第20話 気安く名前を呼ばないで

「お、俺はただ……!」


 エッカルト様は一斉に向けられた視線に体を震わせて、はくはくとまるで陸に打ち上げられた魚のよう。

 ちょっとだけ哀れに思えたけど、でもそれって自業自得なの。


(そりゃね、交流がおざなりだったのは否めないわ)


 でも私だって淑女として、次期当主として必要以上に気負っていたのよ。

 お母様は病に倒れ、お父様は頼りにならない。

 しかも母が死んでたった半年で愛人とその娘を連れてこられる始末。


 婚約者と言えば寄り添ってくれるでもなく、こちらから招けば応じるものの気を利かせて何かをしてくれるってわけでもなし。

 せめて私の夫となるのだと自覚をもって領地に興味を持ってくれるだとか、私個人に対して言葉を重ねるとか、やりようはいくらでもあったけど……しなかったのは、その選択を選ばなかったのは、エッカルト様なのだ。


「ただ、なんですの」


「婿だからと侮られてはならないと……女は男の後ろに付き従うものだと、そう……そうでしょう、ミヒャエル様!!」


「えっ? 俺?」


 突然エッカルト様に言われて驚いたのは、カイバン公爵様の次男にしてお父様の上司に当たるミヒャエル様。

 ええ、この方が元凶と言えなくもないけれど……いえ、この方はただ『娘の婿を探している』と父に相談されたから自分の知り合いにちょうどいい年齢のがいると思っただけなのよね。


 ミヒャエル様は剣の腕が達者な方で、それ故に爵位を持ちつつも騎士としての生活を優先しているとのことですが……その見目麗しさもあって女性たちに大人気だということは私も耳にしております。

 ライル様とは違ってがっしりした体つきとは言えませんが、少なくともエッカルト様よりはしっかりとした筋肉がついた体つきですので噂は概ね合っているのでしょう。


 そんなミヒャエル様はエッカルト様の言葉に目を瞬かせていましたが、縋るようなエッカルト様に加えて私たちからの視線に少し考えるような素振りを見せてポンッと手を叩きました。


「あれか? もしかして俺が以前、妻に迎えるなら控えめで夫を立てるような女性がいいって言ったやつか?」


「そうです! 生意気ならガツンと言って引かぬ態度を見せるべきだと……女の機嫌を取るばかりじゃいけないと! 惚れた女が出来た時は周囲を排除して守ってアピールするのが大事だって!!」


「いや、まあ、言ったけど」


 ミヒャエル様は困惑しておられるご様子。


 ……もしかしなくてもそれ、エッカルト様の曲解ですよね。

 これまでの茶会で聞いた限りのミヒャエル様で考えると確かに大人しめの女性がお好みだということでしたが……生意気な女にはガツンというってのも、一方的に要求をぶつけられたりしたら断るとかそんなんじゃないかしら。

 見た目と実力で人気者のミヒャエル様ですが、公爵家の出自ということもあってその財産狙いの女性も多いって話ですからね……。


「だからってそれ、婚約者を蔑ろにしろって話じゃねえし。話を聞く限りエルドハバード家のご令嬢はきちんと淑女として正しく振る舞っていただろう。お前は婿に行く以前に、男としてあり得ねえことしてるんだが」


「そ、そんな!」


「それに惚れた女? ってのが、そっちのルイーズ嬢の義姉だっていうなら本当にまず不仲なのかを確認しろよ、一方的に決めつけて悪手しか打ってねえだろこれ……」


 苦虫を噛みつぶしたような顔をしたミヒャエル様ですが、まさか自分が紹介した婚約話がこんな事態になるなんて思いもしなかったでしょうね!

 私も想像してませんでしたから!


 まあこれでもしミヒャエル様がエッカルト様のことを養護するようなら色々するつもりでしたけど、それもないようでホッといたしました。


「そ、そんな……! 俺はただ、ミヒャエル様みたいに……!!」


「それだよ、それ。俺に憧れてくれていたのを知ってたから親父にも頼み込んで、エルドハバード侯爵家に紹介したっていうのに……」


「えっ?」


「お前は軍人に向いてない。才能がまるでない。でも俺に憧れてくれて必死に剣を振っていたことを知っている、だからせめて軍事に関われるようにとエルドハバード侯爵家への婿に推薦したんだ。……まあ、そのあとシャレンズ公爵家が本当は婿を探す予定だと知ったんだが」


「それらを含め、シャレンズ公爵家には寄子のために力添えをお願いし、理解していただいたのだ。それなのに……貴様!」


 まあ、それは知りませんでした。

 カイバン公爵様もミヒャエル様も、寄子のために尽力してくださっただけなのですね……普通に善意だっただなんて!


 それなのに、当の本人が全部台無しにしちゃうだなんて心中お察しいたします。


「ル、ルイーズ嬢! 愚息が本当に申し訳なかった!!」


「謝っても謝り足りないわ、本当にごめんなさい! これから息子を再教育するから、どうか見捨てないであげて……!!」


「ち、父上、母上!?」


 この流れでさすがに子爵夫妻もとんでもないことだと実感したのでしょう。

 恥も外聞もなく私の前に膝をついて二人揃って懇願を始めました。


 それでもまだ、エッカルト様は事態が飲み込めていないのかそんな両親を前に信じられないものでも見たかのような表情をしています。


「バイカルト子爵、奥様、そうまでしていただいて大変申し訳ないのだけれど、私も貴族家の娘。これほどまでに体面を傷つけられて甘い顔をしていては他の家々にも示しがつきません」


「そ、そんな。どうか……どうか! エッカルトに己の身一つで暮らすだけの才はなく、エルドハバード侯爵家への婿入りがあるからと我らも探していないのです! どうか!!」


「ち、ちちうえ……」

 

 あらあら、父親に無能扱いされてさすがにエッカルト様も自分がどういう立ち位置か気付いたようです。

 フラフラとした足取りで私の前にへたり込んだエッカルト様が緩慢な動作で私を見上げました。


「ルイーズ」


「婚約を破棄するのです。気安く私の名前を呼ばないでくださいませ」

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