第39話

 ゴッ。

 空を切るには似合わぬ音がそこに響く。

 それが拳から生み出されるなど、到底常人ならば考えが及ばぬ夢物語。

 だけれど、冒険者である彼らはそれが真実なことを知っている。


 勿論、彼らよりも格段に上の冒険者たちならば彼らもまたそれを成せるであろうという事実と、そして今、人間ではないけれどそれを成している現実を目の当たりにしての話だ。

 同じクラスの冒険者なら笑う者と笑わぬ者とにわかれて、そしてそこから今後の付き合いを考える基準にすらなりそうな話であるが、だが今彼らにそれをネタに笑う余裕はなかった。

 空圧が、放たれる殺気が、巨躯から溢れるというよりもまるで奔流であるかのように襲い来るのだ。がくがくと膝が笑うのを叱咤して、彼らは一挙手一投足を見逃すまいと油断すれば目を閉じそうになるそれを無理にでも開いて、そこに立ち向かう小柄な友の姿を見失うまいと必死だった。


「ゴブリンさん……!!」


 女神官が祈りにも似た、悲痛な声を上げる。

 紙一重でかわしたオーガの一撃は、触れることもなかったはずなのにゴブリンさんの肌を切り裂いてその体液を宙に撒く。


「グゥ……」


 それでも見事な着地をしてみせたゴブリンさんは、うなだれることも降参することもなくオーガを下から睨み上げる。

 実力差も種族による劣勢も、彼を絶望させるに至らない。

 真っ向からオーガを、それもダンジョンのラスボスを務める手練れの強者ツワモノを前に挑む背中に、冒険者たちの応援にも力が入るというものだった。


 とはいえ、忘れてはならない。

 彼がしているのは、告白の前段階イベントに過ぎない。

 そう! これが山場ではないのだ!


 ……多分大丈夫だと思うけれどもここを乗り越えた後に、まさかのオーガ娘ちゃんから「ごめんなさい」が出る可能性だってゼロではないのだ。

 それを考えれば今ライフを削るのは得策ではないし、格好をつけている場合ではないし、何だったらどんな手を使ってでもいいからオーガの親父さんに折れてもらうのが一番なのだが熱く盛り上がってしまった本人たちと、それに感化された冒険者たちは気づかない。


 そして見切れているが、そのオーガ娘ちゃんも実はこっそりいるのだということに誰も気づかない。そりゃこんな騒ぎになっていれば誰だって気づくっていう話なのだが。

 なにせ彼女からしたら自宅の玄関先でなんとなくいい雰囲気になりつつある男の人(モンスター?)と父親が、死合しあっているのだから状況が掴めなくてオロオロして顛末てんまつを見守ることにしたのだろうことは想像に難くない。


「いけっ、ゴブリンさんそこだ!」


「ああーだめだめそんな突進したらヤバいってぇぇ!!」


 割と外野の冒険者たちはオーガ父が放つラスボス特有の威圧にもあっさりと慣れて声援を飛ばしているのがなんとも言えない光景だ。

 怯えるジャイアントアントが土の中からこそこそ地上の様子を覗いている方が本来正しい姿であり、そういう意味では彼らはここ最近の一連の事件ですっかり肝が据わってしまったのかもしれなかった。

 それを指摘してくれる人が誰もいないというのが難点であった。

 ただ、指摘されたからといって彼らが今の状況から抜け出したいかと問われると、そこはきっと気にしないという返答になるのだろう。


「あっ! あっ! いい感じ!」


「いまです、そうです、隙をついてぇぇ!!」


「っああー! 惜しい!!」


 若干応援の熱の入りようがうるさいのが玉に瑕ではあるが、彼らは彼らで真剣に応援しているので許してあげてほしい。これも異種族間で育んだ友情ゆえなのだ。

 いつの間にかユニコーンとかカマドウマパイセンとか飛び回ってるタマムシがいて、お前らいつ来た? って突っ込みたいところであるが、今日は誰も突っ込まない。


 なぜなら貴重なツッコミ役を担う男戦士が応援で頭がいっぱいであるからだ。

 彼だけではない。

 このダンジョン入り口で繰り広げられる緊迫感あるバトルに、森のモンスターたちも熱狂したのである!


 わぁわぁと声援がどちらにも寄せられる。

 満身創痍になりながらも屈しないゴブリンさんに、オーガ父も油断することなく構えながら笑みを浮かべている。

 今まで拳のみを使っていたオーガ父が、背中に手を回して巨大な戦斧を構えた。

 巨躯から生じる強大なパワーを誇るオーガ種族をして両手で持たねばならぬその戦斧の威力たるや、想像するだけで恐ろしい。


「ぐおおおおおおぉぉ……!」


「……グギ、ギ、……ギャギャ!」


 オーガ父が低く、語り掛けるような咆哮をあげ、ゴブリンさんが剣を構えなおす。

 そんな二人のやりとりに、周囲は黙り込み、固唾を飲んで見守っていた。

 翻訳するならばこうだろうか。


『お前の本気はよくわかった、こちらもそれ相応の本気で応じよう!』


『……望む、ところだ、……オデは勝つ!』


 巨大な戦斧が迫りくる!

 ゴブリンさんは巨大な威力を誇るその戦斧に対し、素早さで対応を試みた。

 オーガのその武器と攻撃は威力こそ抜群であるが、行動がどうしても大ぶりである以上、ゴブリンさんからすればそこを突くしかない。

 持ち前の小柄な体を前屈姿勢にし、とにかく素早さを武器に回り込み――だが、そんな考えは当然あちらも読んでいた。むしろわからない方がおかしいのだろう、オーガ父は百戦錬磨の強者であり、戦士としても男としてもゴブリンさんよりも遥か高みにいるのだから。


 ゴブリンさんだってわかっているのだ。

 埋められない経験の差、越えられない種族としての特徴。

 それらがすべて、すべて、何一つとして及ばないのだと知っている。


 それでも彼は、諦めない。


「ぐ、ぎゃ……!」


 若者は、恋した気持ちを諦めない。

 それをわずかでも伝え、前に進むために。


 だがそれを圧倒的な力が、捩じ伏せる。

 隙間を縫うことも許さず、ただただ圧倒的な暴力が、ありとあらゆる希望を捩じ伏せ、完膚なきまでに叩きのめすのだ。


「ぐるおおおお……」


「ぎゃ……ぎゃっ……ぐ、げー……」


「ぉぉ……」


 どしゃりと音を立てて地に伏したゴブリンさんに、強者が静かに語り掛ける。

 だがその声にもゴブリンさんは首を左右に振って、応じない。

 恐らく負けを認めろといったような言葉が投げかけられたのだろう。オーガ父とて戦闘狂ではあっても非情な男ではないのだ。


 家族を持つ父親であり、また友を想う心を持つ男でもあるのだ。


 だが、そんな彼だからこそこの意地っ張りな青年(?)の気持ちも良く理解できるのだろう。呆れたようにため息を一つだけつくとキッと厳しい表情を見せて戦斧を振り上げる。

 もう避ける力もないゴブリンさんに、冒険者たちが傍観者を止めて駆け寄ろうとするが、それでもきっと間に合わない。

 小さなホブゴブリンが、ぎゅっと衝撃に向けて目を強く瞑った。


 その時だった。


 ギャリィィィィイィイイ……ン!!


 激しい金属同士のぶつかり合う音に、誰もが動きを止める。

 そう、オーガ父の戦斧を受け止める程の実力者、それは確かにこの場にいたのだ。


 彼の血を引く、ゴブリンさんにとってのカワイイあの子……オーガ娘、その人であった。


「オオオオオオオオオ!!」


 野太い咆哮と共にはちきれんばかりに上腕二頭筋が膨れ上がり、受け止めた戦斧を巨大な剣が押し返す。

 そして彼女は父親を睨むでもなく――血まみれで地に伏せるゴブリンさんを、庇うように膝をついたのだった。

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