人間作りて禁忌教えず

瓶長

人間作りて禁忌教えず

 2025年7月3日、その日から、世界のあらゆるところで同時多発的に、『穴』が空き始めた。

 直径平均37メートルの『穴』は、その名の通り地面にぽっかりと広がった暗闇で、見た目はただの穴であった。しかし、突然なんの前触れもなく現れる『穴』による被害は絶大で、『穴』に落ちたことによる行方不明者は数十億人に登り、人々がそれを恐れる理由には十分すぎた。

 各国は『穴』を研究しようと躍起になり、有人探索や埋め立て、挙げ句の果てには兵器などを用いて『穴』を研究したが、結局、解らないと言うことだけが分かり、人類は原因不明、深さ不明の『穴』が地球を蝕んでいくのをただただ傍観するしかなかった。

 結果、『穴』の出現から12年が経過した頃、地球の面積の3分の1が『穴』によって虚空と化した。


 そして今、俺は『穴』の底に立っていた。


「それで。

君は何か聞きたいという顔をしているね?」


 各国がどんな術を用いてもたどり着くことのなかった『穴』の底は真っ白な光に満ちた空間だった。

 そしてその伽藍堂の空間にはぽつんと洋風なテーブルに乗った紅茶のセットと二つの椅子、そしてその片方に座りながら紅茶を啜る女性が一人いるだけだった。


「まぁ座るといいさ。幼子よ」


 分からずじまいの俺とは対照的に全てを知っているような彼女に促され、俺は彼女と向き合うように席へと着いた。


「なぁ、ここは『穴』の底なのか?

俺は確かに『穴』に落ちたはずなんだけど?」

「ああ。確かに、そして変わることなくそうである。其方は確かに『穴』へと落ち、そして今、此処に至る」

「じゃあなんで俺は無事なんだ? 俺の体感じゃ3時間ぐらいは落下し続けたと思うんだけど?」

「さあな、なぜだろうな。

床が柔らかかった? あるかもしれんな。

ここでは死ねない? 面白い」


 紅茶を片手に、目を閉じながら放たれる彼女の雲を掴むような言葉たちに口を尖らせ、俺は紅茶を一気に胃へと流し込んだ。


「はぁ、じゃああんたは誰で何者なんだ?」

「我は……そうだな。敢えて名乗るのであれば神であろうな」

「そんじゃ神さま、あんたがあのクソッタレな『穴』を造ったのか? どうして?」

「図らずしもそうである。しかし、其処に如何なる理由があれば、其方は満足するのだろうか。

そして生憎と、我は其方を満足せしめる理由は持ち合わせていない」

「はぁ、肝心なところは何も教えてくれないじゃねぇか。結局あんたは何がしたいんだよ」

「我はしばらく寝ていた故、我の知りえぬ情報を欲す。外の様子は如何程か?」

「外? 地上のことなら、終焉日前と比べると凄いことになってるな」

「終焉日?」


 閉じていた目が微かに開き、眉を顰める彼女に、俺は少し考えた後、納得した。


「ああ、終焉日ってのは『穴』が初めて出現し始めた2025年7月3日のことだよ、世界が終わり始めたから終焉日。わかりやすいだろ?」

「なるほどな」

「それで、地上はかなり酷いことになってる。

金持ちは飛行機で空に暮らそうとするわ、『穴』を信仰し始めるイカれ野郎もいるわ。

まずバレないからって人を殺して『穴』に捨てる奴もいるし、そんな奴も多いから治安はどこも最悪だし。

政府は『穴』の一件で完全に無能の烙印が押されてまともに機能しなくなったしな。

あぁ、そう考えるとあんたに腹が立ってきたな。俺がここであんたを殺しても文句は言えねぇだろ?」

「面白い。其方がそうするのであればそれもまた結果だろう。だがしかし、其方らは一度歩みを止め、考慮する必要があるだろうな。

其方らが『穴』と呼ぶ存在とは如何なるもので、誰が作ったのかを。な」


 空になって久しい俺のティーカップに彼女は紅茶を注ぎながらそう呟いた。


「はぁ? さっきあんたは『穴』は自分で造ったって言ってたよな?」

「『図らずしも』と付属してだがな」


 紅茶を飲もうと伸ばした手がぴたりと止まり、俺はしばらく固まった。 


「……じゃあ、一体『穴』は誰が造ったんだよ?」


「さあな、誰だろうな」


 片目を薄く開け、嫌な笑みを浮かべながら彼女はそう言った。

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