける。背筋を正し、息を整える。タリスを見るその目は真剣そのものだ。

「仕方ない。真面目に相談乗ってやるよ」

「え! ありがとうございます!」

 やっぱりリベルタはリベルタなのだ。ちゃんと相談に乗ってくれる。嬉しい。

 タリスは期待を込めて、リベルタを見る。

「まず」 

 リベルタは一つ咳払いをした。そして、タリスを見つめる。

「アリシヤさんをどうこうする前に、お前は女癖を直せ」

「う」

 タリスは言葉に詰まった。リベルタが右手の人差し指を立てる。

「一つ目。お前は手が早すぎる」

 否定できない。二本目の指。お前の罪を数えてやろう、ということらしい。 

「それから、すぐに目移りする」 

 反論の余地がない。

 三本目。

「浮気なんてしょっちゅう。二股どころの話じゃ無かったろ」

 言葉も出なかった。

 それからも、リベルタはタリスの過去の罪を並べ立てて行く。両手で数えきれないほどだ。しかしながら、どれも本当のことだから口をはさめない。

「これくらいか?」

 リベルタの指が止まった。数え終わったようだ。リベルタの手を見て、タリスはうなだれる。

 あまりにも数が多すぎる。

 頭を抱えながら、タリスは言う。

「お願いですから、アリシヤちゃんには、このこと言わないでくださいね」

「ああ、分かった。まあ、でも、言ってしまったもんは仕方ないよな」

 声が弾んでいる。そして、含みのある言葉。不審に思い、顔を上げると、リベルタは意地の悪い笑顔を見せた。

「タリス、右手側、見てみろよ」

 促されるまま、そちらに目を向けた。そこには小柄な影。少し伸びた赤い髪が、夕日を受けて輝いている。

 というか、あれは――。

「アリシヤちゃん⁉」

 アリシヤが脱兎のごとく走り出した。リベルタを振り返る。

「知ってたんですか⁉」

「そりゃ勿論!」

 リベルタは腹を抱えて笑っている。隠しもせずケタケタと声を上げながら、笑いで涙の浮かんだ目をタリスに向ける。

「むしろ、知ってたから言ったんだよ!」

「はい⁉」

「いやぁ、アリシヤさんに全部知られちまったな!」

 とても楽しそうだ。

「何でこんなことを⁉」

「嫌がらせに決まってんだろ!」

 リベルタは爆笑しながら言い放った。

 こいつ、心から楽しんでやがる。最低だ。なんて最低なんだ。

 だが、今はアリシヤだ。タリスは駆け出す。

「あはは! 頑張れよ!」

 後ろからリベルタの心のこもっていない声援が聞こえる。

「ちくしょおおお!」

 タリスは叫びながら、懸命にアリシヤの後を追った。


   *


 見つからない。タリスは顔を覆った。

 さすがにあれを聞かれたら、恋愛感情どころか、人間性を疑われてしまうだろう。

 リベルタのせいとは言え、自分がやってきたことで間違いはない。リベルタを責めるのは見当違いだ。

 図書室に顔を出し、訓練場を見た。でも、いない。思い当たる場所がない。アリシヤが走って行ったのは、城の中の方だったが、もう外に出たのかもしれない。

 タリスは中庭からとぼとぼと城内に戻る。そして、荷物をまとめ、再会するとまた爆笑し始めたリベルタと別れ、帰路につく。

 日が落ち始めている。

 アリシヤと出会った日のことを思い出す。

 春の夜だった。傾いた馬車から落ちてきた少女。枷をされながらも必死に逃げようとしていた。一目見て息を呑んだ。彼女は赤い髪をしていたからだ。

 憎むべき魔王の赤色。やはり、それが頭をよぎった。

 目隠しを外した。そして、その瞳に目を奪われた。魔王の色のはずなのに、何故だか、とても美しいと思ったんだ。

 動揺した。だから、取り繕うように、にっこりと笑ったのだ。

「ああ、綺麗な赤だね。瞳も美しい」

 自分にしては中々に上手く隠せたと思う。

 彼女のまっすぐで強い赤の瞳。憎む気にはなれなかった。

 大切な人を失った彼女。その目は悲しみに濡れていた。いつか、セレーノに見たものと同じだった。自分が守ってあげないと。それは義務感だった。ただ、それだけだった。

 いや、本当にそうだったのだろうか?

 我が家・オルキデアの前で立ち止まる。今はまだ営業時間だ。なのに、にぎわっている様子はない。だけど、明かりはついている。

 不審に思いながら、タリスは扉を開ける。

「ただいま」

「おかえりなさい」

 アリシヤが微笑んだ。タリスは目を見開く。

 ルーチェと再会した今、アリシヤは彼女と別の家に住んでいる。正直、寂しかった。

 アリシヤにただいまと言ってもらえるのは何か月ぶりだろう。胸が温かくなった。 

 そんな些細な喜びが、アリシヤへの思いを再確認させる。

 タリスは店内をぐるりと見渡す。アリシヤ以外誰もいない。

「姉さんは?」

「セレーノさんは、ロセさんとルーチェとお食事です」

「珍しい」

 アリシヤがこくりと頷く。セレーノが店を休んで出かけるのはめったにないことだ。そして、もう一つ分からない事。

「どうして、アリシヤちゃんがここに?」

「そ、それなんですが……。まず、はじめに」

 アリシヤが頭を下げた。

「ごめんなさい」

「え」

「さっきは盗み聞きをしてしまって……」

 アリシヤがしょんぼりと首を垂れる。

「そんなつもりはなかったんです。タリスさんの女癖がいかに悪かろうと、それはタリスさんの自由です。私には関係ないし、どうでもいいのに」

「う、うん。そうだね」

 どうでもいいという言葉にいささかショックを受けながらもタリスは相槌を打つ。

「でも――」

 アリシヤが胸を押さえる。

「聞きたくないのに足が止まってしまったんです。それに、心臓が痛くて」

 アリシヤが胸を押さえる。

「最近おかしいんです。タリスさんを思うと胸が、内臓が痛いんです。さっきは今までの中で一番痛くて、怖いくらいでした」

 驚きに思わず息を呑んだ。

「ルーチェに訊いたら、胃腸が悪いんじゃないかって心配されて、ロセさんに訊いたら、それは体の不調だからタリスさんには近づかない方がいいって言われて……」

 駄目だ。アリシヤの周りは本当に使えない。

 タリスに戦慄が走る。

 ここまで使えないとは。

 アリシヤがきゅっと目を閉じる。

「でもなんだか納得いかなくて、セレーノさんに相談したら、タリスさんに直接聞きなさいって……。でも、それは二人きりの時じゃないと駄目らしくて」

 アリシヤが目を開き、不安そうにタリスを見つめた。

「タリスさん、私は内臓が悪いのでしょうか……?」

 真剣な瞳。そう、彼女は本当に体が悪いと思って心配しているのだ。分かっている。分かっているのだが――。

 思わず吹き出した。

「な、なんですか⁉ 真剣に訊いてるんですよ⁉」

「う、うん……!でも」

「とりあえず、病気ではないんですよね⁉」

 必死になったアリシヤがタリスの手を握る。アリシヤの顔が焦りからか、なんなのか赤く染まる。

「ほら、心拍数がすごく上がってます!やっぱり、どこか――」

「どこも悪くないよ。とりあえず落ち着いて」

 タリスはアリシヤの手に掌をかぶせる。アリシヤが息を呑むのが分かる。

「た、タリスさん……?」

「アリシヤちゃん。それはね、恋だよ」

「こい……?」

「そう」

「どうして、魚が今……?」

 いや、鯉ではない。でもそれすら、可愛らしく思えてしまって、タリスはアリシヤを軽く抱きしめる。アリシヤがわなわなと震える。

「ほ、本当にどうしたんですか…? あと、私はどうしたら、この病気を治せますか?」

「そうだなぁ」

 タリスは顔を上げてアリシヤを見つめる。

「その病気、一生治らなければいいな」

「え⁉ 不治の病⁉」

 アリシヤがぎょっとした。タリスは笑う。

「その病気の意味、いつか分かってくれると嬉しいな」

「意味……?」

「そう」

 アリシヤの赤い瞳。

 まっすぐで強くて。時に悲しみに染まることもあった。怒りに、悔しさに、恐怖に、その目が支配されることもあった。だけど、それでも、彼女は彼女を取り戻した。

「アリシヤちゃん、好きだよ」

 今更ながらに気づく。一目ぼれだったんだ。強くてまっすぐな彼女の内面を映したその美しい瞳に。そして、時を重ねた。様々な経験をした。苦しみも幸せも共に味わった。その中で、彼女を知った。

 そして、心から彼女のことが好きになってしまったのだ。

「大好きなんだ。ずっと、君の傍にいてもいいかな?」

 アリシヤが息を呑んだ。

「タリスさん、私、今、とても心臓がきゅっとします。なのに、とても嬉しいんです。本当にこれは何なのでしょう……?」

 戸惑うアリシヤをタリスは抱きしめた。

「それはね、幸せっていうんだよ!」


   *


「母さん、鈍すぎじゃない?」

 十歳になった長男のヴェントが呆れたように言う。

「まあ、あの頃のアリシヤは恋心を全く分かってなかったからなぁ」

「今のママからは考えられないね」

「ママ、パパのこと大好きだもんね」

 双子の娘たち、フィオーレとフォイアが口を揃えて言う。と、家の扉が開いた。

「お母さん、お帰り!」

 フィオーレとフォイアがアリシヤに抱き着く。

「ただいま。二人とも。ヴェント、タリスさんも」

「お帰り」

「ねえ、タリスさん」

 アリシヤは小さく俯く。上目遣い。可愛い。

「お帰りのキスは……?」

「え、ちょ⁉」

 顔に血が上る。子供たちがキャッキャと騒ぐ。アリシヤが小さく笑う。

「嘘ですよ」

「だ、だよね」

 ほっと息をついた。子供たちの前ではさすがに恥ずかしい。アリシヤがちょっぴり拗ねた顔を見せる。

「……もう、意気地なし」

 小さく呟いたのが聞こえた。買い物袋をテーブルに置くとアリシヤは子供たちに声をかける。

「お買い物してきたから荷物の整理の手伝ってくれる?」

「はーい!」

 三人の子供がわらわらとテーブルに向かう。

 アリシヤはそこから半歩下がるとタリスを手招きした。首をかしげて、アリシヤの方に向かうと、彼女がふっと背伸びをした。軽く唇が触れる。顔に血が上った。

 アリシヤはそれを見て、いたずらっぽく笑うと、子供たちの方に向かった。タリスは唇に触れ、苦笑する。

 実を言うと、恋心を知ったアリシヤはなかなかに大胆で、あの頃からタリスは振り回されっぱなしである。

 子供たちを見つめるアリシヤ。その目はあの日と変わらない。強くて、まっすぐで、そして、今は幸せの光に満ちている。

 その光は自分の存在と無関係ではないと、自惚れて構わないだろうか?

 アリシヤはタリスの視線に気づくと振り返り、笑った。

 その瞳はどこまでも綺麗で、やっぱり今日も君に恋をしているのだ。


***

タリス(talis)…イタリア語の『守護』、talismanoから。たぶん。

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