賢人の思い出 編
第25話
――某月某日
師より日記をつけることを勧められる。
その日に何を思い、感じ、そしてそこから何を学んだのか。
己が何者であり、己が進むべき道を過たぬように。いつかそれを見直せるように。
だが、わたしはわたしをすでに偽り続けている。それが正しい道であるとどうかのちのちにこの日記を笑って読み返せるようになれたらと思う。
――某月某日
世界は闇に包まれている。だがこれは永遠ではないという。
魔王がどこで生まれ何の目的で我々に対し攻撃的かつ破壊的な行動をとるのかは不明であるが、賢人の弟子として人々の手助けができたらと思う。
王城ではどのように対処をするのか未だ混迷を極め、師は王の呼び出しに応じ未だ戻ってこない。
――某月某日
王城から使いが来た。師が、倒れたという。そして手紙を託された。
怖くて見れない。
――某月某日
師の手紙は、わたしに対する優しさに満ちていた。
先に逝くと記されたそれは、悲しかった。
王城から再び使いが来た。わたしに、師の代わりと務めろと。
このような若輩者に、臆病者に、何ができるというのか。
だけれども、王からの呼び出しを拒否することは許されまい。この国の民として。
――某月某日
戦況は、苦しい。
わたしも、人々を助けるには知識だけではだめなのだ。体を鍛えよう。
戦う事は怖いから、せめて多くの支援物資を運ぶのに役立てるように。
誰かを瓦礫の下から救い出せるように。
後悔を、しないでいいように。
「……え、なにこれ重くね?」
「そりゃ日記だし、どうやら大賢者と呼ばれるよりも前の頃の話みてぇだなあ」
ぱらりぱらりと読み始めた冒険者たちの前にある少しばかりくたびれた日記帳に記されるのは、短く、そして正直な気持ちを書き綴った日記だ。
マッチョで心が乙女だというモンスターたちの証言と人間側に伝わる大賢者の伝説、どちらにも似合わない繊細な心に冒険者たちは首をひねる。
ゴブリンさんは強請るようにしてもらった茶菓子を食べながら、冒険者たちの様子を見ているだけだ。
「まあ、読み進めるしかないんじゃない?」
「そうだな……」
日記を飛ばし飛ばしみるものの、どうやら賢人の弟子であった後の大賢者は魔王の攻勢に師を失い、代理として招かれ苦境の中で常に悩んでいたようだった。
日々襲い来る絶望、人々からの助けて欲しいと願う声、自分にはそんな力はないのにと無力に苛まれる中で努力を続けるものの周囲は期待をかけるばかりでそれに応えられない彼を罵倒する者までいたらしい。
それでも、大賢者は常にそれらを否定せず、受け入れていた。
馬鹿みたいに優しい人なんだなあと誰かが呟いたが、それを誰も否定できなかった。
「……大賢者。誰の話モよく聞イテ、よく笑ウ人だっタって聞イタ。リッチのジジイから」
「そ、っか。そうかぁ、この日記見てると暗いけどな」
「笑う、増エタ。勇者、来たかラ。皆、勇者、敵倒ス、だから大賢者笑ウ、思ってタ。それハ違う。大賢者、勇者、友達。友達に、わかってモラえたこと、心、楽になル。大事」
「……」
――某月某日
王が、異世界からの勇者召喚という古書を見つけたという。
おそらくそれは建前で、きっと前からあったに違いない。自分の国だけで魔王と抗したかったに違いない。
異世界の民を巻き込まずにいれたなら、その方がいいに決まっている。
だって、わたしもその書を見た。
だって、わたししかその書を紐解けないなんて。古代文字くらい、教えるのに。
いいや違う。
帰せない異世界召喚に、責任を全てわたしにとらせるためだろう。
なんてことだろう。わたしは一体どこの誰の人生を、この混迷たる世界に投じさせようというのか。
――某月某日
勇者となる青年は、まだ幼さが残る少年だった。
彼は説明を受けると、「異世界きたこれ!」と叫んでいた。きたこれとはなんだろう?
帰す方法を知らないと伝えられなかった。
彼は、この世界を冒険物語と勘違いしているかのように目をキラキラさせていたから。
きっと絶望を覚えるに違いない。人々がケガや病に苦しみ、助けを求める姿が蔓延する世界を見たら。
なんと罪深い事をわたしはしているのだろう。
師よ、これが知恵を追い求めた罪なのですか。
「暗い」
「本当……そんなに絶望的状況ってやつだったの?」
「当時の歴史書によれば、魔王の攻勢は激しくて人々が疲弊しきった時に勇者が神の導きにより召喚され、王はそれに感謝して勇者に助けを求め
ゴブリンさんは答えない。
もっちゃもっちゃと食べているのはどうやら餅のようだった。若干喉に詰まらせそうで怖い。
「続きを読むぞ。――ゴブリンさん、おれらの分もモチ残しておけよ!?」
「忘レなカッたラ!」
――某月某日
勇者はオウガと呼んで欲しいとわたしに言ってきた。
本名は違うのだそうだ。でも教えてはくれなかった。もしかすると、彼は真名を盗まれることを気にしているのだろうか?
無理矢理こんな世界に招いた人々を疑ってかかっていたのだとしても、わたしは仕方ないと思ってしまう。
「……この段階で思うんだけどよ、大賢者さまって相当真面目でお人よしだよな」
「そう思う」
「まあ、伝説でも『大賢者の徳は留まることを知らず、時の大僧正など目ではないと庶民に愛されていた。あの方こそ神の代理人に違いないと囁く声まであり、教会は権威が彼の人物に脅かされるのではないかと常々戦々恐々としていたのだ』とありましたから」
そっと赤らんだ手が皿に伸ばされる。
それから皿を逃がすように、男戦士が皿を持ち上げれば「チッ」という舌打ちが聞こえたが冒険者たちはあえて聞こえないふりをした。
暇だからってお茶菓子を全て食べてしまおうとするのはいただけない。
ゴブリンさん、人格者だとばかり思ったがやんちゃ坊主な一面もあるのだ。
いやただお腹が空いているだけかもしれないけれども。
――某月某日
勇者に、わたしはわたしを偽っているんじゃないのかと問われた。
どきりとした。
「お?」
――某月某日
わたしは、わたしを偽らなくても良いのだとオウガが言ってくれて、心が軽くなった。
わたしは、わたしの体は男だけれど。心は女なのだと打ち明けても、彼は嘲笑うのではなく笑って受け入れてくれた。
友達だと言ってくれた。
ああ、幸せだ。
オウガが来てから世界に光が増え始めて、これが勇者なんだと思い知らされた。
でも、彼は幸せなのかしら。だって、帰れないんだもの。
「……こっから文字がえらく丸っこくなってきたぞ……?」
雲行きが怪しくなった。
そう暗に伝える男戦士に、冒険者たちは顔を見合わせる。
いわゆる、丸文字というやつだ。
可愛らしくハートマークや音符マークなどが使われるようになっていきなり女児の日記を覗いているかのような背徳感を味わうのだが、彼らが悪いわけではない。
しれっと茶を飲んでいるエンシェントドラゴンが、「そうそう」と呟くように声を発した。
「途中から、大賢者の本性が出て読み辛くなるからその辺りから読むといいぞ」
「そういうことは早く言ってくれた方がありがたいんだがな!?」
「人間、諦め、肝心! 勇者、言っテたゾ?」
「そういう使い方をする言葉じゃねえよ、多分」
だが、文句を言っても始まらない。
ここからはゴブリンさんも巻き込もうと人間の字の勉強になるからと彼に音読を頼んだ冒険者たちに、ゴブリンさんは眉根を寄せた。
ものすごく不気味な顔になった。
それでも冒険者たちも笑顔を張り付けてぐっと日記帳を押しやる。
ゴブリンさんはそれを受け取って、エンシェントドラゴンの方を見た。
「読む、スル。別のやつ、呼ぶ。頼んダ」
「仕方あるまい」
ゴブリンさんの願いがストレートに叶うことは、なんだかとても珍しい光景だったと後に冒険者たちは語ったのだった。
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